女は女であるのレビュー・感想・評価
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ドタバタしてるが楽しい
ゴダールの作品に見られる理屈っぽさは少なくて、ストーリーはドタバタだし、音楽はうるさく感じることもあるが、愛嬌がありかわいいヒロインの慌ただしい言動も楽しく見られる。電話を貸し借りするような昔のパリの庶民の住宅や安っぽいストリップ を売りにするバーなどの雰囲気もよい。ヒロインの古い時代の下着姿もレトロでかわいい。
魅力的なふたり
何も特別なことが起こらない平凡なストーリー。それがこういうユニークな映画になってしまうとは。 アンナ・カリーナは素敵で吸い寄せられる。顔だけの魅力でないと思う。イキイキしている。美しさ、可愛さ、センスの良さ、人柄のかわいさ。温かさ。ここでの彼女はわたしの女目線からみてもすてき。 ベルモンドは個性的で面白い。 ここでは地味で損な役まわりのようだけれど、アンジェラを見守るアルフレッドの包容力にはほっとできた。また、彼のウィットはかなリ面白く、彼が演じるとステキで、可愛くみえる。独特なリラックスムード。この作品に落ち着きとまとまりと独特なニュアンスを与えていると思う。 動きに合わせてブチブチ切れる音楽は、重い音楽だからこそ切れたとき面白いでしょ、ということなのだろうけれど、わたしの耳には少々落ち着かなかった。笑
【”赤ちゃんが欲しいの”ゴダールってラヴ・コメディも作ってたんだ!ジャン=リュック・ゴダールのミューズであったアンナ・カリーナの魅力に魅入られる作品。】
■ある日突然、子供が欲しくなったキャバレーの踊り子・アンジェラ(アンナ・カリーナ)。 彼女は同棲相手のエミール(ジャン=クロード・ブリアリ)に「24時間以内に子供を作りたい!」と訴えるが、全く取り合ってもらえない。 そんな2人の間に、以前からアンジェラに気があるアルフレッド(ジャン=ポール・ベルモンド)が加わり、話は面倒になってくる。 ◆感想 ・ミュージカルのようで、ミュージカルにしては、曲がブツブツ途切れたり、相変わらずのゴダールの実験的なお遊びが見られるが、今作は比較的見やすい作品である。 ・エミールとアンジェラがベッドの上で、本を使って喧嘩するシーンや、アンジェラの目玉焼きをポーンと空中に放り上げ、用を済ませるとフライパンで受け取るシーンも遊び心に溢れているし、センスが良い。 <今作は、ゴダールのミューズであったアンナ・カリーナの魅力が詰まったラヴ・コメディである。>
ジャン=リュック・ゴダール監督、近所で見られるのは、凄く稀な機会。...
ジャン=リュック・ゴダール監督、近所で見られるのは、凄く稀な機会。 色の使い方と、小気味よい会話が、ひたすら鮮やかでした。 映画でありながら、アート鑑賞のような感覚にもなりますね。
アンナ・カリーナのコケティッシュな魅力に捧げるイーストマン・カラー映画(ミュージカル風)!
