風が吹くときのレビュー・感想・評価
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「見えない脅威」が如何にタチが悪いか
放射能は見えない。
だからつい"シェルター”から外に出てしまう。外に置いていた瓶に入った水も雨水も飲んでしまう。(一応、沸かすけれど)やっぱり2階のトイレを使うし、ついには家の外にも気軽に出てしまう。身体への影響が即座には出てこないのでなおさらだ。でも放射能は確実に急速に身体を蝕んでいく。。。 「見えない脅威」のタチの悪さをまざまざと見せつけられた。そういえば放射能だけでなくコロナなどウィルスも同じ「見えない脅威」だ。
・もし放射能に色がつけられたら?
・あるゴーグル越しにみると放射能が舞っているのが見えたら?
・放射能がこびりついている場所だけが光っていたら?
放射能を見ることができたら、外したドアを壁に60度に立てかけただけの"シェルター”にほとんど意味がないことを、貯めてあった水や雨水なんて飲めたもんじゃないことを、2階のトイレも、ましてや家の外なんて出れたもんじゃないことが解かるだろう。逆にコロナのときに一部であったような過剰な反応も、コロナが見えていたら防げていただろう。
世の科学者は放射能やウィルスなど見えない脅威を見える化することにぜひ力をいれて欲しい。
ちゃんとカトラリーを並べてお皿で食べる。お気に入りのクッションやカーテン、壁はペンキ塗って修繕、ズボンはアイロン掛けて、破れた服は丁寧に繕う。イギリス人らしくきちっとした生活。きちっとした日常。
核はこの人間らしい生活を奪いにくる。しかも、ほんと突然に。
被爆後もカトラリーを並べて人間らしい営みを続けようとした妻。ジョークを交ぜながら妻を励まし続けた夫。しかし、なんとか人間性を保っていた夫婦もついに寝たきりに。。
幸せで仲の良い老夫婦の日常が、核のせいで非人間的な形で終わらせられようとしていることがいたたまれなかった。
※吹き替えの声、鶴瓶かなあと思ってったら森繁久弥!ええ!?もう1回観て確認したいぞ。
※単調な日常が続く(特に前半)のでウトウトも。でもだからこそ平和な日常。
※無知って恐ろしい。できあがった"シェルター”がまさかの出来で驚愕。G7首脳だけでなく人類は全員、原爆資料館に行こう。『はだしのゲン』も読もう。(『COPPELION』でもまあいいし。)
※前々から観たいと思っていた作品。ネット配信サービスになく、DVDもすげえプレミアム価格なので途方に暮れていたところ、なんとリバイバル上映が始まったではないか!この機会を逃すものかと朝早く起きて映画館に向かった。その後PrimeVideoでレンタル扱い出した模様。。。まあでも映画館だから集中して観れて良かったな。
核戦争の恐怖
映画館で観たのはこのリバイバル上映が初めて。レイモンド・ブリッグズの優しいタッチの絵柄で牧歌的な生活を送る夫婦の暮らしが徐々に追い詰められていき、飢餓の苦しみの極限を描くに至る。優しい絵柄だからこそ、苦しみと悲惨さが強調される。核戦争の恐怖を描いた名作として名高い本作だが、広く戦争の苦しみと恐ろしさを描いた作品として後世に残すべき傑作だ。
この作品には、核をめぐる80年代当時の空気感が良く出ていると考えていいだろう。漠然として核戦争によって終末がもたらされるという恐怖、その恐怖は生活をこのように侵食していくのだということを、たった2人の登場人物で描いていく。この夫婦はかたくなに政府の発表を信頼している。政府の配布した冊子の情報通りに簡素な核シェルターを作るのだが、ドアを外して立てかけただけの、本当に簡単なものなのだ。しかし、それが自分らを守ると強く信じている、なぜなら政府の情報だから。
技法的にも興味深い作品だ。アニメーション映像に実写映像も混ぜており成す不思議な空間は、虚構と現実の橋渡しをしているかのような、そんな印象を与える。この終末感は虚構の産物かもしれないが、現実にも起こり得るのかもしれないと思わせるために、手法が極めて有効に機能している。
愚民政策の行き着き先を描いたディストピアSF?
