禁じられた遊び(1952)のレビュー・感想・評価
全42件中、1~20件目を表示
子供らしい残酷で無邪気で、そして愛に満ちた映画でした。
お墓作りに夢中になり、挙げ句の果てに、人様の十字架を盗み出してしまう、まるで死ぬことや命のことを未だ理解していない、そんな子供らしい残酷で無邪気な姿を捉えた映画――そんな風に目に映ったのですが、果たしてそうでしょうか。子供は素直で純粋です。大人達は(確かに身近な人を失い悲しんではいるのですが)十字架の権威ばかり囚われていて、そんな彼らを二人の子供がからかっているかのような、そんな風に捉えたのは私だけでしょうか。そして、ミッシェルは大人達に問いかけます。十字架を取るか、愛すべきポーレットを取るのかと。その問いかけに、あろうことか、ポーレットを選ぶ振りをして、十字架の在処を聞き出すだまし討ちをしてしまったのです。これにミッシェルが憤慨するのは当たり前です。その、荒れるミッシェルをただジッと見守るミミズクの姿が印象的でした。そのミミズクにミッシェルはポーレットから貰った首飾りをプレゼントします――そう、自分を認め、慕うべき相手はそのミミズクだけになってしまった。そして、引き取られていったポーレットは、あれほど生き物の死を弄んでいたかのような少女は、自分を慕ってくれた少年の名を叫び、少年を求めて走り去ってしまう。形式的な葬儀や、十字架の権威では無く、本当に愛すべき相手を知っていたのではないかと、私は感じました。
とはいえ、やはり古い時代、戦時中の厳しい時代の世界です。そんな大人達のことを責めたくはありません。戦争で翻弄され、貧しい生活しかしらず、病気や怪我で死んでしまっても、なすすべもなく故人を見送るしか無い。そんな死ぬような大怪我をしている相手に下剤を飲ませてどうするのか、そんな無知な彼らの姿も物悲しい、それでも家庭と生活を守るために、必死で働いて生活をしている彼らのことを、繰り返しですが、決して攻めたくないのです――やがては、我々もそうなのでしょうか。未来の人から、我々も哀れみの目を向けられるような、無知で物悲しい生活を送っている罪深い大人達であるのかもしれませんね。
ともあれ、いろんなことを考えさせられた素晴らしい映画でした。
時に人は悲劇に心を動かす
あどけない子供の無邪気な遊びが、保護者の逆鱗に触れ、少女はすべてを失う。強烈な印象を受けたラストの哀しい呼び声。そしてなんといっても、印象的なギターの調べ。戦争の影は、いろんなところに影を作り、子供にも容赦なく襲い掛かる。これは、日本語タイトルの付け方の見本のような名作でしょう。
子供たちから見た死
まごうことなき名作。
空襲で両親を亡くした少女と、彼女に恋した農民の男の子。
親を埋葬してもらえなかったからこそ、ポーレットは亡くなった動物たちを弔おうとしたのか。
子供の無邪気さと好奇心、知識がない故の恐れ知らず。自分自身の幼少期を思い出し、胸が熱くなった。
主題歌の恋のロマンスは、シンプルでありながら演奏難易度の高い、映画史に残る旋律。
「橋の上のママとパパのところ」
ミシェルの抵抗虚しくポーレットが警察に保護されるシーン。無力感を自分を裏切った親への怒りで塗り固め、彼女を残し水車小屋へと走り去るミシェル。怒りに任せて彼女の為に作った箱庭のような墓地を破壊し十字架を川へと放り込む。これは親への復讐だろうか、それとも彼女の痕跡を消し去ろうとしているのだろうか。
そこをポーレットを乗せた車が音と砂煙を残して姿無く走り去る。その後ポーレットの壊れた首飾りを引き千切ろうとして思い留まり、100年預かってくれと言ってフクロウに託す。優しくフクロウを撫でながら。
きっとアメリカ映画なら、ミシェルはポーレットと一緒に親と警察から逃げ出すだろう。ディズニーなら、フクロウを撫でたところで何かしらの魔法が起きるだろう。ジブリならドーラが出てきて喝を入れただろう。だが、この作品では何も起きない。ミシェルはポーレットとの事を過去のことにして舞台から退場する。それがこの後のラストシーンを一層悲劇的なものにしている。
