告発の行方のレビュー・感想・評価
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彼我の立場の違い
日本でいえば、不同意性交罪(ひと頃はごうかん罪と呼ばれた)と、その現場助勢のお話ということでした。
被害者サラの担当になったキャサリン検事が、不本意ながら、事務所の上司に推されるまま、司法取引に応じてしまったことは、地方検事に雇われているに過ぎない立場ということもあったと思いますが、それよりも、彼の地(アメリカ)での地方検事の立場というものが、色濃く反映されていたのだろうと思いました。評論子は。
つまり、日本の検察官が最終的には法務省に属する官僚(身分を保障された職業公務員)であるのに対して、彼の地の地方検事は、選挙で直接に住民から選ばれる(日本流にいえば)「特別職」であることと、深く繋がっていると思います。
つまり、必然的に「地域住民を不安に陥れる犯罪者を有罪にして、刑務所に放り込んでなんぼ」という彼らにしてみれば、有罪と見込んで起訴はしたものの、立証に失敗して被告人が無罪放免となることは、絶対に避けたいところだろうと思うのです。(選挙民の目に無能な者として映ると、次の選挙での当選はなくなる)。
そういう背景を考えると、「有罪さえ勝ち取れるのなら…」という、ともすれば被害者の心情にはそぐわない結果になってしまうことは、ことの当然の成り行きと言えそうです。
結局は、キャサリン検事にレイプの教唆(現場助勢)で野次馬連中を起訴させたというストーリーから「逆算」すると、ひょっとしたら実は本作も、そのような現実に疑問を投げかける意味で、ストーリーとして最初は司法取引に応じさせたのではないかと言ったら、それは評論子の勘繰りすぎというのもでしょうか。
日本の刑事司法では、まだまだポピュラーとは言えない「司法取引」の実相(犯罪者を迅速に処罰できるが、時として犯罪被害者に与える痛みも大きい)が描かれているなど、「cinema de 刑事訴訟法」としても、優れた一本だと思います。評論子は。
佳作であったと思います
お目当てのレイプシーンはクライマックス
レイプ映画と聞いて不謹慎にも期待する男性陣が多いとは思うが(苦笑)これはそういう映画ではない。むしろ男性の目から見てもレイプがいかに惨いが分かるそんな映画。ジョディ・フォスターの出世作だがジョディ・フォスター主演作品では一番好き。クライマックスでついにレイプシーン再現というお約束の手法。 レイプシーン目当てで最後まで見る男性陣は、 クライマックスのレイプシーンで驚愕するだろう。 レイプがいかに惨いかを思い知るだろう。 それくらいに生々しいレイプシーン。
暴力で支配する。そんな思いと行為が世界から消えますように。
愛の愛撫は、お互いの意思と気持ちを尊重し、確かめ合う、思いやりに満ちた行為のはずだ。
けれども、そんなことを忘れて、人をおもちゃのように扱う人々がいる。
力の誇示。無理やりの行為。
そんなの、傍から見れば、その力を誇示する人のコンプレックス(本当は”力”がないことにおびえている)の裏返しにしか見えないのに。
心が成熟した人は、相手に思いやりを示せる人。思いやりを示すためには、心に体力がいる。
心の体力がない人ほど、暴力や暴言を振り回して自分が強くなったつもりになる。傍からは”ジャイアン”≒ただのどうしようもないがきっちょにしか見えないのに。否、ジャイアンだって、周りに思いやりを示す。思いやりを示せない暴力男は小学生以下ってことか。
サラが挑発したからいけないという人がいる。
挑発されたんなら、ちゃんと口説いてものにしろよ。
それができないから、力づくなんだろ。
そそられたからレイプするって、自分のちっささを相手のせいにする、責任転嫁。卑怯極まりない。
知人の高校生が悩んでいたっけ。彼女がデートの度にキャミソールを着てきて、似合っていてかわいくてまぶしくてうれしいのだけれど、衝動が沸き上がってきて困る。なんて言って服を変えてもらうか。
高校生でさえ、そそられても、衝動に身を任せない方法を考えるのに。
しかも、それをショーのように楽しむ男達。
