黒いオルフェのレビュー・感想・評価
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【”愛の歌しか知らないギターの音。”今作はギリシャ神話の恋愛悲劇「オルフェ」の舞台をブラジルに置き換えた悲劇の恋愛を描いた作品であり、着想の斬新さが光る作品でもある。】
ー リオのカーニバルを控えた前日。街の人達は、既にサンバで踊っている。
そこに、カーニバル見物にやってきた娘・ユリディスは、ギターの名人で市電の運転手・オルフェと出会う。
だが、彼女には”死の男”が追って来ており、且つ、オルフェの恋人ミラは”昼の女王”と謳われる踊りの名手であったが、嫉妬深い女であった。
オルフェが、ユリディスに恋心を持っていると知ったミラは、ユリディスに掴みかかり、逃げたユリディスを”死の男”が追うのである。
そして、ユリディスが電線を掴んだ時に、”死の男”は電流を流し、彼女は斃れる。そして、彼女は救急車に乗せられるが、それに同乗した”死の男”は、”これで、彼女は俺のモノだ。”と呟くのである。
一方、ユリディスを探すオルフェは、病院で彼女を見つけ、動かない彼女を両腕に抱えて、絶壁の所に立つとそこに、狂乱のミラが踊りながらやって来て、ユリディスを抱くオルフェを見ると石を投げ、それはオルフェの頭に当たり、オルフェとユリディスは断崖を転がり落ち、大きな花の中に横たわるのである。
それを観た少年二人は、太陽が上がる直前にギターを弾くのである。
<今作はギリシャ神話の恋愛悲劇「オルフェ」の舞台をブラジルに置き換えた悲劇の恋愛を描いた作品なのである。
着想の斬新さと、リオのカーニバルの喧騒と悲劇との対比が光る作品でもある。>
ユリディスの余韻と残像がもたらす切なさ
1959(日本は1960)年公開。フランス・ブラジル・イタリア映画。
【監督】:マルセル・カミュ
【脚本】:マルセル・カミュ、ジャック・ヴィオ
【原作】:ヴィニシウス・ヂ・モライス〜戯曲『オルフェウ・ダ・コンセイサゥン』
主な配役
【オルフェ】:ブレノ・メロ
【ユリディス】:マルペッサ・ドーン
【ミラ】:ルールデス・デ・オリベイラ
1.ジャンルは何?
Wikipedia日本語版は、「恋愛映画」という。
Wikipedia英語版は、「ロマンチック悲劇(直訳)」だ。
わたしは、「ファンタジー映画」として捉えている。
試写会に招待された原作者が、
「これは私の作品ではない 」
と語ったらしい。面白いエピソードだ。
それでも、パルム・ドールとアカデミー賞の外国語映画賞を勝ち取った。
勝手な想像だが、本作を高く評価する人と、真逆に評価する人がいるに違いない。
私は前者だが、全くつまらないと感じる人も多数いることは容易に想像がつく。
ジャンル不明だからだと思う。
◆単なる悲恋の物語?
◆リオのカーニバルのPV?
◆ギリシャ神話へのオマージュ?
◆ボサノヴァの魅力を広く知らしめた映画?
いずれも間違ってはおらず、
私がこの作品を何度も繰り返し観たくなるのは、
最初から最後まで、「切なさ」を感じ続けるからだと思う。
2.「切なさ」の正体
「切なさ」の正体は何度観てもハッキリとはわからない。
◆リオのカーニバルの熱狂
◆リオの雑踏
◆オルフェのお気楽ぶり
◆ミラの嫉妬丸出しぶり
どれも、「切なさ」とは、ほど遠い。
ただハッキリしているのは、
アメリカン―フレンチのマルペッサ・ドーンが演じたユリディスのピカイチの存在感だ。
テレビや映画の仕事の傍ら、ナイトクラブで歌手やダンサーとして働いていた彼女は、そこで監督のマルセル・カミュと知り合い、本作のヒロインに抜擢された。
※余談だが、マルセル・カミュとは結婚し、離婚した。
公開当時25歳、監督が魅入られ発掘した才能がオーラを放っているのか、
観客であるはずのわたしは、
理不尽な運命を背負ったユリディスを憐れみ、
そして、作中のオルフェと同じように、
ユリディスを探し続け、
ラストまで、ずっとユリディスの余韻と残像に浸っていることに気づく。
そしてオルフェと同じ道をたどるのだ。
(もちろん、脳内でww)
3.まとめ
撮影技術に特徴があるわけではなく、
ストーリーに取り立てて工夫もなく、
電車や崖から転落するシーンは笑えるくらいに稚拙だ。
だから、「なんでこれがパルム・ドールとれるんや」という人がいてもまったく驚かない。
私の周囲も本作を高く評価する人は少ない。
思うに、
◆ユリディスを探し続けるオルフェに感情移入してしまう人、
◆マルセル・カミュ監督と同様にユリディスの不思議な魅力にやられた人
だけが本作の価値を認めるのではなかろうか?
☆5.0笑
理解及ばず
名曲揃い
アントニオ・カルロス・ジョビンとルイス・ボンファというボサノバの二大巨頭を世界的に有名したことの意義は大きい
60年前のリオのカーニバルを活写した作品
主題歌はあまりにも有名で、映画音楽の全集に収録される事が多い
題名の通り、筋書きはギリシャ神話をそのまま当時のリオデジャネイロの山の斜面の黒人達の住むスラム街ファヴェーラとリオデジャネイロの中心部に置き換えている
物語は神話から比較的素直で単純な置き換えをしたもの
コクトー監督のオルフェの様に何かを暗喩して政治的意味合いを持たせるというようなのもではない
その悲恋物語をリオのカーニバルとボサノバで彩って観せているところが最大のポイントだろう
公開当時、まだそれらはもの珍しく新鮮だったのだ
しかし21世紀の私達にとってはそうではない
だからラストの日の出と共に子供達が歌い踊るシーンなど印象に残るシーンも幾つかあるが、全体としては、現代人の目からすると散漫で退屈と言わざるを得ない
もっと言えばフランス人監督という外国人の目を通したエキゾチズムの映画と言えるのかも知れない
それでも本作はアントニオ・カルロス・ジョビンとルイス・ボンファというボサノバの二大巨頭を世界的に有名したことの意義は大きい
そして、その楽曲の素晴らしさ故に星半個オマケしなければならない
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