俺たちに明日はないのレビュー・感想・評価
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映画の歴史に触れる楽しさってか。
世界恐慌時代(1930年代前半)のアメリカで、銀行強盗や殺人を繰り返した男女カップルのアウトロー、ボニー&クライドの話。
まずは冒頭、自動車の後部ガラスの合成が、古い映画(1968年公開)であることを思い出させる。
クライドの 「刑務所で作業をしなくてすむように、足の指を切ったんだ」 のエピソード、怖すぎるから、いらない。お~、怖い。
ボニーは、俺にはいかれた女としか映らない。きれいだが、この街にいる限りはしょぜんウェイトレスで終わるのが精いっぱいだということはわかる。が、だからといって無法者についていこうという短絡がわからない。しかし、世界恐慌下の世界というのは、それくらい息詰まるものだったのかもしれない。そんな、市井のひとりの目線で、その時代を感じることができるのは、映画の醍醐味のひとつだよなあ。
殺人を犯してしまってからの二人は、坂道を転がり落ちるように、後戻りできないところへ走り続けていく。まあ、殺人を犯した時点で、「終わっている」 と考えてしまうのは、とくに当時であれば、当然なのかもしれない。だから、悪事を働く一方で楽しそうに遊び、家族に会いに行き、といったことが行われるのだろうか。いずれにしろ、その楽しそうな生活、転げ落ちていく様は、まさにアメリカンニューシネマだ。
うん、きょうは勉強になった感じ。「卒業」 「小さな恋のメロディ」 「俺たちに明日はない」 と観てきた。あす「狼たちの午後」 を観れば、だいぶアメリカンニューシネマを感じられるようになりそうだ。
参考:アメリカン・ニュー・シネマ
アメリカンニューシネマ(American New Wave)は、従来のハリウッド映画と大きく異なる。
従来の映画は、「ハッピーエンド/観客に夢と希望を与える/万人受けする内容=社会的公序良俗/主人公は正義のヒーローまたは温かい家庭」 であるのに対して、
アメリカンニューシネマは、新しい感覚として、「ハッピーエンドは回避/特定層に向けた価値観/反社会性の主張の正当性を含む/主人公は社会からはみ出したアウトローやアンチヒーロー」 であることが多い。
アメリカン・ニュー・シネマ
引続きホームムービーでの映画レビューを投稿します。
1960年代後半から70年代初に掛けて映画界で一世を風靡した「アメリカン・ニューシネマ」、その先駆けにして、その頂点を極めたとされる、映画史上に残る傑作が本作です。
大恐慌後の1930年代のアメリカに実在した男女二人組の強盗・ボニーとクライドを主人公に、それまでの伝統的ハリウッド映画に相反する、アンチ・ヒーローの反社会的暴力的行動の系譜と凄絶で残酷な結末を描いているのは周知の通りです。
本来なら暗澹として殺伐とした映画のはずが、プロデューサーも兼ねた主役のクライド・バローを演じるウォーレン・ベイティの、威風堂々とした陽気で快活な演技と均整の取れた甘い容貌、これに対するボニー・パーカーを演じるフェイ・ダナウェイの気丈な典型的ビッチ振りが好対照の緩急のついた絶妙のコンビネーション、シンプルでテンポの良いストーリー展開、バンジョーによる軽快でリズミカルなBGM、これらによって、作品を通して軽妙で抒情的な空気感を漂わせています。
一方、社会に適合できず不満と不平に満ち鬱屈した感情を抱く若者が、必然的に犯罪に生きる道を見出すシチュエーションは、観衆である若者に己自身を投影させると共に、ある意味で颯爽とした銀行強盗が一種のカタルシスを与えて陶酔させ、高い共感を湧き立たせたと思います。
しかし凄惨なクライム・バイオレンス映画で、而も悲惨なエンディングの本作が、なぜ上映時に熱狂的に受け入れられたのか。
当時の世界は、東西冷戦が緊迫化しながら、各国の指導体制への不満と反抗が、特に若者層に広範に深刻に顕在化してきており、その象徴的出来事が1968年5月に起きたフランス5月革命です。アメリカではベトナム戦争が泥沼化しており、若者の間では厭戦気分と反政府運動が活発化し、既存の価値観と倫理感への反感と抵抗が社会全般に広がっていきました。多様な生き方や文化が燎原の火のように生れ普及し、ビート・ジェネレーションやヒッピー文化が台頭し広く支持されたことが、アメリカン・ニュー・シネマ誕生の大きな背景といえます。
従来の社会・政治体制、これまでの社会常識に反旗を翻し、新たな価値観を創出する、将にその社会風潮が希求した作品が本作だった訳です。
翻って日本では、70年安保闘争に向けた学生運動が過熱し、世代間階層間のイデオロギー対立と反目が険悪化しつつある時代でした。この頃、全共闘の学生運動家たちに熱烈に支持された映画が「東映任侠映画」だったのは、日米間の行動規範に根差す心情・思想的文化風土・国民的倫理感の相違が如実に表れ、実に興味深い現象です。
打たれないで
「俺たちに明日はない」(日本語)
1930年代にアメリカ中西部で銀行強盗と殺人を繰り返したカップルの物語。
なぜか、倫理観に反して不人道的なことをしている彼らに感情移入してしまう。1930年、世界恐慌で経済が落ち込んでいたアメリカ。そんな中、彼ら2人もまた生きるということに必死だったのであろう。そして欲に限りなく忠実だった。車が走り出す時の西武の音楽とクライドの粋な男前とボニーのセクシーさが相まって、いけてる2人組だった。兄に対するクライドの想いとか、ボニーとクライドのどうしようもない恋のぶつけようのない不安や混沌。そんなのが渦巻いて気づいたら2人の虜になっていた。無闇に人を殺したりしないし、気さくなクライドが犯人としてかっこいい。
