キッド(1921)のレビュー・感想・評価
全28件中、1~20件目を表示
100年という時代も
100年という時代が経っても変わらないものがある作品だと感じた。
セリフない字幕だけの映画でもモノ語りとしてしっかりと見応えのある作品だった。
途中の夢の国という演出は、どういう意味があったのか?
理想だけの生き方には、どこにもあるかもしれないけど、理想というものには罪が入る事によってそれが争いを生むというメッセージだったのか。
実の親以上になる関係性を描いた作品
いまの世でも通じるストーリーで面白かったです。
【「笑いとたぶん涙の物語」今作で主演のほかに、監督、脚本、制作、作曲まで務めているチャールズ・チャップリンってヤッパリ天賦の才を与えられた映画人だなあ、と改めて思う作品。】
■ストーリーを一応記す。
ひょんなことから捨て子を拾ったちょび髭男は、貧しいながらも赤ん坊を懸命に育てる。
5年の時が過ぎ、少年となったその子供キッドとは本当の親子のように暮らしていた。
一方、キッドを捨てた母親は人気女優として成功していたが、自らの過去を悔いていて、貧しい人に罪滅ぼしのように施しをしているが。
◆感想
・僅か50数分の尺の中で魅せられる見事な起承転結の親子の絆を笑いと涙で綴ったヒューマンコメディである。
・今作の魅力はヤッパリ、子役を演じたジャッキー・クーガンの可愛らしさと面白さに尽きるなあ。勿論、チャールズ・チャップリンは別格として。
<チャップリンの子育てに奮闘する姿や、キッドとの親子のやり取りはユーモアと愛情に満ちている。
今作で主演のほかに、監督、脚本、制作、作曲まで務めているチャールズ・チャップリンってヤッパリ天賦の才を与えられた映画人だなあ、と改めて思う作品である。>
チャップリン作品初レビュー
過去数回鑑賞
今回はYouTubeで鑑賞
今回は53分版ではなくオリジナル68分版
1921年のオリジナル版
53分版は1971年再編集
捨て子を拾った男が渋々育てるハメになる話
赤ん坊からいきなり5年後
その5年間はとても大変だっだろうに割愛
粗筋
子供を捨てた母親は後悔しすぐに捨てた場所に戻ったが他人の車は泥棒によって盗まれていた
やがて母親は芸能界で成功しスターになり過去の過ちを悔い慈善活動していた
少年は男の子供でもなんでもないことを知った役人は引き離し強引に施設に預けようとしたが男は奪還
なんやかんやで少年は母親と再会
男は母親と息子の住む家に入って行った
子役スターのジャッキー・クーガンの演技力がとても良い
施設に連れていかれそうになり男に助けを求めるシーンの表情は天才的
警察官と男とのやりとりが面白い
詐欺まがいのガラス屋のシーンで警察にグルとばれないように退場する名場面
やはり今回も安宿のシーンが衝撃的
まるで野戦病院
個室じゃないのかよ
外で寝るよりはましだろと
ベットで寝るだけ
そういえば天使になる夢のシーンってありましたね
あったっけ?
あとリタ・グレイの役名が「誘惑の天便」になっているけど「天便」じゃなくて「天使でしょ」
どうやったらそんなミスするんだよ映画.comさんプロでしょ
もっとしっかりしてよ
CC先輩 初長編はペーソス100%
説明不要の作品ですが、年譜を確認すると前後に短編のスラップを何本も撮ってます。
配給元との契約上らしいですが、本当に作りたかったのはこちらなんでしょうね。
スラップ殆どありません。並み居る喜劇役者とCC先輩が一線を画している意味がよく理解できる不朽の名作です。
皆さんはこの映画を微笑みと、そして一粒の涙とともにご覧になるでしょう
もう製作されてから100年以上経つんですね、信じられない。いつ観ても全編にあふれるチャップリンの愛と優しさに胸が熱くなります。チャップリンはもちろんですが、天才子役のジャッキークーガンの演技が素晴らしくて、チャップリンを助けて詐欺を働くときの愛らしい姿とか、孤児院の車に連れ去られそうになる時の泣いて助けを求める演技など、本当に感動的‼️
悲喜劇の傑作
捨て子を拾って育てることになったチャップリン、
本当の親子のような関係になるが、二人は引き裂かれてしまう…
チャップリンのコメディセンスは抜群で、加えてとにかく子供が可愛いから最高。
サイレント映画でも二人の愛情が伝わってくる。
笑いだけで無く二人が引き裂かれようとする展開はとっても悲劇的で悲しい。
ラストはとっても暖かい気持ちになった。
歴史は繰り返す
1921年の映画ですからねぇ。
でも、こう言う事って、更に悪化している訳でしょ。映画じゃ貧富の差なんて埋まらないし、社会は変えられない。分かっているけど、人類は百年経っても同じ事をやっている。なげかわしい。
再発見!