誰も助けに動かないことも衝撃だけれども、それよりも、”赤信号みんなで渡れば怖くない”的に、理性を吹っ飛ばせる感覚が信じられなかった。
リンチ・いじめの構造。だんだんと過熱していく。
そんなわかりきった犯罪のはずなのに、裁判では勝ち目なしと司法取引なってしまう。罪状には納得いかないけれど、とりあえず、無罪になりそうな輩を、無罪ではないという”勝利”を勝ち取ったと検事は”力を尽くした”と思っていた(被害者に寄り添っているつもりの上から目線)。
けれど…。
ここまでは、目の前で起こっていることがあまりにもショックで、目をそらしたくなるけれど、フォスターさんの圧倒的演技に引っ張られる。
ここからは、やはりフォスターさんの演技に切なく胸が締め付けられつつ、この後の展開がどうなるのかも含めて、ハラハラドキドキしてしまう。
そして、告発の行方は如何に。
とはいえ、この裁判の結末は協力者が声をあげてくれたからこそ。もし、そういう”勇気”を誰もが封じ込めていたらと考えると恐ろしい。
カップルで観て、感想を交わしてほしい。
そうしたら、パートナーが、相手の気持ちを踏みにじって自分の気持ち・衝動を押し付けてくる奴か、相手の人間性を尊重しながら、その場にあった行動がとれる人か、わかるだろう。
実はDV男だったなんていう男との結婚を回避できるかもしれない。
こんな被害にあわないように防御しなければならない世の中でなく、お互いの心を大切にしながら愛をかわせる日が来ますように。
こんな被害がなくなれば、痴漢の冤罪におびえる日もなくなるんだから。
禁じられたマリエ
マリエと出川哲郎の騒動で何故か真っ先に思い出したのはこの作品
88年の作品
10代のときに日曜洋画劇場で初めて観て以来VHSにDVDで3度目の鑑賞
日曜洋画劇場は当時何故か妹と母と観る羽目になった
居た堪れないこの世の地獄であった
レイプに対する強い嫌悪感はこの映画が影響している
久しぶりに観た名作
ジョディー・フォスターの代表作
好きだったなあジョディー・フォスター
男ならマイケル・J・フォックスで女ならジョディー・フォスター
本物のハリウッドスター
アメリカの知性そのもの
彼女の演技力が光る
司法を舞台にした名作は数多くあるがそのうちの一作
レイプものというジャンルが映画にもあるならこれは最高傑作
レイプに対する被害者側の復讐劇だがB級にならないのは司法に訴えて勝つからだろう
レイプを扱っているのに不謹慎だが面白い
『ガリレオ』で福山雅治演じる准教授が柴咲コウ演じる刑事に抗議を受けたようにお叱りを受けそうだが実際に面白いんだから仕方がない
脚本演出さらに役者の皆さんの演技力が素晴らしい
被害者は決して清楚な女性ではない
マリファナはやるわ公で卑猥な爆弾発言するわ泥酔して酒場で扇情的なダンスするわ確かにふしだらな女かもしれない
だからといってレイプをして良いわけではない
担当する女検事は狡猾な弁護側に負け司法取引でレイプではなく過失傷害という比較的軽い罪で有罪を勝ち取る
しかしそれでは納得いかないヒロイン
今度はレイプを煽った周りの男たちを教唆の罪で訴えることに
被害者の人物像や事件現場の環境も手伝って訴える側は圧倒的に不利
そこからの逆転劇が痛快
最後に正義は勝つという単純明快さ
しかし6人に1人は後味が悪い
社会派の名作
最近のハリウッド映画と違い「FUCK」の使い方が絶妙
女検事に不満をぶちまける台詞は不適切だと思うがまるで叙事詩のようだ
最近のハリウッドはカッコいいと思っているのか「FUCK」の乱用が酷すぎでメリハリというものがない
司法のやりとりだけでなくレイプも詳細に描く衝撃作
ジョディー・フォスターは所謂俗に言う「体当たり演技」でバストを露にしている
しかし彼女のオッパイより男たちの生尻の方が強く印象に残る
白人男性の生尻というとプロレスラーのディック・マードックを思い出す
レイプを煽る応援団長のいやらしい顔も印象的だ
蠍のタトゥーのあの男だ
男がふざけてトラックで道を塞ぐのだがそこに赤い車を運転するヒロインが怒りのあまり思いっきり激突して大破するシーンも若い頃から強く記憶に残っている
こうしてみると芝居というものは脚本や演出も大事だが出演者の演技力も重要である
