コーラスラインのレビュー・感想・評価
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『one』を歌う資格
なんか、オーディションの採用基準を誤解している人がいたので書きました。
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舞台監督ザックの採用基準は、トラウマを乗り越えてがんばってるダンサーへのご褒美 なんかじゃないよ?
そういう道徳的な基準では無い。
『One』の歌詞からもわかるように、コーラスが歌うのは、ヒロインが登場する場面の賞賛の歌だ。
ザックの基準は、
屈託無く、心から他人を賞賛できるかどうか。
「彼女は最高の女性!」と歌うとき、嫉妬や引け目を感じるようではダメなんです。
ヒロインよりも私を見てよ、と目立ちたがるのは論外。
堂々と自分の人生を生きていて、迷いや陰りが一切無い。一人一人が、小粒でも星の輝きを放っていて、そのコーラスの賞賛の後に、文字通り「鳴り物入りで」登場するから、ヒロインはいかばかり素晴らしい女性なのかと期待が高まるのだ。
トラウマを乗り越えて微笑むことのできる、3世、モラレス、ヴィヴィ、が受かったのは誰しも納得すると思う。
自分の選択に微塵も悔いや迷いを持っていないヴァレリも。
だから、他の合格組も、何かしらトラウマや差別にあっていて、具体的にエピソードの紹介は無くても、それを乗り越えて…
と推察するのは早合点。
マイク・キャス(I can do thatの人)と、マーク・アントニー(Oh! my God! 淋病だ!!の16歳)
この二人の白人の若者は別にトラウマは無いよ。マークがカトリックだから差別にあっていた とか、無いから。WASPがアメリカの頂点にいるのは確かだが、カトリックはそんな虐げられて無いから。
白人の中流家庭の、前途洋々の、挫折を知らないからこその屈託のない笑顔。
それでもOKなんです。ザック的には。
3世の、何度も自殺を考えた、故郷のことは忘れた、という少年~青春時代、それを笑って話せるようになるまで、どんな道のりだったかを考えると、挫折知らずの16歳の笑顔と同等の扱いは不公平なようにも思えるけれど、あくまで舞台に必要な要素を配置するための選択なんで、苦しみを乗り越えた人へのご褒美でもないし、心に傷を負った人を助ける自立支援ボランティアでもないので。
ほんで、「キャシーはずるい、ザックは贔屓だ」とかいう人がいたけど、学級会で正義感ひけらかす小学生かっつの。(昔、そういう人と一緒にレンタルVHSで本作を観たんです)
キャシーはオーディションを受けさせてって言っただけで、コーラスに採用してってねだったわけじゃない。
実力は折り紙付きだから、シード選手みたく、一次予選なんてすっ飛ばしたって別に不正じゃない。
そして、もしキャシーの態度に、「この私がコーラスなんて落ちぶれたものね…」という陰りが少しでも見て取れたら、元カノにどんなに未練があってもザックはたたき落としていただろう。
キャシーがヘッドライナーとしての実力や個性を殺してまでも、No dance no life を貫く覚悟があったので採用したんです。
俗物目線で見ればだ、ラリーやザックが「君がコーラス!?」と驚くように、決してコーラスの仕事はキャシーにとっては名誉ではない。
鳴り物入りの後に登場するヒロインは、もしかするとかつてのキャシーのライバルだった人かもしれない。キャシーの付き人とか、代役で陽の当たらない下積みだった人かもしれない。
公演が始まって、楽屋でヒロイン役の女性と出会ったとき、コーラスのキャシーはどんな挨拶をするのだろう。
決して、「キャシーはずるい」「楽してイイ思いをしている」、などと妬まれるような状況ではないのだ。
観客がコーラスの中のキャシーを見つけた場合も、ゴシップ紙がそのことをどんな風に書き立てるかを考えて見ても…
コーラスとして踊るより、ザックとヨリを戻して、裕福な奥様になった方がずっと安楽な生活が送れるのになぁ。
それでも踊るんですよ。踊ることに迷いがないんです。
なにがずるいのよ。
ほんで、「キャシーずるい、ザックずるい」を連発していた人は、あの二人が痴話喧嘩なんかして、無駄なタップなんか踊らせたから、ポールがアキレス腱切ったんじゃないか!って言ってたけど、
わかってないなぁ
ザックの選考基準を読みとれば、すごく残酷だけど、ポールは落選決定だったんだよ。まだ辛くて苦しくて、顔を輝かせてヒロインを賞賛できないから。
私だって判官贔屓の日本人の一人だから、ポールにこそチャンスが与えられるべきだ、と つい思っちゃうんだけれど、ザックの選考基準は絶対にブレない。
負傷したポールの治療費をある時払いで立て替えてあげたり、ゲイであることに引け目を感じなくてすむような、良い環境のバイト先を世話してあげたりはするかも知れないけれど、ザックは同情で採用したりはしない。あの時点では、怪我をせずに最後まで踊り抜いたとしてもポールは落とされていた。
けれど、ポールの立場で考えれば、もし最後まで踊ったのに落ちていたら、到底立ち直りが効かないのでは無かろうか?