ずっと前から見ていたつもりになっていたのに
半分までしかストーリーを知りませんでした
今の世でも赤子を授かっても育てられずに殺めたり捨ててしまう方が少なくないようです
いろいろ事情はおありでしょうがその子にだって生きていればいいことだってあったはずです
この映画には未来がある、血の繋がらない親子でもホントの家族になれるのです
日本のドラマでもあったでしょ
「池中玄太80キロ」(古いな〜)とか「義母と娘のブルース」などなど
ここらの元祖はやはりこの映画『キッド』ではなかろうかなどと思ってしまいます
私自身に子供ができてからでしょうか、子供関係で涙もろくなったのは
虐待のニュースを聞いては心底腹が立ちドラマや映画での軽い感動シーンにもぽろぽろ涙がこぼれたりと恥じらうことなく思い切り泣いてます
やっぱり何十年たってもチャップリンは素晴らしい。
劇的なストーリー展開に導かれたチャップリンワールド
身寄りの無い女が母になった。途方にくれたまたま留まっていた車に子供を置き去りにした。車の持ち主は子供を路上に捨てた。捨てられた子供を拾い上げたチャップリンは果たしてどうする? 考え直した母親からするとたまらんだろうね。50分の短編だが、ほのぼのとした笑いと子役との呼吸は見事なもの。この作品は初めて観たけど、劇的なストーリー展開に導かれた名作チャップリンワールドに魅了されたね。
1時間程度の映画でこれほど感動するとは
最後、実母の家に招かれ、出てきた子供と抱き合っての、非常にサラッとしたエンディング。でもこのサラサラ感がいい。刑務所に入れられ、子供と再会することは絶望的、・・・と直前まで思っていた私にとっては、何とも予期せぬ感動的な含みを持たせた、余韻のあるエンディングだった。もしかしたら、未亡人の彼女と恋が芽生え、子供とも一緒に暮らすことができる、そんな見る者に期待を持たせたチャップリンの心温まる演出に脱帽だ。
銀幕に悲喜劇を持ち込んだ草分け的作品
民族の祭儀としてではなく、文化的な演劇(ドラマ)の歴史は紀元前5世紀頃の古代ギリシア悲劇に端を発すると思う。同時期に喜劇も誕生し、ギリシア喜劇を意味するコーモディアがコメディの語源となった。
アリストテレスは「悲劇は優れた者を描くのに対し、喜劇は劣ったものを描く」と定義した。
それ以降、人の長い歴史において「悲劇・史劇」は高尚で価値のあるもの。
「喜劇」は悲劇の前座や休憩時の添え物という位置付けを余儀なくされてきた。日本の芸能史においても、能と狂言の関係性には似た構造を感じる。
シェイクスピアはそこに一石を投じた。「終わりよければすべてよし」「尺には尺を」「トロイラスとクレシタ」の3作品は悲劇とも喜劇とも分類しがたい「問題作」として、研究者を唸らせた。
そしてチャップリンの「キッド」は、シェイクスピアに勝るとも劣らない、革命的概念を演劇(ドラマ)界に持ち込んだ。
喜劇の中に、切ないまでの悲劇と、人間の根底にある情愛を見事に描いて見せたのだ。
本作を通して、喜劇は悲劇の添え物、メインディッシュの付け合わせであった長い歴史に終止符を打った!
