「救いがない」風が吹くとき LSさんの映画レビュー(感想・評価)
救いがない
デデデデ後章を観てからずっとこの映画のことが思い出されていた。奇遇にも映画館で見られるという。TV録画で何度も見たが、劇場では初めて。
戦争に向かう世界、それをどこかノスタルジックに受け止める老夫婦。そしてデストラクション。
過去の印象は(素敵な回想シーンのせいか)ファンタジックで観念的という記憶だったのだが、見返すと著しくリアリティに寄っていた。特に生活描写、細やかな家事の仕草や家の中の動線が丁寧に描かれることで被爆の前と後が対比され、異常事態にも平常を維持しようとする努力のいじらしさと虚しさ、そしてじわじわと迫り来る終末への道の悲惨さが浮き彫りになる。後段はストーリーの起伏もないが、それは(前の大戦のような)命を賭けた戦いのスリルや高揚のない、ただ物理法則に基づく科学的な死があるのみ、という被爆の性質を表していると思える。
もうひとつ、昔は、純朴な民衆が国民保護プログラム(『防護と生存』)を盲目的に信じて騙される、という構図を見いだしていた。彗星大接近で呼吸チューブを売りつけるのにも似た、政府の欺瞞的な態度を戯画化して批判しているのだと。
大災害やパンデミックを経た今なら理解できるが、屋内シェルターの角度も何のためかよく分からない備蓄物資も紙袋さえも、国民が生き残れる可能性を少しでも高めるために科学者や官僚が真剣に考えてマニュアル化したのだろうし、その内容にも意図にも嘘はないのだと思う。
欺瞞はそこではなくて、相互確証破壊の名の下に、数千万の国民の命を危険に晒してでも守るべき国益があるという政府のテーゼに対し、テーブルに載せられた側の人々が異論を表明できない、あるいは自分がそういう状態にあることを人々に気づかせないという国のあり方にあると思い至った。(夫が防衛態勢の頭文字語を羅列するが中身は理解していなさそうだったのが示唆的である)
エコーチェンバーに陥らずに、いかに情報を咀嚼して自分で判断し行動するかが重要だと気づかせてくれる。
核の使用可能性が高まっていると言われる中でタイムリーな再映。冷戦を知らない世代の人たちにもっと観てほしい。
コメントを頂き追記:
手製シェルターの効果は、爆心から一定程度離れていれば、熱線や爆風、放射性降下物の影響の軽減が期待できるといったもので、直撃に近ければ意味がないだろう。本来は(英国がどれだけ整備していたか分からないが)地下シェルターや地下鉄駅などへの避難が優先で、そこにアクセスできない場合の代替手段なのだと思う。
生死を分ける最大の要素は被攻撃目標(政経中枢、生産基盤、人口稠密地、軍事拠点…)との距離と風向きであるという前提で(だからそこに幻想を持たない都会住みの息子はとりあわなかった)、初期の爆発を逃れた場合は救援が来るまでの間を自力で生き延びられるよう備えてくれ、というのがマニュアルの趣旨で、だからこそ一つひとつの記述には意味があるだろうと想像した。
ただしマニュアルも政府の対応手順も実地で試されてはいない。救助隊を組織できるだけの国家機構が残っているという想定は甘かったのだろう。
共感、コメントありがとうございました。
確かに、ソ連、ロシア、どっちでもいいですね。
現に、今はロシアだし。
イギリスではこんなシェルターって真面目に考えたんでしょうかね?
広島に住んでて、原爆の威力の凄まじさばかり学習してきたので、そんな考えは全く思いつきませんでした。