質問されたときにすぐ身の上話をしなかったから落ちたのか?
泣いて弱みをさらけ出したからか?
結局、ゲイだから落とされたのか? 等々
悶々としてしまうと思うのよ。
(ユダヤ系でゲイのグレッグも落選組だからねー。でもゲイだからじゃなくて、まだ、身構えて人との間に壁を作ってしまうからだと思う。ついでに言えば、助手のラリーもゲイなんだから、ゲイだから不採用説は絶対にない)
ポールがリタイアせずに踊って、で、落ちていた場合を考えると、怪我はむしろ救いだと思う。怪我のせいで落ちたのだと納得できて、今度こそ、体調管理を万全にして、絶対に役をつかむぞって再起に希望がもてるでしょ。
ザックがキャシーにかまけて、無駄にオーディションを引き延ばす筋書きは、制作者側の慈悲であって、物語作りの上ではファインプレイだと思うんですよ。
現実のショウビジネスの世界はこんなに優しくない。華やかな分、果てしなく残酷。
懸命に、裏表無く、他人の2倍3倍努力し続けても、それでも花開くことなく老いていくだけの人もいる。無責任に励ましても、それが仇になる場合もある。
その世界で長年 夢と残酷さを見続けてきたリチャード・アッテンボロー監督の優しさに、観客として心からのリスペクトを。
ちなみにラストシーンの『One』は、落選組も一緒に踊っているけど、『One』に落ちたダンサーではなくて、『コーラスライン』のオーディションに見事受かったダンサーとしてのキャラクターで踊っていますね。
前の列、お疲れだった
映画「コーラスライン」(リチャード・アッテンボロー監督)から。
踊りのオーディションはもとより、
多くの若者が目指す職業というものに無縁なのか、
その選考の仕方は、驚くしかなかった。
ものすごい数の人たちの中から、一瞬で才能を見極めなければならず、
そんな甘っちょろいことはいってられない、と思いながらも、
冒頭「その他はお疲れ」「他はそこまで」・・等、容赦ない台詞に
不満を口にするシーンを想定したが、誰ひとりいなかった。
オーディションとは、そんなものなんだろうな、とまたまた驚いた。
気になる一言は、そんな選考の喜びと落胆をうまく表現していたので、
多くのメモから、選んでみた。
最終選考のシーン、名前を呼ばれた人は前へ・・と言われ、
呼ばれた人は、満面の笑顔で一歩前へ進む。
呼ばれない人は、落胆の色を浮かべ、じっと堪えている。
そして・・この一言。「前の列、お疲れだった」
天地がひっくり返った瞬間の、それぞれの表情が印象的であった。
それにしても「人間」って鍛えれば、こんな振りの難しいダンスを覚え、
短時間に出来るようになるのかな、と感心するばかりである。
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