俺たちに明日はないのレビュー・感想・評価
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公開当時は、きっと画期的だったでしょう
1967年作品ということを考慮しての点数。
まさかのジーン・ハックマンが出てたりしたし。
最初は一人、二人、三人と犯罪に巻き込まれていく様。
なのに軽快な音楽(バンジョーか)が。
うまくミックスされている。
ということで、ネトフリ「テキサスレンジャーズ」にいこう。
昔テレビで観た以来、映画館では初鑑賞。フェイ・ダナウェイ、ウォーレ...
昔テレビで観た以来、映画館では初鑑賞。フェイ・ダナウェイ、ウォーレン・ベイティ、ジーン・ハックマン、どの役者もいい。リアルなセックス描写、そして衝撃のラストの緊張感。やっぱり大画面で観るべき作品。アカデミー賞撮影賞と、劇中ひたすら喚くエステル・パーソンズが助演女優賞受賞。因みに製作・主演のベイティはシャーリー・マクレーンの弟で、アネット・ベニングの旦那。
今見たらきっと粗いんだろうなぁ、いろいろ
とにかく衝撃のラストと、何故か憎めない悪党なのに魅力たっぷりのキャラクターは、実在の人物がモデルで、ある程度は史実にのっとって映画化されたということ。
主演のウォーレン・ベイティは2017年のアカデミー作品賞のプレゼンターを務め、「歴史的なミス」をやらかしましたが、若い時から独特の間のある優雅な空気を醸し出す俳優さんでした。
旅の途中で仲間に加わるマイケル・J.ポラードは、個性的な脇役で、長くキャリアを積み上げた人。マイケル・J.フォックスは、ポラードにあやかって、ミドルネームをJ.にしたとか。
犯罪悲劇
ニューシネマの金字塔と言われるが、反戦や社会風刺的な側面は少なく、ストーリーはただひたすら主人公カップル達が盗みや殺しと言った犯罪を繰り返して逃亡するというシンプルなもの。なにゆえ彼らがそうした生涯を歩むのか、ヒントは散りばめられているものの説得力に乏しく、脇役達の魅力もほとんどない。この映画にメッセージ性があるとしたら、案外保守的な家族愛や宗教観であろう。また、1930年代アメリカの牧歌的な風景や地方の衰退の描写は、フォード等の影響であろうか、他のニューシネマ作品とはかなり毛色が異なっている。
次々と犯罪行為を楽しんでいる様子を見せられると正直不愉快なものだが、だからこそ粛清の意義(?)があるという意味でも、保守性の強い作品である。
ボニー・パーカー‼️
この作品はアメリカン・ニューシネマの先駆けとか、アメリカ中西部の風景や広大な麦畑に移った雲の影までを捉えた素晴らしいロングショット、主役二人の太く短い人生、マイケル・J・ポラードやジーン・ハックマン、チョイ役のジーン・ワイルダーら豪華キャスト、そして映画の歴史に残る87発の銃弾による "死のバレエ" まで、語りだしたらキリがありません‼️しかしこれら全てが私的にはフェイ・ダナウェイの魅力を光り輝かせる素材に過ぎないと感じる‼️主演のウォーレン・ベイティでさえも‼️それぐらいこの作品のフェイ・ダナウェイは魅力的‼️オープニングから向こうっ気の強い表情のアップ‼️ベレー帽にロングタイのファッション‼️薄い唇に斜めにくわえたタバコ‼️片足を車にかけて銃を構える‼️好きな男は自分からベッドに誘う‼️男顔負けに銀行強盗しまくって世間とか法律とか関係ありませーん‼️クールで生意気で強くてカッコいい女‼️そんなボニー・パーカーというキャラクターにデビューしたてのフェイ・ダナウェイがドンピシャ、ハマッていた‼️そんなボニーが泣きながらママに会いに行くシーンも忘れられないですね‼️久しぶりに会った母親がボニーとクライドに寂しそうにかける言葉「若い者同士でおやり。私はもう歳だし、何もわからない」‼️何たる虚無感‼️とにかく公開当時はベトナム戦争や反体制運動でアメリカは非常に不安な世相で、そんな時代にボニー&クライドの鮮烈な青春像を、人々はヒーローとして讃えた‼️その気持ちよーく分かります‼️
超・ど・エンターテイメント作品
この作品について、現実味がない、だとか共感できない、だとか違和感あるだとか色々言っておられる方いますが、いいんです。この映画はスリルと迫力とお色気とユーモアと哀愁とバイオレンスと全てを満載した最高のエンターテイメント作品なんです。実在の話を元に・・・とか深く考えんでいいんです。
圧巻なのがキャスティング。よくもこんな個性的な俳優を集めてきてその魅力を存分に引き出したものです。
有名どころの3人は言うまでもないけれどエステル・パーソンズとマイケル・J・ポラードの存在感、ハンパないっ。
エステル・パーソンズは助演女優賞を受賞。私の親愛なるマイケル・J・フォックスの”J”は敬意をこめてマイケル・J・ポラードからお借りしたんですよね。にもかかわらずほかの映画で見たことない、二人とも。この映画でのインパクト強すぎ。