まさに、アンナ・カリーナの魅力に捧げる映画。これに尽きる。 才気煥発のアイディアと、しゃれっ気のあるセンス。 それだけで、映画が成立している。 難解といえば難解だけれど、「ファッション難解」として流して観ても、気兼ねなく楽しめる映画。 わくわくするようなポップさ、キャッチーさは、中期以降のゴダールからは喪われた要素だ。 ヌーヴェルバーグの寵児だったころの、彼ならではの「勢い」が映画から発せられている。 ノリとしては、フランス風の恋愛コメディという意味では、同時期に活躍していたフランソワ・トリュフォーのアントワーヌ・ドワネルものに近いといえば、近い。 ただ、女一人と男二人の恋のさや当てという点では、本作の翌年(62)に公開された、同じトリュフォーの『突然炎のごとく』に、より近接しているといえる。 ゴダールは本作のバーのシーンで、敢えてジャンヌ・モローをカメオ出演させ、トリュフォーと撮影中の『突然炎のごとく』についてジャン=ポール・ベルモンドに質問させるというお遊びを挿入しているくらいで、この映画の存在については、かなり意識していたのだと思われる。 ちなみに、この女1対男2の構図は、その後ロベール・アンリコの『冒険者たち』(67)へと引き継がれ、そこから『明日に向って撃て!』でアメリカン・ニューシネマにまで飛び火することになる……。 色調の美しさとミュージカル仕立ての面白さ(ただし実際に歌って踊るシーンは断片的にある程度)は、もっぱら、のちに『シェルブールの雨傘』を手掛ける舞台美術家ベルナール・エヴァンの功績と、ハリウッドの名作ミュージカルからの大量の引用・オマージュに多くを負っている。 出だしから、アンナ・カリーナを象徴する「赤」の鮮烈な美感と、 それを比較的間近で追いかけ続ける、手持ちカメラの躍動感、 断続的に途切れるミシェル・ルグランの流麗な音楽が、独特のリズムを形作る。 「昔のミュージカル映画のような色調とテンポ」を、リミックスし、 「昔風の古臭い映画音楽」を断片化の手法で前衛的にとがらせる。 ここでなされているのは、「古いワインを新しい革袋に注ぐ」実験だ。 始まって20分近くが過ぎて、アンナ・カリーナとジャン=クロード・ブリアリの住む部屋で、アンナが「子供が欲しい」と言い出してから、ようやく話は動き出す。 (最後まで観ても、なんでアンナが急に子供が欲しいと言い出したのかは、僕にはよくわからなかったのだが、もしかするとどこかで軽く寝落ちして、何かを見逃してるのかもしれないw) 子供は結婚してからで充分、もしくは出来てしまったのなら結婚してもいい、というスタンスの彼氏(ふつうだと思う)。するとアンナは、「じゃあ最初に出逢った男に今すぐ作ってもらうわ」とやり返す。売り言葉に買い言葉の彼氏は、じゃあ、前からずっとアンナに粉をかけていたビル前の駐車係のジャン・ポール・ベルモンドとやればいいと逆噴射。 かくして、親友ふたりと、小悪魔彼女の、奇妙な恋の駆け引きが繰り返されることになる……。 このあたりになってくると、さらに演出は才気を増してくる。 三次元の室内空間をいったんパノラマ撮影のように平面的にぐるっと展開したうえで、それを左右に追う形でぐるりと「パン」する、独特のカメラワーク。 随所に挿入される文字演出。オウム返しに相手の言動をコピーする物まね描写の頻出。カメラに向かって主人公たちが設定を語りかけてくるメタ描写。 部屋に入ってきたジャン・ポールはいきなり「手短にね、テレビで『勝手にしやがれ』があるから」とか言ってくるし(笑)。 部屋をぐるぐる自転車で走るブリオリとか、『ハムレット』(?尼寺に行けとか言ってた)と『人形の家』(?私は人形じゃないとか言ってた)を朗誦しながらぐるぐる回るアンナとか、室内をサーキット状に用いて動きと広がりを演出する手腕はさすがだ。 