目立ちたがり屋のズブの素人をかき集めてみても名作は生まれない
その点ではマリエは完全なミスキャスト
MeToo運動の広告塔にも好感度が必要だ
マリエを煽る活動家はアメリカで勝利を掴み取った被害者とマリエを同一視する反面で日米の対応の違いに嘆く笑止
マリエからすれば自著の本が売れたら良いわけであわよくば文化人として芸能界の表舞台に復帰できればの思いもあり活動家の応援はありがた迷惑かもしれない
マリエ応援団のたかまつなな某とか牧野洋某とか自称ジャーナリストは取材で裏付けすることなく憶測でネット記事を書くがあんなものはヤフコメ民の延長線に過ぎない
裁判は面倒だというマリエの発言を曲解している
宮沢賢治も訴訟はつまらないからやめろと言っているので軽々しく第三者が法廷闘争を煽るのは良くないかもしれない
マリエもレプロだがあの事務所はまともにマネージメントできないのか
マイケル・ジャクソンが成りたかった顔
初見。80年代っぽさ。
羊たちの沈黙、以前か。
ジョディー・フォスターは何かに強く怯えながら非凡なはずとのプライドを賭けて勇気を振り絞って何かを正直に言う、という演技に長けた役者なのね。
それと常々思うことだが、マイケル・ジャクソンはこの顔に成りたかったのね。
阪神ファンだったのか?!
“猛虎”と書かれたハッピを着ていたジョディ・フォスター。この格好ならばレイプされることもなかったろうに・・・。3人の犯人はそれぞれ1万ドルで保釈。なんで牢屋にぶちこめないよ!とぶち切れるのだった・・・性交、性病など応えたくないこともどんどん訊かれるし・・・。
とりあえずは2級暴行罪で懲役刑となったが、納得いかないサラ。挑発してきたトラック男に車をぶつけたりするが・・・。キャサリンは周りではやしたてた男も告発することを提案する。
終盤に再現シーンが流れてくるけど、やはり挑発気味だったことは否めない。しかし、それが飲み屋という公衆の場であることを考えると、やっぱり許せない。あれだけの男がいたら逃げられるわけがないし。最初は人数も少なめに言ってたので、逃げれるだろうと甘く見てしまった。
それにしてもジョディは熱演。これで女優賞取れなきゃどうかしてる・・・
そして、日米の感覚の違い。キスだけなら全然へっちゃらのアメリカ人。あれだけ濃厚なのをしちゃったら、日本人としてはおさまりがつかん・・・まぁ、あの場でってのはないけど。
怖い
再鑑賞。
レイプシーンがとにかく怖い!!
苦しくなって涙がでてきてしまいました。
密室でもなければ、周囲に人が居ないわけでもないのに、助けてくれる人間、止めに入る人間が一人もおらず、未然に防ぐことができずに複数人にレイプされてしまうなんて・・悲しすぎる。
最後に「アメリカでレイプ事件は6分に1件発生、4件に1件は複数犯による犯行である」という字幕が目に飛びこんできたときは鳥肌が立ちました。
考えさせられる映画でした。
感情移入してしまった
概要だけ聞けば、被害者の女性にもかなり非がある事件。報道だけ聞けば私もそう思ってしまいそう。
でもジョディフォスターの演じるサラを見ていると、彼女の可愛らしい一面や、本当に悔しそう、悲しそうな表情から感情移入してしまった。
和姦ではないことを証明するのって難しいんですね。
ドラマのリーガルハイは好きだったけど、法廷モノの映画は初めて見た。
証言の信ぴょう性を追求するシーンなどが少なくて、やや法廷シーンがあっさりな気はしたが面白かった。
女性検事とサラの心が通っていく様子も良かった。
それにしても、1番はやし立てていた男、本当に腹の立つ名演技だった。
法改正を・・
当時、社会人に成ったばかりの時、VHSで観た。この種の集団レイプ事件は、アメリカだけでは無く日本でも頻繁に起きている。最近では慶大生のサークルの合宿所でもあり、警察が告発を受けて捜査を始めたそうだ。集団心理の恐さで、アルコールやドラッグが入っていれば尚更である。但し犯罪は犯罪で、映画でも周りで面白おかしくはやし立てた者は犯罪教唆の罪になった。何より忘れてはならないのは被害者は当事者の女性である。早く法改正して、親告罪から変えて欲しい・・1988年のアメリカ映画。
高畑容疑者に観て欲しい。
