蜘蛛女のキスのレビュー・感想・評価
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ヘクトール・バベンコの傑作
購入しておいた2枚組DVD(HDリマスター版)を鑑賞🎥
やっぱり、この映画は凄い‼️
ファシズム台頭する南米某国におけるテロリストとホモの物語であるが、最初は他人だった2人の男が友情を芽生えさせていく姿を、ホモが語る映画描写と並行して描いており、単調になりそうなドラマを見事に描き切ったヘクトール・バベンコの傑作‼️✨
この映画を深く知るには、DVD(2枚目)の特典映像「メイキング」が良い。約1時間50分にわたって関係者のインタビュー、当時の映像などがふんだんに盛り込まれて、「アメリカ映画において、メジャー系でない独立系映画が世界で評価された最初の芸術映画であること」が良く分かる。
原作者からは映画化の承諾がもらえず、当初はバート・ランカスターがホモ役を演じる気まんまんで準備されていたこと、そして様々な制約のもとで映画製作が動き出し……という苦労話を見ると「奇跡的に生まれた映画なんだなぁ~」と思う。そして、映画のエンドロールに「THANKS(謝意)」の一人にバート・ランカスターが記されていたのも「なるほど!」と思う。
そして、カンヌ映画祭から一部削除を条件に出品したところ、ウィリアム・ハートがカンヌ映画祭主演男優賞を獲得。当時のカンヌではアメリカ映画は敬遠されがちだった事情もあったが快挙だったことも分かる。
そして、アメリカでの単館公開⇒拡大公開、ゴールデングロブ賞での受賞、アカデミー賞ノミネート&受賞など認められていく映画となった。1985年のアカデミー賞には黒澤明監督も会場にいたことが映されて、懐かしく思う🤗
本作は、ある種のミステリー映画っぽくもあるので、物語詳細は記載しないが、やはり傑作‼️✨
超絶つまらない
ホモ男と政治犯が刑務所の中でお互いの経験談を語り合ったり、映画の内容を話したりする対話シーンがダラダラ1時間以上続きます。話の内容もつまらないし盛り上がらないし、なんか意図があるのかもしれないけど、つまらな過ぎるので考えるのも面倒。
1時間過ぎたところでサスペンスな展開になりそうだけど、最後まで盛り下がったまま。別に難解でもないけど、観た人に何を感じさせたいのかサッパリわからず、専門家が褒めてる内容も1ミリも感じません。100%感性の作品なので合う人にしか合わないでしょう。人に薦められる映画ではない。
なんかこのドツボのカンジ、どっかにあったなあと思ったら「ムーンライト」だった。あれも生理的に受け付けなかった。
浮かばれないモリーナ
単に二人の語り合いからなる密室劇かとおもいきや、モリーナが話す映画の物語、無関心な素振りから満更でもない様子のヴァレンティン。
二人の仲が徐々に変化し始め、行く末が読めない展開から健気なモリーナに心配の眼差しで、蓋を開けたらヴァレンティンの180度様変わりな態度に薄情さが滲み出て、同志が知ったら大変だぁ。
それでも許す心、人間としての広い器を持ち合わせたモリーナの心意気で、絶望の淵を彷徨う一人の男とそれを愛する女を救ったことになるのか。
難解な事柄を提起しているような暗い印象から、互いに対する気持ちの変化、二人の関係性を微笑ましい眼差しで、作品を全体的にどう捉えるべきか、少し難しい!?
30年ぶりに観た
最初はシドニーで字幕なしで観た。
必死で聴いて観たから演技が刺さった。
久しぶりに観て、その頃の自分と会ったような懐かしさ、恥ずかしさ?
映画は一緒なのに自分がどんなに変わったか、わかる。英語は前より全然聞こえなくなった。
決して絵として美しいわけではない。
今見ると、男らしさ、女らしさ、誇りをもって生きる事、などがストーリーを超えてじんわりくる。
原作を読んでみたい。
闘志からのアダムス・ファミリー
2020年6月6日
映画 #蜘蛛女のキス (1985年)鑑賞
南米のある刑務所で同じ監房に入れられている反体制運動の闘士とゲイの男。
ゲイは所長から反体制運動の情報を聞き出すように言われるが、ゲイは闘志を好きになる。そして・・・
#ウィリアム・ハート が演技賞を総ナメ、この頃は勢いに乗ってたね
周りがラテン・アメリカ!の中でいかにもアングロサクソンなウィリアム...