2人は、特にボニーは死を予測していたみたい。母親の、どうせ捕まっちまうんだよという発言が、かなり象徴的で、それがボニーを一層死というものに近づける。最後、2人が蜂の巣になるシーン。あそこで打たれないでくれって祈る視聴者は多かったと思う。それくらい、最後の2人は幸せに満ちていて、これからってときで、あああ、爽快感の中の不安と、焦燥感と、死というものに近づく感傷的な気持ちを抱えた男女。したことは確かに悪いのだけど、やっぱりかっこいい。
Suit season 4-8
ショーンケイヒルがハーヴィーとジェシカをfirmで待ち伏せして使った
→ギリス産業の取引ファイルを押収しに
→→ジェシカがその返しで、ボニーアンドクライド引用
ラストシーンが象徴するアメリカ・ニューシネマの夜明け
【自業自得の”死のダンス” 学生時代に観た際から感想が変わってしまった作品。】
ボニーアンドクライド
映画の教科書を書き換えた作品。
フレンチニューウェーブで映画界が揺らいでいる中、それを受け入れ技術を取り入れたハリウッドで当時数少なかった実験的な作品。
映画のテーマから撮影方法、編集技術など、それまでのハリウッド作品には見られなかった方法がたくさん使われています。一番有名なのは最後のシーン。時間軸を無視した編集は、映画の教科書を完全に書き換え、芸術としての映画の幅を広げました。
映画の一番大切なキャラクターにして見ても、ロマンスにクライムが絡み、コメディーテイストで進んでいく、かなり複雑で実験的でした。そこにさらに複数のブラックなテーマを織り交ぜているので、さらに複雑になっています。
私の個人的な意見としては、その実験的な部分の副作用として、キャラクターアークに違和感を感じてしまいました。特にボニーとクライドの両方に。
ボニー
退屈なウェイトレスの人生を抜け出したいため、偶然見かけたクライドに一目惚れし、ついていくことに。そこから男らしい犯罪者のハードボイルドさに惹かれていく。しかし、彼には男らしくない面もたくさんある。しかし、彼への愛は変わらず、一緒に犯罪者の道へと。
クライド
男らしく格好つける部分もあれば、床では育児ない様子も見せる。兄弟仲良しでいい人感も溢れる。ボニーに強く当たるときもあるが、実はそんなことないのよー。って感じのキャラ。
やっぱりこのキャラクターに魅力というか、感情を感じられなかった。コロコロ変わる感情についていけなかったという感じ。このコロコロ、リズムやジャンルが変わるのが一番実験的な部分だけに、そこがうまくまだ繋がってなかっていないような気がしました。
映画の歴史的に見て、外せない映画だとは思いますが、映画を楽しむ現代の視聴者からすると、少し読解が難しいのかなと思いました。
予想外の能天気さにびっくり
ボニー&クライドのカップル強盗の連続強盗殺人逃亡劇
という程度の予備知識しか無かったので、もっと暗い作風だと想像してたのだが
何この作品全体に漂う妙な能天気さは?
全編通じて何か陽気なカントリーミュージックのBGM流れてるし
年配の家族と警察や保安官以外、割と二人に好意的だし
(貧乏人からは盗まなかったので、世間では義賊的扱いだったという事情はあるけど)
終始二人だけかと思いきや、共犯者三人もいて一時は疑似ホームドラマ状態だし
逃亡中だと言うのに、不用心に街中ウロウロするし
まあそれだけ1930年代の不況のアメリカは狂ってたということなんだろうな
それにしても、その狂った時代のアメリカとは言え、いくら相手が強盗殺人犯でも丸腰の相手をトミーガン(ドラム型弾倉で50発ぐらい連射出来るサブマシンガン)でハチの巣は、当時の感覚でもアウトだと思う
まああれは保安官の私怨の分が多分に入ってそうだけど
あと気の強い女が集団を引っ張って破滅に向かう図式は、連合赤軍を思い出した
余談だが、ドラマ版「ワイルド7」に、この作品をモチーフにしたようなエピソードがある
サブタイトルは「200KM/H心中」
カップルが偶然手に入れたサブマシンガンで強盗を繰り返しながら逃亡
たまたまレギュラー悪の組織の武器輸送用トラックを盗んでしまい、その組織にマシンガンでハチの巣にされて二人揃って死亡
そのカップルの男性を演じたのは、前年に「帰ってきたウルトラマン」で主役の郷秀樹を演じた団時朗さんだった
ラストは凄まじい!!
歴史的名作
痛快傑作!
これがアメリカンニューシネマか……
これまた
母親から自分へ
独特のペースで進むので覚悟が必要
1930年代にアメリカ中西部であった連続武装銀行強盗。その強盗ギャングのボニーとクライドを中心に、クライドの兄夫婦ともう1人も合わせた仲間との逃避行を描く。
内容は過激で、アクションも豊富なわりに話は坦々とスローペースで進む印象。この時代から始まる、「アメリカン・ニューシネマ」の先駆けの映画らしい。反社会的な主人公達の心情を描き、ラストは結局社会に屈するか暗い結末に落ちる映画のこと。確かにそれまで、めでたしのエンディングがメジャーだったとすれば、この映画はハリウッドに新風を巻き込んだし、その後の映画の流れも変えたことになる。そう思って観てみれば、面白いかもしれない。
ブランシュというキャラクターが叫んだり足をひっぱったり観ていてイライラするのだが、そういう役柄なんだろう。でもやりすぎだと思う。しかも彼女がアカデミー主演女優賞を取っているというんだから驚きだ。あのやりすぎ演技が受けたのか!
波乱万丈の強盗人生が淡々と描かれている
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