「乾いた死、唯の無」数に溺れて 田沼(+−×÷)さんの映画レビュー(感想・評価)
乾いた死、唯の無
ピーター・グリーナウェイ監督作品。
狂気的な天才ですね。何でこんな作品が創作できるのか理解できません。
少女の縄跳びの運動は生の飛躍だと思ったのは束の間、鳥の死骸が同じフレームに配置されることから、数えるものは死骸であることが語られてしまう。
1、2、3、4、…シーンが積み重なる度に、死骸が積み重なっていく。死はあらゆる情動を排する。3人のシシーが夫を淡々と溺れさせるように、そこに動機はあるにせよ悲嘆すべき運命や激しい憎悪は存在しない。
単なる死に至るゲーム。私たちが死んだら唯の無だと宣告し、それまでの生を遊戯的に楽しめばいいと寿ぐ。
ハレルヤハレルヤ。火花を散らす花火が輝く。生死生死生死の流転。
グリーナウェイの作品はあまりに美しい。その美しさは肉肉しい生が乾ききった死として描かれているからだと思う。美しさは分かる。けれどニヒリズムから一歩引きたい私は別の美しさを見出したいと思ってしまう。すなわち唯の生としての希望を。
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