周りがラテン・アメリカ!の中でいかにもアングロサクソンなウィリアム・ハートがいる違和感。ラウル・ジュリアもミスキャスト。この役はゲイが一目惚れするくらいの美形でセクシーな俳優でなければ。劇中映画の「蜘蛛女のキス」もしょぼい。もっとゴージャスでグラマラスなものにしなければ。そうすれば汚く暗い牢屋でモリーナが夢見るように語るリアリティーが出てこない。
観る人を選ぶ
何だろう、このインパクト。
切なさなんて言葉では表現しきれぬ、心をかき乱されるような思いが後を引く。
忘れたくとも、忘れられない。
人が人として扱われないこと。
人が人として認められること。
単なる道具として、人をみなせた時代。
そんな中で、自分の心だけが知っている、為し得る信義。
報われる想いってどういうこと?
心に楔が撃ち込まれるようだ。
絵的には、美的ではない。
髭面・傷だらけでやせ細り、革命の闘志として、目だけがギラギラしているヴァレンティン(ラウル・ジュリア氏)。
トランスジェンダーなんだけれど、体がごついモリーナ(ウィリアム・ハート氏)。
場所は刑務所の一室。
しかも、人を人として扱わない時代の物語。
モリーナが語る映画?・モリーナ作の物語?が映像化されるが、セピア色。美男美女が出てくるんだけれど、顎を挙げて、見下すように人を見る女性が出てくる(ソニア・ブラガさん)。イワン・クラムスコイ氏の『忘れえぬ女』をもっとツンツンした感じ。しかも、手のジェスチャーが大仰で見栄を張って舞台の真似をしたようで、私にはしっくりこない(監督が昔見た女優を再現しようとして、自ら振り付けした動作だとDVDの解説で聞いたような)
だのに、次第に目が離せなくなる。
と同時に描かれる拷問の残酷さ。
そのために、体だけでなく、人格が崩壊していく様も描かれる。
その対比のような献身。
そして疑念・裏切り…。
努力すれば報われるなんてことは奇跡のような日々。
途中で挟まれる、モリーナの語る物語。
モリーナの隠れた意図や、ヴァレンティンが興味を持つように、”語り”を変えてくる?
単なるモリーナの現実逃避じゃないように思える。
どうしてこんな展開?そしてこんな展開を二人はどう受け止めるんだろう?
そんな、心がささくれ立ちそうな物語の中で、ハート氏演じるモリーナが、とても美しく、優しく、”女性”として虜になっていく。
蜘蛛の糸にからめとられ、生き血を吸われるような運命は感じ取れないけれど、目が離せない。
そしてラスト。忘れられない映画となる。
正直、好みがわかれそうで、誰にでも進められる映画ではない。
でも、個人的には何度も見返して、細部まで堪能したい映画。
《2021.9.23追記》
☆バート・ランカスター氏が、モリーナ役としてオファーされていたけれど、断られて、ハート氏になったとか。『家族の肖像』のランカスター氏なら、ランカスター氏のモリーナも観てみたかった。蜘蛛の糸が絡みつきそうだ。
☆モリーナが語る映画?の中の女のイメージって『サンセット大通り』のノーマ?
女性とは何かを考えさせられる映画だ
ゲイとテロリスト
交錯する筈のない二人が強制的に交差させられる
蜘蛛女の例え話がゲイのテロリストへの心情
続く愛の告白と、それに応えて抱き寄せるテロリスト
蝋燭の火が消され、小さな赤い芯だけが画面に映る
前半に展開されるテロリストへの献身的な面倒見が、強い男であらねばならない強迫観念に疲れはてた男を癒していく
疲れはてた男に必要なのは優しい女性の心であって、物理的な女性の肉体ではないと言うところにテロリストは遂に辿り着いたのだ
女性であるか否かということは、その心が女性的な優しい心かどうかであって、肉体の差異ではない
これが本作のテーマであった
毒を盛られて便を漏らしたテロリストを甲斐甲斐しく面倒をみてやるゲイはまるで子供の面倒をみる母のように優しい
愛の告白を受け入れられ、肩を預け甘える姿
女性以外の何者でもない
苛烈な闘争に神経と肉体すり減らした男に必要なのは、その精神を支えてくれる女性の心なのだ
女性としての肉体よりもそれが必要なのだ
それこそを渇望しているのだ
前半の映画の話は、テロリストの背景を我々が理解する為であり、同時にテロリストの精神を支える女性としてのこまやかな支えの為の懸命な行動であったのだ
保釈され出所するゲイとの別れのキスは、男と男の強い握手に勝る、愛の信頼関係による誓いだ
ゲイは愛の為に死ぬ
そして女性の支えを失ったテロリストが拷問の苦しみから逃げこんだラストシーンの幻想はあの蜘蛛女の南洋の島であった
そう後半は壮絶な愛の物語であったのだ
男には女性が必要だ
けれども女性は肉体的に女性であるからといって、本当に女性なのかどうか
貴方は男に女性の心を与えられるのだろうか
うかうかしていられないのではないだろうか
モリーナの幸せはそこに
25年も前、ニューヨークのブロードウェイで「蜘蛛女のキス」見ました・・・
が、何の予備知識もなく飛び込みで入ってみた劇場。
だから何がなんだかストーリーの全てがさっぱり解らぬまま終演のカーテンコール????