ラスト、喧騒の中でミシェルという名を耳にするポーレット。ミシェルの名を連呼しながら辺りを見回す目が、抱き合う男女を捕らえる。か細い声で二回ママと呟いた後、今度は助けを求めるかのようにミシェルの名を何度も叫びながら画面の奥へと走り去っていく。
ミシェルがポーレットを探しに来ることはない。それを知っているだけにとても辛い。彼女の不透明な未来を危惧すると共に、同じ境遇の多くの子供が喧騒に紛れて届かぬ声を上げているのではないかという想像を掻き立てられて、とても恐ろしくなる。
…
吐血をした兄を見て洗濯の心配をする娘。息子の死に涙しながら、スプーンにとったひまし油を瓶に戻す母。翌日娘に隣の息子に惚れるなよと軽口を叩いた後に妻の尻を叩く夫。値札を付けたままの十字架。墓穴から出るのを手伝た喧嘩相手を穴の中に残して走り去る父。我が物顔の蝿達。
場違いに思える行動や台詞が、感情や生活の生々しさを強調しているように思う。
…
近くに迫る戦争と、隣人との諍いという組み合わせから「イニシェリン島の精霊」を思い出した。
悲しいがナィーヴで美しい
よい映画だと思った。
冒頭シーンが鮮烈。逃げ惑う人びとを機銃掃射がしつこく追う…。まるでゲームのシーン。しかしターゲットが生身の普通の人間たちだから気分が悪い。機銃掃射の玉が、速く鋭く重い、凄いパワーをもったヤバいものだと、ビンビン伝わる。尊厳だの思いやりだの命の尊さなんぞかけらもない。私たち人間はこんなことをしているのだよと、しょっぱなからガーンと叩きつけられた。
ポーレットとミシェルの弔いごっこの世界は、それとは真反対な世界だった。虫けら一疋のいのちでさえ神秘に満ちたものとして丁寧に扱われる。そこには安らぎ、共感、慰めがある。大好きなポーレットのためにミシェルは様々な十字架を掻き集めてくる。そうして出来あがった墓の山の数々は、なんと温かみがあり美しいことか。
田舎人と都会人(ユダヤ人?)の対比、カトリック教会のありかた、ドレ家の良心的だが現実的で鈍感な人びと、兵役など、色々な角度で気になる
でも何より子役ふたりのきれいな瞳と、せつなく美しい音楽、それらのナィーヴな魅力にこころをぐいっと掴まれる。
禁じられた十字架遊び‼️
ナルシソ・イエペスの有名すぎるギター曲がホントに忘れられません‼️"禁じられた十字架遊び" に夢中になる二人の子供たちを通して戦争の悲惨さを描いた反戦映画の名作なのですが、凄まじい緊迫感が盛り上がる空襲シーンの恐ろしさ、死んでしまった母の頬を撫でるポーレットといったリアリズム描写、一転して幼い子供たちの会話や十字架遊びのシーンの微笑ましい詩情性が対照的に描かれ、そして「ママ、ママ」と叫びながら、ポーレットが駅の人混みの中へ消えていくラストシーンの絶望的な悲しみまで、ドラマチックに盛り上げる主題曲の存在感はホントに素晴らしい‼️この作品を観ていると映画にとって音楽がいかに大事か痛感させられます‼️
まるでジブリのよう
「愛のロマンス」
このギターの曲、こんな名前だったのですね
最初にこの映画を見たのは たぶん中学生の頃
見るには見たけど少しも心に残っていなかった
戦争のせいで孤児になったポーレットが少年とお墓を作って最後は迷子になって終わり
かわいそうだな〜 くらいにしか思わなかった
少年の名前すら知らなかった
ミッシェル、そう、彼はミッシェル
これはポーレットとミッシェルのほんのささやかな小さな小さな恋の物語だったのですね
牛を追う途中でポーレットと出逢い恋が何かもわからないまま好きになってしまったとでしょう
ポーレットもまたミッシェルを好きになり共にいることが唯一の楽しみでとても幸せだったんじゃないかな
とても幼いポーレットとミッシェルの恋の物語
戦争が作り出した出会いと別れ
ポーレット、どうか幸せになって下さい
