「幼い残酷さのもたらす虚無感」悲しみよこんにちは Cape Godさんの映画レビュー(感想・評価)
幼い残酷さのもたらす虚無感
総合:70点 ( ストーリー:75点|キャスト:70点|演出:60点|ビジュアル:70点|音楽:65点 )
退廃的生活にすっかり浸った自由奔放な少女が、その他人を思いやれない幼い残酷さをいかんなく発揮して周囲の人々を傷つけ壊していく。そんな自分の行動が自分自身にも返ってきて、何をしても幸せを感じられない虚無感にさいなまれる。でもこれだけのことをしでかしても、彼女は結局満たされない自分自身のことばかりを可哀想と思っているのだ。死んでしまったアンヌのことに罪悪感を感じるのではなく、彼女の死後の満たされない自分のことを哀れんで一年前を振り返り、そしてまず自分を哀れんでの「悲しみよこんにちは」なのだ。だからそんな自分の心を少しでも紛らわすため、今日も派手なだけの無駄な時間を無為に過ごす。退廃が作品全体の雰囲気を満たすという意味で、『太陽の季節』や『甘い生活』を思い出させる。
なんと幼く自分勝手で不道徳で堕落した少女だろうか。普通ならばただ単にこんな我侭な馬鹿女は嫌い、少しは罰を受けるべき、で終わるところである。だがここではそれ以上のものがある。それは自分の馬鹿さ加減に気がつくこともなく、自分の感じたまま思うがままにその日を生き、自分では制御できない感情が生まれて何の防御を施すことなくそれが傷つけられる様子を綴っている姿に、文学的な繊細さを感じるからである。元々の原作がわずか18歳のサガンが書いた文学作品なのだから当然といえば当然だが、恐らくは映画と同年代のサガン本人の感じていることが生々しく描写されていることにちょっとした衝撃を受ける。こんなやつが本当に身近にいたら迷惑だが、それが豊かな才能で表現された文学作品となればまた別である。
父娘が話していて声が聞こえているはずのすぐ横でフィリップとエルザが寝ているとか、アンヌが林の中を歩けば父親のエルザへの囁きがはっきりと聞こえるとか、アンヌの車が水没しているのに煙が遠くから見えるとか、作品の演技や演出にはわざとらしさがあったりして必ずしも質が高いとは思わない。でもセシルを演じたジーン・セバークの小悪魔的な美貌が魅力的だった。