「記憶と時限」恋する惑星 abokado0329さんの映画レビュー(感想・評価)
記憶と時限
ウォン・カーウァイ監督作品。
映画館でみましたが、人が多くてびっくり。愛されている作品だとよく分かる。
ウォン・カーウァイ作品群に共通する重要概念は、「時限」と「記憶」であると思っている。人々は香港を舞台に出会い、恋に落ちる。恋愛は鮮やかに。しかし高まる愛には、既に終わりの影が落ちており、彼らは永遠の別れを余儀なくされる。期限付きの人間関係。それが一つの特徴である。
だが彼らは、記憶し続ける。かつてあったことを、抱いた感情を。それがあまりにも儚く虚しいからこそ、私たち鑑賞者の胸に響くのである。
このことは香港の政治情勢と共振している。香港は一国二制度によって、高度な自治が認められ、「自由」が許されている。しかしそれはイギリスから香港が返還されてからの50年である2046年までの期限付きの「自由」なのである。
ウォン・カーウァイ作品群は、独特なカメラワークとスタイリッシュさで若者の不安定だけど美しい恋愛、人間関係を描いているとされている。それはもちろん正しい。だがより魅力的なのは、若者の実存に焦点を当てるだけでなく、香港の不安定な未来と重ね合わせながら、期限付きの儚さと美しさや現在ーそれは90年代から00年代ーの香港とそこで生きる人々を記録し、記憶しようとしている点なのではないだろうか。
本作に戻ろう。本作は二部構成である。
一部。
金髪の彼女と警官。彼らは出会い、打ち解け、別れる。それぞれの悲しい記憶を抱えながら。警官は、自分の誕生日である5月1日が賞味期限のパイン缶を開封しながら食べ続ける。期限がきれても、元恋人との復縁もなければ、未練も消え失せない。ただただ元恋人への思いが開封され続けるだけなのである。
彼らの邂逅は一夜で終わり、金髪の彼女の復讐は果たされる。ボスの死体と共に、金髪のかつらが地面に落ちている。金髪の彼女は彼らの記憶の中に、そして彼らは二度と会えないのである。
二部。
店員フェイと警官。彼らもまた出会い、打ち解け、別れる。警官もまた5月1日が賞味期限のパイン缶を開封しながら食べ続ける。それは同じく元恋人への思いの開封なのである。それは部屋にも言えることである。彼女と過ごした記憶を失わないように、部屋は片づけず、物に語りながら記憶し続けているのである。だからこそフェイが警官の部屋に侵入し、模様替えをするのは、重要な出来事である。記憶の刷新。彼を未来へと向かわせるのである。警官はフェイをデートに誘うのだが、フェイは来ない。フェイは元恋人と同様にCAになり、カリフォルニアに行ってしまうのである。二人は別れる。しかし一年という時限が過ぎた後に、二人は再会するのである。変わり果てたお店の前で。ここでも香港の変わりゆく風情と重ね合わせながら、二人の恋愛模様が描かれているのである。
一部と二部どちらも素晴らしい物語である。そして改めて「時限」と「記憶」は、映画と私たち鑑賞者の関係にも言えることだと気づく。
上映時間という有限な時間の中で、彼らの物語をカメラで記録し、私たち鑑賞者が記憶すること。それがまさに映画の営為のような気がするのである。