ナルシソ・イエペスのギターは長調で終わる。
さて、この少女の運命をどう見るかなんだが『少女終末旅行』や『この世界の片隅に』と同じ結末もあるのではと考えている。
ポーレットにとっての終末旅行なのかもしれない。勿論、この監督はそう描いてはいない。しかし、その表現には、ナチスに屈して悲劇を産んでしまったフランス人の贖罪が、込められている様な気がする。
原題と邦題は同じ『禁じられた遊び』だが『何が何に対しで禁止されているのか?』と考えると『奥が深い答え』が見えて来る。
それが見えた時、私は鳥肌がたった。『逃げろ!ポーレット!』と思った。しかし、思い過ごしか?ナルシソ・イエペスのギターはそれまでの短調から一転して、長調で『FIN』があらわれる。
永遠に名作であり続けるでしょう
今からおよそ70年ほど前の映画。
時代や予算による撮影や編集の粗さはあるけど
大人目線だけで鑑賞すると気持ちがぶれる。
戦争による犠牲
素朴で純粋な姿
語るメロディ
彼らに手を差し伸べたくなったら
物語の核心に触れた証拠。
※
幼な子の瞳に映る「死」
1952年(フランス)監督:ルネ・クレマン。原作:フランソワ・ボワイエ。
舞台は1940年6月のフランスの田舎町。
5歳のポーレットは両親と犬とで疎開の途中、ドイツ軍の空爆に合う。
橋の上で機銃掃射により両親と犬は爆死してしまう。
彷徨っていたポーレットは農家のドレ一家に助けられて寝泊まりさせて貰う。
ドレ家の末っ子ミシェルとポーレットは気が合い友だちになる。
わずか5歳のポーレット役のブリジット・フォッセーが、年端もいかない幼女を
マセた表情で無邪気に演じている。
ポーレットには両親の死が本当はよく分かっていないのではないか!!
死を当たり前に目にする非常時に、神経は麻痺して両親の死が実感として湧かない。
事実ポーレットには涙も取り乱すこともない。
むしろ死んだ愛犬の死を余計悲しんでいるように見える。
ミシェルから、弔いの言葉や、墓には十字架を飾ることを聞く。
墓に惹かれたポーレットは、モグラやひよこの死体を埋めるのにも、綺麗な十字架を欲しがるのだった。
新聞もすらすら読めるし、家族に代わってお祈りの言葉を献げる頭の良いミシェル。
彼には十字架を奪うことの意味が分かっていた筈です。
そしてポーレットの身に起こる出来事。
彼女が戦災孤児だということを嫌と言うほど知らされます。
たった3晩の出来事。
その3晩でポーレットの運命は激変している。
戦争がポーレットの幸せを一瞬にして奪った。
冒頭から何度も流れるテーマ曲「愛のロマンス」
日本では「禁じられた遊びのテーマ」として愛されている名曲です。
ナルシソ・イエペスがギター1本で演奏しています。
戦争の悲惨を静かに訴えています。
う〜ん… もっとイノセンスな映画かと思ってた…
すっかり存在すら忘れていた映画だったが、先日まで開催されてた「楳図かずお大美術展」における『わたしは真吾』のパラレルワールド”Zoku-Shingo”のBGMとして、あの懐かしの名曲が流れていて、妙に心に残っていたのだが、
今月いっぱい一週間だけアップリンクで上映!2Kリマスター版!しかも、日本最終上映ではないか!
まあ日本最終上映っていうのは、いつも結局は最終ではなかったりするのだが…
また『気狂いピエロ』をやるようだし。
とは言え、この映画は本当に暫くは上映が無いような気がしたので、吉祥寺まで行ってみた次第。すると平日お昼前にも関わらず、ほぼ満席状態。
元々、窮屈なミニシアターは嫌いなので、Amazon prime で観てメチャクチャ良かったら、後日改めて行こうかと思い、画質は悪いだろうとは思いつつも、鑑賞してみたのだが…
もっと救いようがないほど、理不尽かつ切なくイノセンスな映画かと勝手に想像してたので、ちょっと予想ハズレだったかな。
あのルネ・クレマンなら、もうちょっと脚本は、どうにか出来たと思うけどなあ。3人で脚色したのが裏目に出たか?
