「タイトル無し」生きる(1952) Rocky.さんの映画レビュー(感想・評価)
タイトル無し
マーティン・スコセッシは「サイト&サウンド」という雑誌で13本映画を選んだ。中に日本映画は2本ある。1つ目は「雨月物語」、もう1つ目はこの「生きる」である。
2回目を見て、すごく感動した。再び志村さんの芝居に感動されたことだけでは無く、白黒映画の照明や脚本の特別な書き方を勉強した。動機→行動→結果、私は最初からずっとこの考え方だった。本作は物語の前半は動機がない主人公とその周りの無関心という辛さを感じて、物語のクライマックスで主人公の動機がやっと表した。その行動はどのように進んで行くのか、そういうことに期待しながら、突然結果を目の前に表した。まるで、「パルプ・フィクション」のように観客は自分の予想に進めると信じつつ、突然の意外な展開を出すことである。
その行動の描き方も非常に素晴らしいと思う。「市民ケーン」の全体と「人間蒸発」の前の一部のように、周りの群像を表して、主人公のことはだんだんはっきりになることだと考える。主人公のことを辿りつつ、主人公のことだんだん理解できるようになって、自分も影響受けて変わって来る。
チャイナタウンのジャック・ニコルソンはヒッピー派の映画の「イージーライダー」演じたことがあり、その中のひとつ「人は死ぬから存在する意味がある」セリフがあり、この作品と連想して、主人公の存在はどうのような存在か、考えてみれば、思うこそ故に存在することでは無い、意志を恵まれて存在すると考えている。人はエデンの楽園から人間の世界へ来るは何の罰なのか?その罰は自由ということだと考える。自由は何かを手に入る一方で何かを犠牲することだ。主人公は真っ逆に、「他人は地獄」のような人々の理解されてないという犠牲や死亡から、何か手に入る。人生の最後に自分の人生を思い出す意味は何か、主人公はそうでは無い。死ぬことから、自分の存在を証明して、自分の意味を見つける。
更に、イギリスの「生きる」と比べてみれば。芝居だけで言えば、黒澤明の方はもう完勝した。