「カミーユの思いの深さと海の美しさ。」軽蔑(1963) あま・おとさんの映画レビュー(感想・評価)
カミーユの思いの深さと海の美しさ。
ギリシャの古典についてはよくわからなかったが、私には、まずシンプルに視覚的に素敵な映画だった。舞台となった場所そのものの美しさやユニークさ、配色の楽しさ。
加えて、だんだんカミーユの心境がわかってくると、彼女の苦しい心境が察せられ、目が離せなくなっていく。
二人のマンション?での会話の場面は長く、話が進まず歯切れが悪い。少し眠気を誘われたが、この場面は後で思うと、やはり見どころだったと感じる。
カミーユには、ポールが自分をいわば道具として売る行為に出たことが、決定的にショックだった。
ポールにしてみれば、<現実的選択>だったのだろう。彼女なら我慢してくれるだろう、という甘えもあったかもしれない。
でも…カミーユの愛情は最初から、とても深く純粋だった。だからこそ、受け入れがたい。彼の愛の浅さを知った以上、愛しても苦しむだけだ…でもやはり愛している。カプリ島など、そこで起きることを予想すれば、もちろん断りたい。しかし彼のためには、彼はもちろん自分も行ったほうが良い。でも、もし彼が行くな!と言ってくれれば自分はとても嬉しい…。
ポールはポールで、彼女の思いの深さを知って戸惑いつつも、知らんぷりしてやり過ごしたい気持ち。と同時に、もし彼女を失ったらどうしよう、という不安。
こころの中で行ったり来たりする時間。現実と理想の間で、駆け引きしながら決断を迫られるとき。
カプリ島で決定的に失望したカミーユ。純粋な愛を貫くことができない人生は、辛いだけで無意味なものとなってしまった。
島を取り囲む美しい海の青さ、深さ、拡がり。カミーユの思いの深さ、純粋さとリンクしそれらが脳裏に焼きつく。
とても美しいけれど、虚ろな風景。
それにしても、男性の監督がこのように繊細に女性の気持ちを巧みに描いている、ということに感心してしまう。
芸術活動と言いながら、足元では純粋なものを無頓着に踏みつけていることに、自他ともに批判する意味が込められての<軽蔑>だと思う。
ブリジッドバルドーはその美しさや可愛さも素敵だったけれど、カンの強さや熱い思いが伝わるキリキリした演技がよかった。結構気に入ってしまった。
映画は人生の先生だと思います。
自分の生き方が見えてくるのでね。だから僕のレビューは私的な日記=自分語りのようになってしまうんですよ(笑)
こちらこそよろしくお願いします!
こちらこそありがとうございます。
きりんさんの観ておられる映画が面白そうなだと思ったので、直観でフォローさせていただきました。
上に書いていただいたコメントですが、私にはたいへん興味深く楽しいです。
なるほど、と思います。
わたしですが
どうも<女であること>から離れられない。でも、そこからムリや矛盾もでてくる。ならば、どういった女でいるのが一番心地がいいのか、模索し続けているような感じです。
ほかの類の映画も観たいのですが、なかなか時間が…。
よろしくお願いします。
あま・おと さん
フォロー恐縮です、ありがとうございます。
「軽蔑」、面白い映画でしたね。
結婚って、周りから「成婚」と称ばれて、何故か本人たちはやってしまうのですが、そこで起こっている事は、男の側からも女の側からもぜんぜん別世界の物なんですがね。
そこが摩訶不思議です。誰かが「結婚は大いなる誤解」だと言いましたが。
僕の実感では、結婚をしている男たちの持っている感覚配分では、自分の全人生の二分の一は仕事の事。その残り半分のうちの三分の一は自分の事。三分の一は自分の夢。
そして残りが「その他」と言ったところだと思います。そこに妻との生活などが含まれる。これは冷静な自己分析・同性の男性たちへの分析です。
これはお互い口にはしませんでしたが、「私と仕事とどちらが大切なの?」という問いは男が面食らって嫌う質問の最たるものですね。当然答えは「仕事」に決まっているからです。
僕の妻であった人は「私に振り向かない人に初めて会った」と言って追いかけてきた人だったのですが、二十年経っても振り向かないので出て行ってしまいました。
とんでもない自己紹介ですね。
ゴダールのこの映画を介してのプロフィール紹介なのですから、隠してもしようがない。
「女」と「男」に集中して映画を観ておられるあま・おとさんのご様子ですから格好はつけません。
フォロー解除もOKです(笑)
でも素敵なレビューをお書きだなと思って、ページを見つめています。
きりん
「軽蔑」には、自分への批判と共に、プロコシェへの批判…軽薄な駆け引きを創作の場に持ち込んでくることへの批判…も込められているのかな、と思いました。
最期は自殺かな、と思いました。ハンドル操作だか何だかわかりませんが。
自殺か事故か、どちらにも取れる点がまた面白いですが。
で、この「軽蔑」の理由ですが、私は彼女の愛を信じきれなかった彼の行動を軽蔑したのだと捉えました。
彼女は深く彼を愛していたのに、それを信じられない愚かさ。
何度もやり直すチャンスがあったのに、ことごとく(彼女を信じきれないために)そのチャンスを潰していく愚かさ。
見ていて彼女がかわいそうでなりませんでした。
事故がなければ、またチャンスは来たのかもしれませんが、その儚さこそ監督が描きたかったものかなあ、と思いました。
私は今までゴダールに全く興味がなかったのですが、今作を気に入り3回連続で見に行きました。回数を重ねるごとに、単なる会話劇も、いろいろなことを考えて、おもしろくなってきました。
このレビューで彼女の逡巡が整理されて、読みながらスッキリしました。