人生はクローズアップで見れば悲劇だがロングショットで見れば喜劇だ、とチャップリンは言った。
だから、もしも我々が今、現実問題として辛い悲劇に見舞われていようとも、長い人生史の観点で見れば違った意味も見えてくるだろう。
ご存知の方も多いと思うが、本作制作開始の直前に、チャップリンは第一子を亡くしている。
また、チャップリン自身、子供時代に母親と無理矢理引き離されて孤児院へ送られたのだ。そういう血肉を伴った人生経験が主人公(リトル・トランプ)と養い子が警察に引き離されそうになる時の珠玉の名場面を生み出した。
血縁ではなく深い愛情で結ばれた親子の絆。見返りなど求めぬ掛け値無しの愛が観る者の心を打つ。
当時、7歳だったJ・クーガンはチャップリンが演じてみせた通りにそっくりコピーする事が出来たそうだ。天才子役の名を恣にしたクーガンの名演技の背景にはチャップリンの天才性こそが透けて見える。
気に入ったカットが撮れるまでリテイクを繰り返し、最終的なフィルムの長さは本作の50倍に及んだという。
そんな妥協を許さないチャップリンの姿勢がこの名作となって結実した。
悲劇が高尚で喜劇が低俗であるという既成概念を打破し、悲劇喜劇は同一事象に対する観点の違いに過ぎない事を提言してみせた。
演劇史、映画史における一つの転換として貴重な価値のある作品だと考える。
観たのを忘れていたが同じ場面で泣いた
初見は多分2-30年前??BSでやっていたので多分見たよね、と思いながら見始めた。セリフがないので、そうか、このパターンか、と思いながらやがて違和感なく没頭し始める。
子供同士のけんかにボクシングのリングよろしく口に含んだ水をふきかけたり(コメディのお約束で別の人に吹きかける)、相手の子供の兄の大人とけんかすることになるけどふらふらしながらもうまくよけたり(これもお約束!)、コメディの基本がここにある。
そうこうしているうちにジョンが連れ去られそうになるシーン。車の荷台に乗せられたジョンの泣き叫ぶシーン、手の表現のこのシーンで突然この映画を昔見たことを思い出し、しかもまた同じ場面で泣いてしまった。この場面の音楽との相乗効果で一番の見どころだと思う。
映画とは直接関係ないけど、冒頭、主人公が歩いていると、ごみがつぎつぎと建物の上から落ちてくる。学校の世界史で習った、中世のフランスなどではごみの収集はなかったので家で出たごみは窓から捨てていた、という話。映画で再現されているのを見ると「本当だったんだなぁ」と感じ入った。初見のときは気付かなかった場面だった。
慈しみの心
哀愁のドタバタ喜劇、いまさら語るのも憚れるほど一時代を築いた天才チャップリンの初期の名作です。これまた天才子役ジャッキー・クーガンを得て涙と笑い、ペーソス溢れる父子物語ができました。
チャップリンも息子を亡くしたばかり、自身の貧しかった子供時代の体験も織り交ぜているのでしょう、リアリティとは程遠い白黒サイレントのスクリーンの中に生々しい葛藤の様が映し出されるのは驚きです。21世紀の今日ですら育児放棄や遺棄の報道があるのですから情けない、見方を変えれば立派な社会派ドラマでもあります。
大上段に振りかぶるのではなく喜劇を通じ人々の琴線をとらえる彼の表現手法によって人としての矜持、慈しみの大切さを伝えたことは真の賞賛に値するでしょう。
子どもは人類の宝、チャーリースピリットの純粋な映画美
「黄金狂時代」「街の灯」と併せて、チャールズ・チャップリンの本質である人間愛を讃えたサイレント映画の名作。チャーリースピリットである、食べること、働くこと、愛すること、そして夢を持つことの四つの要素が、浮浪者と孤児の実の親子以上の絆で結ばれたドラマに笑いと涙を溢れさせ、その大切さを説く。トーキーに大反対していたチャップリンは、観るだけで理解できるサイレント映画に固執した。言語や風習や社会秩序が違っても、世界のあらゆる人々の共感と共鳴を呼ぶこの名画を観れば、それも充分理解できる。映画史に残る名子役ジャッキー・クーガンへの演技指導を想像すると、子ども時代に極貧だったチャップリン自身の経験から生まれた慈愛の精神が結実したものではないか。時代や社会が変化しても、貧困と子供の問題は人類の永遠のテーマであるはず。その基礎となるべき人間愛をストレートに愛情深く表現したこの映画は、それ故に不滅の感動を与え続ける。
名コンビ
目は口ほどに物を言う
血は繋がっていなくても、互いを見つめ、もとめる
その眼差しは信頼とおおきな愛を物語っている
ヤカンを吊るして自動授乳
子どもが焼いてくれた黒こげのぱんケーキ
ガラス売り?の名コンビ誕生
ブカブカオーバーオールに穴あきズックだって
これっぽっちも不憫に思わない
一緒の日々の暮らしが楽しけりゃ何よりだもの
途中、理不尽な連れ去りでハラハラドキドキ
でも、最後は優しい終わり方で安堵した
シンプルなのに、心に染み入る。
無声映画の良さを味わいながら
笑いと一雫の涙を届けてくれました •*¨*•.¸¸♬︎
全28件中、1~20件目を表示