両親の死よりも愛犬の埋葬に夢中になるなんて、4〜5歳くらいの女の子にしても、やはり無理がある。
少年の方も10歳くらいにはなっていたと思うので、既に其れ相応の倫理観は身についているはず。あのエスカレーションはないだろう。
あの展開で敢えて突っ走るなら、もっと子供特有のダークなギャグを連発しないと!フィクションとしてのリアリティが出てこない…
無垢というよりは、仏語や英語の本来の意味でのNaiveって感じ。
あと、冒頭の犬の扱いの酷さには唖然としてしまった。あの足の痙攣は毒でも盛ったのか?死後硬直も全くぬいぐるみには見えなかったなあ。あの時代では、動物愛護の倫理観など、未だ無かったのだろうか?
最後の少年の呟きは、名台詞だったとは思うし、あのフクロウもなかなか名演だったとは思うが、結局のところ、名作と言われ続けているのは、全てあの名曲のおかげなのだと思う。
半世紀ぶりに観た名作が実はエスプリがガッツリ効いた反戦風刺コメディでした
この作品とともに記憶に残っているのはナルシソ・イエペスが奏でたあのアルペジオ。あれも“禁じられた遊び“と呼ばれることが多いですが“愛のロマンス“と呼ばれたりもします。実際あの曲が映画に使われたのは実は2度目で、1941年の『血と砂』というアメリカ映画が先であるとのこと。であれば“禁じられた〜“と呼ぶのはちょっと違和感があるので“愛のロマンス“がぴったりきそうですが、個人的にはRomance Anónimo、“名もなきロマンス“がいいなと思っています。実際作者不明の曲でその起源については諸説ある作品。元はウクライナ民謡ではないかという説もあったりして非常にミステリアスで興味深いです。
驚異的なのはナルシソ・イエペスは当時弱冠24歳、そんな新進気鋭のギタリストがギター一本で劇伴を丸ごと仕上げているということ。パリでたまたまルネ・クレマン監督と出会い、映画は撮り終わっていたもののどんな劇伴をつけてよいか迷っていた監督に依頼されたようです。既に予算も使い切っていたのでギターだけの劇伴隣、ひいては世界中で知られる名曲となったわけですから、名作というのはその周りに転がっている逸話までがキラキラと輝いています。
70年前の作品であることを忘れるくらい新鮮でみずみずしい作品。そして実に意外なことに切れ味鋭いエスプリが効いた風刺コメディ。冒頭の戦争映画さながらに凄惨な空爆シーンに度肝を抜かれますがその後はミシェルとポーレットが繰り出すキュートなボケツッコミも素晴らしいですが、村人達が繰り広げる微笑ましい喧騒にもイチイチ爆笑させられるのであの余りにも有名なラストシーンの切なさが俄然際立ちます。そして何よりミシェルとポーレットが始めた“禁じられた遊び”が象徴するものが今もなお繰り広げられている現実に沈鬱な気分となります。
悲しい物語
クラシックギター入門で有名な曲
禁じられた遊びってどんな「遊び」なんだろう〜と思ってあらすじを観たら墓地や教会から十字架を盗んでお墓を作る遊び…
想像を超える禁忌でとても驚きました。
大人からしてみれば、墓作りが楽しいなんて到底理解できないが、ボーレットにとっては死の悲しみを取り除く素晴らしいものに思えたのだろう。
この映画の魅力は、子役の2人と、クラシックギターの素朴で物悲しいメロディに詰まっている。
きらびやかなヴァイオリンには出せない儚さがギターにはある。
ボーレットのミシェルを呼ぶ声が頭から離れない。せめて人並みに幸せに育って欲しい。。
良かった点
フクロウが可愛かった
良い映画
昔の作品なのに退屈しなかった。
長すぎる間や展開の遅さが昔の映画の醍醐味かもしれないけど、それでも、現代に生きる私にとっては、感動する映画でも退屈に感じる時がある。が、この映画は、ずっと見てられた。
なんといっても最後が切なかったよね。
あとは、映画とは話がそれるがミシェルが抱いていた犬が本物なのかそうじゃないのか気になる。映画のために動物殺すなんて、よくないな。昔の映画は、平気で殺しちゃうよね。
超強力な反戦映画