日本に育ってある程度原爆の被害について知っていると、公開された1986年時点(太平洋戦争の原爆投下から41年後)でも、イギリスの庶民って原爆の知識がないってこと?と驚くというか戸惑うというか。主人公である老夫婦の思考も、どちらかというと親がいないまま家に取り残された子供かと思うくらいにおぼつかなくて、「ホントにこんな感じ?」と原作者や映画の作り手の意図を測りかねるところがある。
ただ調べてみると、劇中に登場する被爆対策のパンフレットや現実に存在したもので、主人公夫婦のあまりにもお粗末なシェルター作りも、パンフレットの内容にほぼ即していることがわかる(パンフレットよりもだいぶ雑だけど)。
つまりはこの映画は、戦勝国の政府なり自治体なりがちゃんとした情報を提供することなく、それでいて「非常時は政府の指示に従うこと」を徹底した場合に起こり得る「愚民政策」の弊害を皮肉った作品ではないか。86年当時のイギリスの庶民感覚も一律ではなかっただろうが、田舎を舞台にした一種のディストピアSFと捉えていいんじゃないかという気がしてくる。
「いや、誇張でもなんでもなくあの頃の一般市民の戦争や認識があんなものでしたよ」とイギリスの人が言うならもはや戦慄するしかないが、じゃあ反戦や反核が当然のものではなくなりつつある今の日本も、たやすくこうなってしまう可能性があることは認めなくてはなるまい。
愚かなのは誰?
『愚かな指導者に率いられた民衆ほど哀れなものはない』
まさに格言である
この映画を観て更に強く身に染みる
でも残念ながら、どこの国でも、いつの時代でも、政府が国民のために働くことはない
愚かではない政府の存在なんて、夢物語だから
国民に真実を知らせることもしない
それどころかあらゆる手を使って洗脳し、信用させ、自分たちの都合の良いように「駒」としてこき使う
ある時は暴力を使い
ある時は情報を使う
ある時は恐怖を使い
ある時は教育を使う
ある時はお金を使い
ある時は宗教を使う
市井の庶民は、大抵どこの国でも優しくてほのぼのとして人間味豊か
その優しかったはずの人間も、1度権力の座に着くと一変
奇しくもこの映画と同じ’英国’の歴史家ジョン=アクトンが残したように、
『権力は腐敗する、絶対的権力は絶対に腐敗する』
人類の悲しい性なのだろうか
老夫婦は、助けてくれると信じて疑わない「政府」の無策のせいで死んでいく
シェルターの作り方を教えるのが政府の仕事ではない
シェルターを使わなくても良い世界の構築こそ政府の仕事のはずだ
歴史から学ぼうとしない今の日本も同じ
ウクライナで起こってることは明日は我が身?台湾有事も現実味を帯びてきた
れいの流行り病も、形を変えただけで戦争とも言えるのでは?
他国の戦争のこと、歴史の事実(この映画では核の脅威)を知ろうとしない無関心こそ戦争への坂道だ
ウクライナのことも明日は我が身だし、台湾有事もしかり
親の憂いをよそに、親の言うことをきかない息子達という’リアル’も盛り込んだ奥深いアニメです
淡々と死にゆく夫婦
37年ぶりに観賞。 アニメだけじゃなくて、実写やストップモーション...
傘がない。
恐ろしい風
タイミングがなかなかあわず、やっと見ることができた。ミニシアター万歳。
原作は『スノーマン』のレイモンド・ブリッグズ。
子供の頃『さむがりやのサンタ』が大好きで、大人になって買いなおした。コマ割りのマンガ形式の絵本で、かわいい絵柄の中にもややシニカルな、大人なセリフが出てくる。
なので、この『風が吹くとき』の作風もうなずけるが、結構ボリュームがあり断念。未だに読んだことがない。
イギリスの田舎に暮らす夫婦ジムとヒルダが、戦争が始まる事を知らされ、室内シェルターを作り、有事に備え始める。そして核が落とされて…。
ヒロシマより後の時期設定。戦争を経験しているから…とややとぼけたような行動、危機感の薄い会話。平均的なイギリス人夫婦だと思うのだが、徐々に体調が悪くなり、食欲がなくなり倒れてしまい、どうすることもできない悲惨な姿となる。
日本以外で被爆者の姿を描く作品は貴重であると思うが、イギリス人はこれを見てどう感じただろう。核の恐ろしさが伝わっただろうか。
前の戦争時の、防空壕などを思い出してるシーン、楽しかったってセリフに、一瞬え?となった。
そして本作が1987年に日本で公開された事を知らなかったのだが、37年経っても未だ争いも核の脅威もなくなっていない。
声優はどうも上手いような下手なような、でもやっぱり上手いと思ったら森繁さんと加藤治子さん(共に故人)。昭和の名優の共演でした。
ジワ怖アニメ
本作は埼玉県川越にある、創業から約120年の歴史を誇るスカラ座にて鑑賞致しました。明治38年に寄席「一力亭」として開業、昭和15年に映画館「川越松竹館」に、38年に川越スカラ座へと改称。スクリーンは一つのみ、客席数124席のいわゆるコミュニティシネマです。
外観、内装含め昭和の香り漂うレトロな雰囲気。客席は段差があまりないフラットなタイプですが、スクリーンは割と大きく見やすかったです。場内暗転の際には「ブビー!」というブザー音が流れます。普段はシネコンでは上映されない作品や、過去の名作のリバイバル上映などやっています。最近では「オペラ座の怪人」「デモンズ」など。