僕は舞台の正面から蜘蛛女にまっすぐ睨まれて、仕方なくスタンディングオーベイションに立ちあがったら、僕以外の観客はすでに総立ちだったんですねー、後ろ振り返ってびっくり。
最前列の真ん中の席だったから、そりゃあ蜘蛛女にも睨まれるわな。
今回DVDで初めて筋書がわかりました。
背景難しすぎでした。
僕の英語力ではムリでし
た、立てんわ(笑)
反目しあっていた二人がなぜ一つのベッドに入ったのか。
ブロードウェイの最後の幕で、ステージ全体に張られたロープのクモの巣をなぜ蜘蛛女は怒りと悲しみの形相でかけのぼっていったのか。
四半世紀を経てやっと物語がわかりました。
モリーナは、夢も救いもないこの世から逃れて同房の彼と蟄居していたんだね。あのメルヘンの時間だけが、彼女の平安の日々だったんだよね。
だから、監獄の壁に守られたあの褥(しとね)だけがきっと一切の過不足なく完成されたモリーナの夢の世界だったんだろうな。
結末は、母親との再会もレジスタンスとの連絡も、あの彼女の釈放後を襲う急転直下の破滅はあまりにも稚拙で、残酷で、見ていて辛かった。
もしピストルで撃たれていなかったとしても、モリーナは無理やり外界に引きずり出されたことで命を終えていたでしょう。
僕は思うのです、
みんながみんな闘う必要なんてないんだよね!?
男らしい男と一緒に暮らすことだけが彼女のたったひとつの願いだったのに。
悲しい。
キス
ゲイ、過激派、テロリスト。
沢山のレッテルを貼って、沢山のレッテルを貼られて、私達は簡単で単純な判断方法を身につけていく。
お互いに見えている世界が違うロマーノとヴァレンティノも、はじまりはそう。彼らは、他者を受け入れるつもりも余裕もなかったけど、一緒に過ごす時間の中で、ロマーノはヴァレンティノを愛し、ヴァレンティノはロマーノを信頼した。
つもりも余裕もなかったはずなのに、人生は他者と出会うことによって、自分の見えなかった世界が急に見える時がくる。見えなかった世界が見えた時が、自らが持つ偏見と向き合う時。
そんなふたりが交わした「キス」は、人に対する間違った思い込みは信頼や愛に変化するということを表している。
愛するヴァレンティノを想い、赤いスカーフを巻いて死んだロマーノ。
死を前にして恋人の夢を見るヴァレンティノ。
彼らが再び「キス」を交わせるのはいつになるのだろう。
かっこいい映画だった
ゲイの描写が激しかったらいやだな~という先入観で長年、気になりつつも見ていなかった。獄中でサスペンス仕掛けの実にストイックなかっこいい映画だった。そしてゲイの映画を見るたびに、ゲイの主人公を好きになってしまうので恐ろしい。ウィリアム・ハートの優しさと弱さと誠実さが素晴らしかった。
ウィリアム・ハートの語る映画の中の主人公の女は、ナチの味方をして死んで行くのが奇妙で、ひっかかる。どんな意味があるのだろう?
ただ、あまりに淡々としていて眠くなった。
フィクションが人を救う
若い頃ウィリアム・ハートの大ファンで
(「白いドレスの女」カッコ良かったなー)
ものすごく期待して「蜘蛛女のキス」を劇場に観に行った訳ですが…。
まだ、若かった私には???だらけで。
カッコいい筈のウィリアム・ハートは何だか大変なことになっているし。
ちょっとしたカルチャーショックを受けたものでした。
何だか分からないなりに
フィクション(映画とか小説とか個人の妄想とか)は人の魂を救うんだなーという事は分かった。
(国とか社会とかは救わないかもしれないけどね…)
あと、ラストシーンが未だに忘れられない。
訳わからないなりに号泣しました。(映像的には大笑いしてもいいくらい滑稽だったのですが…)
観た時は?でしたが、何十年たっても思い出す映画です。
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