裁判のシークエンスはもう少しドラマチックに描いてほしい気持ちもあったが、この映画の本質はそこではなかった。
直接レイプを犯した犯人ではなく、それを煽った周りの人間たちを糾弾し、更に裁けぬと分かりつつも見て見ぬ振りをした周りの客をも断罪する主人公である検事の姿勢、それはまるで観ている我々にも突きつけられたナイフのようだ。
もう一人の主人公である被害女性は決して清廉潔白ではない。
確かに彼女自身にも隙は多すぎた。
この映画はそこを否応なしに見せて観客の気持ちを揺さぶる。
彼女にも非はあったのではないかと。
しかし、だからといって決して犯していい犯罪などない。
ないのだ。
裁判での被害時の心境を涙ながらに訴える彼女の抱えた傷みは一生消える事のないものなのだと男性である自分でも痛切に感じてしまう。
これは男性こそ観るべき作品だと思う。
目を逸らさずに。
人は人によって傷つけられ、人によって癒される
ファーストシーン
一軒の酒場をとらえたロングショット
低音のベースが響くBGMに開幕から不穏なムードが高まる。
やがて日が暮れ、酒場から1人の若い男が飛び出し、公衆電話から警察に店でレイプ事件が起きていると通報をする。
そして彼に続いて店から飛び出して来た女性、服装は乱れ裸足のまま、半狂乱で通りがかりの車に助けを求めてその場を去ってゆく。
外部からは平穏に見えていた酒場の中で『身の毛もよだつおぞましい行為』が行われていたのだと物語に引き込まれるオープニングでした。
この作品は酒場で集団レイプされたジョディ・フォスター演じる被告人が、彼女を屈辱した男達に司法の裁定による『罪』の裁きを加えるまでを描いた映画なのですが
レイプ被害者である彼女は『圧倒的に被害者』であるにも関わらず、一方的に観客の同情を得るような人物としては描かれていません。
彼女は露出度の高い扇情的な衣装を着て…
荒くれ者の男しかいない場所に女1人で行き…
男達を挑発するようなセクシーなダンスを踊る…
そんな行為をしたら『レイプされても仕方ない』という、彼女への共感を阻む側の視点もちゃんと描かれています、
性犯罪者を擁護する際に多用される『被害者にも隙があった』という、いわゆる『自己責任論』という奴ですね…。
たとえ被害者に隙があったとしても『圧倒的暴力』によって人の人格、尊厳、プライドを踏みにじる事を正当化する事は許されません。
ネットを見ていると電車内の痴漢に対して『冤罪を生む』という理屈でして被害者である女性側を責める糞みたいな言説をたまに見かけます、お前らそんなに我が身が可愛いのか?!
その痴漢被害者が自分の恋人であったり、母であったり、妹、娘、であったとしてもお前らは彼女達に『自己責任』を問うのか?!
この映画はそんな性犯罪被害者に対する世間の「無理解、無関心」に対して声高にフェミニズムを叫ぶのでは無く、人から受けた心の傷は『復讐』によって晴されるのでは無く『人の共感』によってでしか癒される事が無いのだと訴えかけています。
まず人の気持ちに寄り添う事から始めよう…
そんな気持ちにならされる映画でした。
カラクリ
【ストーリー】
事件後すぐに犯人を特定した検事だったが、サラの前科や挑発的な言動により、ごうかんでの逮捕起訴は困難と判断する。犯人たちを確実に投獄するため、弁護士と取引をし、ごうかん罪ではなく傷害罪で起訴する。ニュースでは被害者のサラを守るためと報道。しかしそれにより、犯人たちは数年で刑務所から出て来られることになってしまい、何より、唯一の味方だと信じていた検事が何も相談もなしに取引という卑怯な手段を取ったことと、自分が世間から弱者扱いされたことにサラは憤慨する。
傷付いたサラに心打たれた検事は、既に片付いてしまったケースはどうすることもできないから、現場で犯人たちを囃し立てた他の男たちを共謀罪で訴え、その中で、実際に起こったのは傷害事件ではなくごうかんだったと証明しようと思い立つ。そのためには、事件の全てを目撃した証人を見つける必要があった。