さらには鏡を使って、逆側の奥行きも映し込んでくる(観ているテレビに後ろ向きに手鏡をもつ『眠れるビーナス』の活人画が映るシーンも象徴的。あれはベラスケスの発展形だな)。 視覚的・聴覚的な部分で洒落た実験が積み重ねられるなかで、登場人物たちの問答を通じて深められていくのが、「女とは? 男とは?」という永遠のテーマだ。 「男はなんで中座するとき、『すぐ戻る』っていうの?」 「卑怯だからよ」 「男はみんなやりこめたがる」 「女はみんな被害者ぶる」 その扱いは、硬直化したフェミニズム的視点とは異なる、もっと体感的で、情緒的なものだ。 インティメットではあるが、社会批評性も喪っていない、勘のするどい「男と女」論。 テンポにのった会話のなかで、心地のいい駆け引きが展開する。 口をきかないとふてくされた二人が、書棚にある本のタイトルだけで「筆談?」するやりとりは、これ以上ないくらいに洒落てて素晴らしい(たぶん、ずっとやってみたかったアイディアだったんだろうねw)。 なんで終盤ああなって話が終わるのか、いまひとつ得心がいかない気もするが、それが男女の機微というものなのだろう。ラストは、きれいにタイトルに関するオチがついて、すこぶる幸せな気持ちで「FIN」のネオン文字を見ることができた。 とにかく、百面相のアンナ・カリーナを眺めているだけで、わくわくしてくる。 ゴダールの小難しさが苦手という人にも、ぜひ気楽に観てほしい、実に楽しい映画だ。
彼女しか彼女じゃないの
音×カメラ×詩? なるほどわからん? ベルリンでコメディの賞をとった字幕から始まる本編、これが喜劇なのかどうかは思いっきりテーマに関わるキモの部分だったことが後にわかる 冒頭からいきなりアバンギャルドな音の使い方で、配信のせいで音が遅れてるのかと思ってしまった… そしてアパートの間取りを活かした自在なカメラワーク、詩のような言葉遊びのようなセリフたち、軽やかに第四の壁を飛び超えてくる斬新な演出、等々を駆使して描かれるのは単なるカップルの痴話喧嘩… そりゃアンナカリーナはかわいいし、飄々としたベルモントもブリアリもかっこいい。インテリアもスタイリングも街並みもタイポグラフィも、画面に映るすべてのものがおしゃれではある が、これをコメディとして(あるいは悲劇として)楽しめるかといったらちょっと私には無理ゲー。矛盾する複数の視点を同時に表現したキュビスムの絵画みたいで刺激的ではあるが ぶっちゃけ序盤はずっと頭の片隅でウォンカーウァイっぽーい、と思うのを止められなかった…(ブレードランナー観て攻殻機動隊を想起してしまう問題) 今見てもこれたけ斬新なら、当時の観客やプロの映画人をどれだけ驚かせたかは想像に余るし、紛れもなく現在の映画表現の血肉になっているのは確実で、たぶん今なお映画を変え続けているのではないかと思う 慣れると普通に楽しめる部分もあったけど、いちばんかわいかったのは、ベルモントのアパートのおじいさんがベランダをちょこちょこ行ったり来たりするシーンかな 今となっては部屋に電話がないだけのことが非常に新鮮に感じる
アンナ・カリーナ
フィルムを小刻みにぬきとったり、音楽や音声をプツっと切ったり、わけのわからないカラフルなフィルターをかけたり、斬新ではあるが、どんな効果があるのかわからない・・・『勝手にしやがれ』ではそれもサスペンス効果があったんだろうけど・・・ポップなイメージ? 誰かが「歌わないミュージカル」と言ったが、軽快な音楽をバックにミュージカルダンサーになりたいと思ってるアンナ・カリーナが歌いさえすれば、そのままミュージカルとしても通用しそうだ(ちょっとは音楽をくちずさんでいる)。 妻を妊娠させてくれとベルモンド以外の男にも頼んだりして、お茶目なのか自暴自棄なのかわからない性格。で、結局アンジェラはアルフレッドと寝たのか?どうでもいいか・・・なんといってもアンナ・カリーナがコケティッシュで魅力的です。
1961年のおしゃれな実験的映画?