さて、珍しく映画館情報から始まったのには事情がありまして。このスカラ座、資金難により早ければ2年後に閉館してしまうそう。現在「川越スカラ座閉館回避プロジェクト」を実施中で、LINEスタンプや川越スカラ座グッズの購入による支援が可能です。(詳細はHPにて)館内にて募金も行っております。ご興味を持たれた方には是非、この独特な雰囲気の映画館を味わっていただきたいです。
はい、レビュー始めます。
エンドロールが涙で見えねぇ…!普段から持ち歩いている「涙拭きハンカチ」が大活躍です。
政府の言いつけに愚直なまでに従い続ける老夫婦。徐々に被爆の恐怖と絶望的な状況が二人を追い詰めていきます。「政府がそう言ってんだから」で納得しようとするのは少し短絡的な印象がありましたが、私もそうなっちゃうかな…。シェルターについては「ゾンビが押し寄せて来た時の為のやつでしょ?」くらいにしか考えていませんでしたし。
時代背景を全く知らない私には少し難しかったです。ソ連やら第二次世界大戦の話等、歴史に疎いせいかちょっとついていけなかったです。
淡々と描かれる絶望と恐怖は下手なホラーよりよっぽど恐ろしかったです。終盤はトラウマ級。あまりに悲しいラスト。実写とアニメの融合という挑戦的な映像も見所の一つでした。
結局、最後に私達は祈る事しか出来ない。
配布されていた役所のパンフレットに基づいて話が進むが、決して笑い事ではない。内容を正しいと信じて疑わないジムだが、発信源のわからないネットの情報を盲信する現代の方が寧ろ酷いのではないか。
冒頭も含めて時折実写を交えた描写に軽い違和感はある。ジムの懐古主義にも観ていてキツい感はあるが、大抵の年配者はこんな感じだろう。敢えてゆっくりした物語、極々普通の夫婦の会話、穏やかな軽いジョークを交えて時は進む。
戦争というものに巻き込まれていく国民、実際に私達もどれだけの事が理解出来ているのか。唯一の被爆国として最低限の原爆の知識はあるが、目に見えない放射能に対して有事の際に何が出来るか。
シェルター作成と避難に向けてパンフレットに沿って準備をするジム。戦争や原爆、避難自体にあまり興味の無いヒルダ。正常性バイアス、平凡な老夫婦の家庭という小さな世界が、想像を遥かに超えた原爆投下後の世界に変わる。
広島の原爆を踏まえた内容で、被爆の凄惨さをここまで(表現出来る範囲内で)映像化した事に拍手を贈りたい。
徐々に放射能に2人の身体が蝕まれていく過程がとにかく胸を締め付ける。楽観的過ぎると思っていたジムだが、穏やかな性格であるが故に2人にとっては幸せなラストだったとも思う。
『最後は国が守ってくれるからね。』
『祈りましょう。』
※エンドロール最後のモールス信号。
MADと打たれている。
相互確証破壊、物語途中でジムが言っていた言葉だ。悲しい人間の性(サガ)に胸のモヤモヤが止まらない。
森繁久弥&加藤治子❣️
アニメに魅かれて見に行きました。声優さんが森繁久弥さんと加藤治子さん、聞きやすい声。今の声優さんなら誰がしたのかなぁ、なんて思ってしまった。こんなに悲しい映画🎬子供達に見てほしい。国は何にもしてくれない。何でだろう😕続けて上映望みます。
「1986年の作品」
登場人物がふたりだけの会話劇。
海外では珍しい、被曝の恐ろしさを伝える作品
原作は『スノーマン』のレイモンド・ブリッグズの漫画。
音楽にピンクフロイドのロジャー・ウォーターズ、主題歌をデビッド・ボウイが担当。
【ストーリー】
舞台はイギリスの田舎。
ジムとヒルダは、仲の良い老夫妻。
戦争が勃発し、政府の指針どおりに、二人は物資を買いこみ、家の一角にシェルターを作る。
シェルター完成直後に政府発表がラジオから流れ、二人は間一髪閃光と爆風の難をのがれる。
だが、周囲のあらゆるものは吹き飛ばされ、自分たちの家以外、すべての文明が消えていた。
政府の救助を待ち、そこで暮らしを続ける夫妻。
食料が切れ、被曝の影響で内臓がやられ、髪が抜けはじめ、それでも二人は日常から出ようとしない。
動く元気もなくなった二人。
祈りの言葉が思いだせないジムに、ヒルダがもうやめてと言い、電気を消す。
この作品を見たのは、当時まだ映画を上映してくれていた京都祇園会館。
『はだしのゲン』好きの自分に、社会活動好きの親が連れていってくれたような記憶があります。
核攻撃の、それも放射線被曝部分にスポットをあてて描かれている、メッセージ性の強い映画です。
核兵器が使用されたなら、実際に起こりうるであろう悲劇を描いた、はだしのゲンやこの『風が吹くとき』などの作品群が、東西リーダーの核発射ボタンを押させぬ抑止力になってほしい。
そんなふうに願ってやみません。
緩やかな虐殺
以前に観た時はまだ子どもだった。「戦争を知らない子どもたち」である自分には本作も「毎年8月になると(半ば強制的に)読まされ観させられる反核・反戦映画の一つ」という意識だった。
公開がちょうどチェルノブイリの翌年だったのが印象深かったものだ。
80年代と言えば子どもにとっても「冷戦」「第三次世界大戦」「核戦争」「ノストラダムスの大予言」がセットになって身近な感覚だった。
冷戦の終結には、大予言の恐怖を人類が回避し21世紀が無事にやってくる希望を感じた。
あれから37年。
仕事関係で原水禁の学習会に参加する機会も多く、戦争や国家に対して大人の見識を得た自分にはどう映るのか?