事件現場に居合わせて、近くの公衆電話から通報した青年ケンは、犯人が自分の親友であったがために警察の追及を恐れ雲隠れしていた。検事はケンを見つけるため奔走するのだけど、現場にあったゲーム機に彼へとつながる記録が残されていた。その記録は事件当日に残されたもので、「KEN」という名前だった。それを見てピンときた検事は、既に逮捕された犯人が通う学校の卒業アルバムから、ケン(本名Kenneth)を探し当てる。
【感想】
古い映画だけれど、構成に捻りがあってなかなか見ごたえのある映画だった。
ジョディ・フォスター扮する主人公のサラは、被害者なのに、おそらく肩を持ってもらいにくいキャラクター。男性に対して挑発的な服装、エキセントリックな言動、味方であるはずの検事に対しても強気な態度。だから観客はラストのラストまで、まぁ、ある程度仕方ないのかもね、っていう気持ちを持ってしまう。
でもラスト、勇気ある証言者のおかげで事件の全貌が明らかになると、さすがに仕方なくないわ、やっぱ、って正気に戻る。仕方なくないんだよね。どんな人間であっても仕方なくはない。たとえ女性から「挑発」したのであっても、嫌がる相手に対して無理矢理に行為に及んでしまったらそれは犯罪。そんな当然の真実なのに、サラのキャラクターが強すぎてそれをボヤけさせてしまう。そんなカラクリのある映画だった。
一方で、センセーショナルな事件を扱いながらも、あくまでヒューマンドラマであり、犯人を捜す推理モノではないからか、捜査の流れは雑だった。特に、ゲーム機に残された名前からケンを探し当てる流れ。これはさすがに無理があるような気がした。ゲームをする人は沢山いるだろうし、たまたま事件と同じ日に高得点を出した人が最重要人物でした!ビンゴ!ってのはちょっとね。でもこの映画のメインはそこじゃないから、別にいっかって思った。
しかしジョディ・フォスターって若いときこんな感じだったのね。奔放で繊細で危うい感じ。美しすぎる。やばし。私の中でジョディ・フォスターは「パニック・ルーム(2002)」と「フライト・プラン(2006)」の人だった。違ったね。全然こっちだね。更新しておきましょう。
こわさ
ただ単に事件の概要を話してるだけの
時には、酷いなあくらいにしか
思ってなかったが、証人の回想で
出てくるレイプシーンに、事件の
深刻さに気付かされる。
さらに、最後に出る注意書きのようなもの。
これは映画の中だけの話じゃない。
現実に戻される。
汚れ役のジョディ・フォスターに最初はあまり同情的ではなかったのだが
総合70点 ( ストーリー70点|キャスト:75点|演出:70点|ビジュアル:70点|音楽:65点 )
ジョディ・フォスターの演じるサラは、貧乏で露出の高い服を着て感情的でマリファナをやったり酒飲みだったりと素行が悪くて、社会の同情を得られやすい役柄ではない。自分も観ていて正直なところ当初はそれほど彼女の立場に同情的ではなかった。逮捕や裁判も、それが法律だから仕方が無いくらいの気持ちだった。
この作品の面白いところは、被害者であるサラの素行の悪さを最初に見せておいて、事件の起きた現場を後半まであえて視聴者に見せないことで被害の様子をわからせないこと。サラはほぼ一人で本当の支援も理解者なく孤独に戦わなければならない。劇中の登場人物だけでなく、視聴者からも恐らくは途中までは大きな支援は受けていなかったのではないだろうか。だけども実際に何が起きていたか、現場を明らかにすることで真実がわかる。彼女の心の傷も裁判も当然という気になる。
昔に観たときは、ジョディ・フォスターのこともまだよく知らなくてって、単に下品な女だと思った。勿論役柄上のことであり、本人とは全く違うのだろうが、それだけ演技は良かったということだろう。検察官役のケリー・マクギリスは普通。サラのために本気でやろうという決意を決めるのはいいのだが、そのための準備や裁判のための過程があっさりとしていて、ジョディ・フォスターに比べて活躍の様子も迫力にやや欠ける。
それでも僕はやってないを思い出した
レイプ裁判の映画でした。
ジョディフォスターの演技にはホントに引き込まれてしまい、見た後一週間は痴漢ものAVでは抜けなくなってしまいました。さすがジョディフォスターですね。
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