まだ年端もいかない少女ポーレットが、 機銃掃射で人を殺しながら爆音を響かせて飛び交う爆撃機の下を、子犬を追いかけて走る。 その光景が、実際に見てしまったかのように焼き付いてしまった。 若い頃に一度観た名作だが、歳をとってから見ると、かなり精神的にキツイ。 ラストシーンの後は、なんともやりきれない気持ちが残ってしまった。
ポーレットにとっては、戦争も、両親の死も、十字架遊びも、きっと大差はない。 何を優先すべきかといった判断力もない。 彼女はまだ、快が不快かを他人に伝えることぐらいしかできない幼児なのだ。 そんな幼い彼女が、戦時下の無常な状況変化に翻弄される。 そして最後は、「ママー、ミッシェル」と泣きながら、雑踏の中へと姿を消していくー。
この映画の凄さは、幼い子供のいたいけな姿を見事にフィルムに再現していることに尽きる。 ただそこだけだと言ってもいい。 誰も他人を助ける余裕がなく、物資はおろか、人の優しさまでもが極端に不足した戦時下で、状況になんとか反応する力しかない幼児が、両親を亡くしてたったひとりきりで泣いているのだ。 映画の中の物語とはいえ、この状況を見て心穏やかでいられる人はいないだろう。
どの国でも実際の戦時下では、孤児になったり一人で死んでいった幼児など数えきれないほどいたはずだ。 当時は、手を差し伸べられなくても仕方がないで済まされた。 というか、済ますしかなかったのだろう。 しかし、少なくとも平和な現在では、いや、平和でなくとも、もう絶対に許されないのだ。 幼い子供の心に重い痛みを負わせることも、一人きりにさせることも、絶対に許されない。
禁じられた遊びとは、戦争のことを言っているのではないかと思う。 制作者たちの戦争に対する激しい怒りが封じ込められた、超強力な反戦映画である。
【”無垢なる罪” 哀愁帯びたナルシソ・イエペスのギター独奏”愛のロマンス”に彩られた反戦映画の名作。】
ー 第二次世界大戦中、ドイツ軍によるパリ侵攻からの逃避中、機銃掃射により、両親と愛犬を喪ってしまった5歳の少女、ポーレット。
独り、川に投げ込まれた愛犬の亡骸を胸に、彷徨う中、11歳の貧しき農民の少年ミシェルと出会う。ミシェルから”死んだら、土に埋めて十字架を供えるんだよ・・”と言われる。
ポーレットは、ミシェルの家に引き取られ、二人は、様々な小動物、虫たちのお墓を作る。
だが、そのお墓に備える十字架が、無かった・・。。ー
◆感想
1.この作品を名作にした要因は、観れば分かる。
・その一点は、戦災孤児となってしまったポーレットを演じたブリジット・フォッセーの無垢なる可愛らしさと、彼女を懸命に楽しませようとするミシェルの子役二人の際立った魅力である。
・もう一点は、40歳以上の映画好きであれば(映画好きでなくても・・)一度は耳にしたと思われる、ナルシソ・イエペスによる哀愁に満ちた『愛のロマンス』のギター独奏の音色である。
2.無垢なるミシェルが、ポーレットを喜ばせるために、小動物、虫たちのためにお墓を作り、14本の十字架を教会や霊柩車から盗んで来てしまう姿。
一方で、聖書に通じた彼は、自らの罪を告解するのである。
そして、彼らの罪が明らかになり、ポーレットは赤十字に連れて行かれる・・。
<1952年製作、日本公開は1953年の、ルネ・クレマン監督の、反戦映画の名作である。
撮影技術が飛躍的に進歩した現代でも、十二分に製作者たちの反戦の想いが伝わる作品でもある。>
・小学生時代、映画好きの父親に”この映画は観なさい。”と言われ観賞したが、哀愁を帯びた音楽のみ記憶に残る。
<2018年10月頃 長野県長野市の千石劇場にて、初めて字幕版を大スクリーンにて鑑賞>
<2021年8月9日 別媒体にて再鑑賞>
尺は短めだがしっかり重い
ただただ悲しかった…。世の理をまだ知る前の少女と、少しずつ知る渦中にいる少年、そして知った気になっている大人たちとの無邪気で残酷なバランス。ギター一本のテーマ曲がまたシンプルで胸にくる。
全42件中、1~20件目を表示