と思い、シアターまで足を運んだ。
あぁ、こんな始まり方だったかなぁ。
昔は情弱な老夫妻だと思ったが、今にして思えば、私の両親もこんなものかもしれない。子どもの頃は自分の親ってもっと頭が良くて知識もあると思っていたのだがなぁ。
「原子爆弾」に対する知識が希薄過ぎると映る人もあろうか?
いやぁ、程度の差こそあれ、人なんてこんなものですよ。
今、「放射能」と「放射性物質」の違いを明快に説明出来る人ってどれくらいいるもんでしょ?
放射線がどうやってDNAを損傷させるのかやDNA修復のメカニズム、修復困難になる条件について、きちんと理解している人はどれくらい?
毒の致死量と違って、放射線の危険は死のロシアンルーレット。
100ミリシーベルトの被曝なら大丈夫などというものではないのだ。
ブロッグス夫妻よりは知識があるとしても所詮は「程度の差」の問題。
五十歩百歩って事だ。
フクシマ原発事故でもCovid-19でも、つくづくそう思った。
政府の公式発表に御用学者が権威を添えれば大多数の人は信じる。
(コロナワクチンしかり)
ジムがシェルター制作や着弾後の参考にしていたパンフレットは1974年から1980年まで英国政府が実際に発行していたものだ。
忠実にパンフレットに従おうとするジムが鑑賞者の目にどう映るか?
この構成には、いい加減な情報を垂れ流す政府に対する、原作者レイモンド・ブリッグズの強い怒りが感じられるのではないだろうか。
鑑賞者には最初から結末がわかっている。
じわじわと緩やかに、命が消えていくまでを見つめねばならない。
緩やかな虐殺だ。
あぁ、この感覚って「火垂るの墓」や「ちぃちゃんのかげおくり」と同じだな、、、と思いながら、ジムとヒルダの1日、1日を辿った。
エンドロールでは、涙が溢れないようにそっと上を向いた。
人の命を奪うことに対して鈍感になってはならない。
昨今、スマホを開くと見たくもないのに「人を殺すことで快感を得る」タイプのゲーム広告が流れてくる。
(ラストウォーだの、銃弾射撃だの)
スイッチ一つで気楽に人の命を奪えるような大人に育ててはならない。
自分の前にいるのは「人間」であり、家族がいて生活があるのだ、と想像出来る人でいなくてはならない。
「冷戦」を乗り越えられたように。
今、世界が直面している核戦争の危機も、必ずや乗り越えられると強く信じる。
私達の強い「意思」が未来を作るのだと信じて家路についた・・・。
1986年のイギリスから見た原爆
60°のシェルター
「戦争近し」の報を受け、政府の指示書通りに家の壁に60度の角度でドアを立て掛けて作ったシェルターで核ミサイルを生き延びた老夫婦が、指示書通りに核汚染後の日々を穏やかに送り死に向かう物語です。語り口は穏やかでアニメ映像も優しい筆遣いで叫び声などなく淡々とお話は進みます。夫も、
「政府の指示に従うのは国民の義務なんだ」
「最後はお上が助けてくれる」
と語り続けるのです。それら全て、イギリスらしいバカバカしい皮肉に満ちた物語なのに、一切笑う事が出来ずひたすら恐ろしいのでした。
しかし、我が政府の「指示書」(彼らは実際には決して言葉にも文字にもしないが)通りの「核抑止力」や「核の傘」って、あの家の壁に60度の角度で立て掛けられたドアの核シェルターと何も変わらないんじゃないだろうか。
圧倒的な
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