登場人物は基本的に男2人と女1人。アンナ・カリーナのファッションは見どころである。何故かいつも言いやっている男女。ストップモーションでさまざまなポーズが挿入され、ぶち切りの映像の組み立て、音楽もミッシェル・ルグランだが、結構これもぶち切りがあった。 ストーリーとしては気持ちが入れ込む展開ではないが、一つ一つのエピソードを集めたオムニバス映画の様子。スクリーンの色合いもシーンごとに変わり、室内のインテリアもとてもモダンである。男女の言葉のやり取りを楽しむのがいい。 Amazon Prime
タイトル通りの内容です
同棲している彼と結婚するために、まずは妊娠、出産のプレッシャーをかける彼女。そのために、別れてしまいそうな所スレスレまで攻める。策士かつ雄弁かつ執拗!そして最後には…
成功するよね、そりゃ(笑)。
主人公の赤いカーディガンの着こなしがおしゃれだった。
「これは悲劇かい?」「喜劇かい?」「女が絡むとわからん」
映画「女は女である」
(ジャン=リュック・ゴダール監督)から。
フランス映画・・というか、ゴダール監督の作品というべきか、
私には、まったく理解できなかった。
観賞後、作品解説を読んで、少しだけ・・なるほど・・と思ったが、
それでも、やっぱり、私には難しかった。
「登場人物が歌わないミュージカルコメディ」という発想に基づいて
制作されたラブコメディ。(らしい)
私の映画鑑賞の仕方が、作品内で発せられる台詞やフレーズに重きを置き、
そのメモから、作品レビューを書くからすれ違うのだと理解した。
監督らしい視点とか、構成とか、色合いとか・・あまり興味がないからか、
心に刺さるものが少なかった、と推察した。
気になった会話は、2つ。
「これは悲劇かい?」「喜劇かい?」「女が絡むとわからん」
人生でも仕事でも、たぶんなんでも、女が絡むことにより、
見方によっては、悲劇にも喜劇にもなる、というのが面白かった。
「すぐ戻る」「なんで男は中座するとき『すぐ戻る』と?」
「卑怯だからよ」「お互い様だ、女は皆ワルだしな」
あぁ、これは国に関係なく、日本人もそうかもなぁ・・・と笑った。
風刺があったり、コントみたいなシーンがあったり、
意味不明なカットも、この作品には必要だったんだろうけれど、
やっぱり、私には難しすぎた。
絶賛の評価が溢れている中で、レビュー投稿するのは、
う~ん、気が引けるなぁ。(汗)
監督ゴダールの奥様で新婚時のアンナ・カリーナが怒ったり、ふくれたり...
監督ゴダールの奥様で新婚時のアンナ・カリーナが怒ったり、ふくれたり、笑ったり、歌ったりして様々な表情を示し、とにかく可愛い。また着ているモノの色彩が鮮烈で実にお洒落で素敵。部屋の造りも、日常品を天井に釣り上下したり、自転車に乗れたり、ユーモラスであると共にシャレテもいる。音楽がミシェル・ルグランということで綺麗ぽいが、人物の感情に呼応してかブツリ・プツリと切れるとこがどこか挑発的。
ただお話としては、子供欲しさに彼氏の友人と寝て、その翌日に子作りのために無事に彼氏ともいたして、ハッピーエンド!?という、フランス映画ぽいが、日本人的には相当はちゃめちゃなお話。そう言えば、彼氏も娼婦と前日寝ての連チャン。カメラワークとしては、溝口健二の様な俯瞰撮影取り入れ、あと二人が各々部屋内で電灯を持ち歩く様が面白かった。目玉焼きを放り投げて、電話に出て、その後フライパンで受けるのは笑ってしまった。遊び心は満載というか、全編がそれで出来上がっている感で、今風で知的だが、感動の要素は全く無し。
トガってトガってトガりまくり。
当時でも今でもすごく斬新な作品です。 音楽が突然ぷつりと切れたりまた急に始まったりと絶対に好き嫌いが分かれるタイプの演出ですね(笑) 他にも今ではよくあるようになったメタネタも取り扱っており「デッドプール」だとか「銀魂」の先駆者なのかななどと考えていました。 ギャグも面白いですね。大爆笑するようなギャグではなくてクスクス笑えるタイプです。 本と目玉焼きのギャグが個人的にツボでした。 多分ですがこの作品では嘘を扱っているのだと思います。物語の始めでは急がないと遅刻と言っているのに立ち読みをしていたりしており、この嘘が物語のラストの真実となっているのではないかというのが私の見解です。 当時これがウケたのかは知りませんが異端児扱いされてたのかな?監督は。
