軽蔑(1963)のレビュー・感想・評価
全4件を表示
関係改善が不能な夫婦の末路
軽蔑というタイトルが示すように、夫婦関係のちょっとした心のすれ違いが大きな溝となりその結果破綻してしまうカップルの様子を描いている。
中でも印象的だったのが、脚本家で夫のポールが秘書のフランチェスカとの不倫関係を疑う女優で妻のカミーユにも大きな秘密があるようで…?
最終的にはカミーユも映画オデュッセイアのプロデューサーのプロコシュと不倫関係になり、もはや二人の仲直りは完全に不可能となってしまったところでカミーユがポールに離縁を突き付けプロコシュと過ごす新しい生活が始まったところで不慮の事故に遭い旅立つ。
これが皮肉にも男のエゴイズムを感じさせるのだ。俺と一緒に過ごすことを選んでいたらこんな末路にはなっていなかった、と言わんばかりのエンドの展開は撮影当時は男性社会でまだまだ女性の立場が男女平等とは言えぬ時代において、60年前の男社会を物語る貴重な資料である。今ならば間違いなくこんな作品を作れば叩かれるのは間違いないだろう。
観たかった度◎鑑賞後の満足度◎ 冒頭の「映画とは欲望世界の視覚化である」というゴダールの言葉が頭を巡り、BBの美尻から目が離せない。鑑賞中ずっと“ああ、映画だ”と思わせてくれたのは流石ゴダール。
①この10月にパリに行った時にお世話になったガイドさんの日本語の生徒さんであるフランス人のご婦人を2名、先週奈良を案内させて貰ったのだけれども、その内のお一人のボーイフレンドがフランスでも高名な映画批評家だったということで、当たり前だが古今東西の映画にお詳しいこと(ビリー・ワイルダー監督を記念しての映画上映会で本物のグロリア・スワンソンにお会いしたことがある、と聞いてぶっ飛びました-ということは私も間接的にグロリア・スワンソンに会ったということ?-ってな訳ねえだろ)。
映画談議が弾んで楽しかったのですが、“来週ゴダールの『軽蔑』を観に行くんですよ”と言ったら“あれは良い映画よ”とのお言葉。
“でもゴダールの映画って難しいんですよね”と言ったら、“ゴダールの映画は考えるより感じるのよ”って仰いました。
本作を観たら確かにそのような気がする。
②ギリシャ哲学を始め色んな古典から引用された台詞が多いけれども、内容は有って無いようなものかな。
ゴダールは本作で映画を作っている人達やその周りの人達を描きながら“映画”を語っているような印象を受ける。
③映画のラスト近くの事故シーンはシモーヌの女としての落とし前の付け方のような気がする。
④なお、フランスの友達によると、今のフランスの若者にとってブリジッド・バルドーは、フランスを代表するセックスシンボルというより、動物愛護熱がヒートアッブしているアブナイお婆さんというイメージらしい。ああ、栄枯盛衰😢
⑤フリッツ・ラング監督はよく出演を承諾したなァ、と思います。
⑥ジョルジュ・ドリリューの音楽もすこぶる宜し。
ブリジット・バルドーが最高に綺麗だった頃
夫婦のぎくしゃくした会話が延々と続き、見ていて相当退屈してしまったが、結局二人はどうなるかと、名監督の作品なので最後まで見届けようと思っていたら、まさに突然という感じで、妻役のブリジット・バルドーと彼女に近寄ってきていたジャック・パランスが事故で死んでしまう。それって、主人公や主要人物が亡くなることによって強制的にラストにして、その意味するところは観客の皆さんにお任せします・・・という一番安直なパターンでがっかり。
この時期のブリジット・バルドーは全盛期のカトリーヌ・ドヌーブ以上に綺麗だったが、そのブリジット・バルドーの良さを出し切れていない。
唯一良かったのは音楽。調べたら、後にプラトーンの音楽を担当したジョルジュ・ドルリューだった。
胸毛すんごかった
なぜ軽蔑されるのか。ハッキリした答えが出ないままに終わってしまった。途中でそれらしき回答はあったものの何か釈然としないままに。そりゃあ現代の日本人目線からすれば、その態度は振られるわと思うけど、、男の人には分からない部分があるのかなあなんて、ゴダールもこれアンナカリーナと別れて作ったんでしたっけ(?)
軽蔑って言葉に何とも決定的な破壊力がありました。女は女であるみたいに、なんだかんだ元どおりになるとタカをくくって見てきたので、あれよあれよとどん詰まりして振られるポールを見ていて、これは完膚なきまでにやられたなと思いました。大失恋ってなんだか男のロマンですね。
全4件を表示