ゴダールでゴザール。
ジャン=ポール・ベルモント、アンナ・カリーナ、ミシェル・ルグランでゴダール。映画の近代史を華やかに彩る巨匠でnouvelle vague。 歌わないミュージカルの主役は、必然的にルグランに譲られるんかねぇ、と思いきや。そこにアンナお姉様どす。アンナ様は、まだうら若き乙女様にございます。いや、お姫さま。いや、やっぱり可愛かったーー!すらっと伸びた手脚。細い顎。鼻にかかった軽いハスキーボイス。少女の様な立ち振る舞い。はい、虜になりましたー!って、もうなってましたけど。益々。やっぱり。やられたからw 攻める方のnouvelle vagueです。ゴリゴリにカットと音で押して来ます。正直、煩いw 「ただの女」(自称)が、これなんですか?うっわぁ、やっぱり、女は俺にとって永遠の謎ですわw
ファッションセンス素晴らしい
ヌーヴェルヴァーグ(新しい波)というフランス1950年代の映画の制作方法の時代に、作曲家として多大なる影響を与えた、音楽界の巨匠“ミシェル・ルグラン“。ルグランが楽曲を提供した代表7作品のうちの1作品を鑑賞してきました。 普段は観ないタイプの映画。たぶんコロナ自粛のリバウンドで、映画観たい欲求が高まってる。でも観て良かった。なぜなら、、、。 作品:女は女である 1961年公開 “登場人物が歌わないミュージカルコメディ”という発想に基づいて制作されたラブコメディだそうです。全く型にはまらない実験的な映像や、音楽の入れ方など多少違和感もあるものの、全体的にも楽しげなコメディ作品だった。さすがフランス映画らしく長〜〜〜いキスシーンと、ファッションセンスが抜群で、特に服は色使いが綺麗。赤や青の原色を効果的な取り入れた映像的な色彩美もさすが。 自由主義的な背景からか、男女間の関係も奔放でエンディングも「?」なんだけど、国民性なのか時代背景なのか、こういう事をコミカルに捉えてしまうのは少しモヤッとしました。 こういう映画の延長線上に、ララランドがあるんだと思う。映画館では観れないかも知れないけど、ネットなどで何とか観てみて。
ヌーヴェル・ヴァーグ感、満載
2日連続のゴダール。こちらは初見。「女と男のいる舗道」の白黒、静謐さから一転して、「歌わないミュージカル」で、カラー映像もミシェル・ルグランの音楽もえらく華やか。(本作の方が製作が先というのが驚き) シャルル・アズナブールの歌、ジャンヌ・モローの特別出演、セリフの中で直接触れられるタイトルはもちろん、ヌーヴェル・ヴァーグ感、内輪受け感が満載。この頃は、ゴダールとトリュフォーは仲が良かったんだね。
ミュージカル・コメディ
フランス音楽界の巨星ミシェル・ルグランの没後1年/生誕88年特別企画にてデジタルリマスター版を劇場鑑賞。 登場人物が歌わないミュージカル・コメディという発想が素晴らしい。三角関係をサラッと描いでいてアンナ・カリーナがキュートで魅力的。 2020-88
ファム・ファタール
白い部屋に赤い服のアンナ・カリーナと青いスーツのジャン=クロード・ブリアリを配すなど、トリコロールにこだわった色彩設計や、ブツ切りのBGMやSEなど、いかにも当時若くて尖っていたゴダールらしい映画。もとよりストーリーを紡ごうという気はさらさらないと覚しく、あちこち気まぐれに場面が展開する。口をきかないと宣言した二人が、本の表紙の文字で罵倒し合うのは洒落ていた。 ま、エスプリの効いたシーンは散見されるものの、全体として若書きの感は否めない。即ちまるごとアンナ・カリーナへのラブレターなんでしょうね。去年の暮に亡くなった記事を拝見しました。合掌。 同語反復のようなタイトルは、「君はアンファム(infâme 恥知らず)だ」と言われたアンジェラが「アン・ファム(un femme)じゃなくて、ユヌ・ファム(une femme 女)よ」と受けたやりとりから来ていたんですね。
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