うん、やっぱりフェイ・ダナウェイには言及しとこう。ただのお色気姉さんではない。表情一つ一つが印象的。ダイナーで「髪下ろしてみたら」って言われてちょっととまどいながら応じるシーン。カワイーです。
一つだけ残念なのが邦題の「俺たちに・・・」これ要らんです。この映画は「Bonnie and Clyde」なんですっ。言ってもしゃーないですね。その当時商業的に必要やったんですね、この陳腐なタイトル。どーでもえーです。とにかくサイコーです。
フェイ・ダナウェイのベレー帽に胸キュン。
アメリカンニューシネマと言われる映画の中で、好きな映画に入る。
理由はフェイ・ダナウェイの美しさに惹かれながらも、最後の無惨な姿にギャップを感じて、ショックを受けてしまったことだと思う。中学生になってから見たと思うが、ゴッドファーザーのソニーの無惨な姿と合わせて、僕のある意味トラウマになったと思う。
今見ると、刑務所帰りの田舎者とただのウェトレスに過ぎない田舎者には見えないくらい美男、美女で、共演の不細工な三人がそれを引き立てていると分かる。なんか、姑息な演出(キャスティング)だとは思う。
また『フォギー・マウンテン・ブレイクダウン』がドタバタなコメディ仕立てな効果を出しており、悲惨な最後へギャップを作っている。今見ても、フェイ・ダナウェイの姿だけはショックを受ける。ウォーレンビューティは『ざまーみろ』だが。
追伸
ジーン・ハックマンのリアルな最後も凄い
追追伸
フェイ・ダナウェイは最後に瀬戸物の人形を女のコにあげたのか?僕はその行為が『彼女は子供が欲しかった』のでは。と感じた。もう少しその点を強調して、演出があっても良かったのでは。と思う。
いかした悪女ぶりが魅力的なフェイダナウェイ
ウォーレンベイティ扮する出所したてのクライドバロウがフェイダナウェイ扮するボニーの家の前で車をのぞきこんでいたらボニーに声をかけられた。クライドが悪人と知っていて食いついて行くフェイダナウェイのいかした悪女ぶりがなかなか魅力的だね。だから一目ぼれしたクライドがボニーを旅に誘う振りが出来ていると言えよう。この映画を観るのは確か3回目だが、激しいラストシーンだったね。
アメリカのニューシネマ
20代の若いカップルが大恐慌時代のテキサスで警察を嘲笑うかのように強盗を繰り返し、人々にもてはやされた実話を脚色して映画化した作品。
1967年の公開当時、犯罪者をヒーロー的に扱うこと、暴力的なシーンや性的なシーンが、アメリカの映画史上初めてで、相当批判を浴びたにも関わらず、若者に大人気になったとのこと。ワルや反体制な感じがちょっとカッコいいということかな。現代でも若者のカッコよさの基準の一つではある。
まあでも、今日のそういうシーンに比べれば至極健全に見えた。笑。
監督としてはそうした新しい手法を使って心理的な描写やエピソードを入れることで、ただの銀行強盗の顛末記に留まらない、本当の意味でのバイオレントな作品にしたかったのだろう。
移ろいゆく欲望の果て、行き着くところ…。
超が付くほど有名なクライム・ムービー。
Baseとなった実在した強盗も有名だったのだろうけれど、映画としても、各方面に多大な影響を与え、創作に関わる方々をインスパイアしてきた。
パロディ、オマージュなんてどのくらいあるのだろう。数える気すら失ってしまう。
映像で行われていることと解離するような、軽快なバンジョーで彩られた物語。
どこか、カトゥーンのような絵空事を見せられているような気になる。
甘いマスクのクライド。
スタイリッシュなボニー。
道化のようなパック(ジョークは全然笑えないけれど)。
いら立たせて、ボニーびいきに一役買うブランシュ。
「大丈夫か?」と心配してしまいながらも、全体の状況を見て、クライドたちに尽くすC・W・モス。
この5人の掛け合いを見ていると、強烈なブラック・コメディを見ているような…。
(こんなクルーには参加したくないが…)
破産した銀行に押し込む間抜けから、初めての殺人、そして…。
強盗場面はあっさりと、もしくは新聞ニュースで描く。
半面、警察とのカーレース・銃撃戦は迫力満点、たっぷりと。
その間に起こる、主要メンバーを簡潔にかつ丁寧に描く。
意外なのは周りの反応。
マスコミが節操なく煽るのは今も同じ。
ボニーの母と、C・W・モスの父の反応はとても共感できるが…。
途中キャンプしていた人たち。識字の問題とか、新聞が買えないとか、情報が届いていないのか、知っていてのあの対応なのか。
とはいえ、ボニーの親戚たち、銀行で難を逃れた人たち…。
よっぽど、銀行は汚いやり方で、被債権者たちを追い詰めていたのか?
ちょっと違和感…。
そんな演出の中、ボニーの変化に胸かきむしられる。
毒婦にふさわしい、眼と唇。将来の見えない同じことの繰り返しに飽き飽きして、刺激を求め、ケチな自動車泥棒・クライドをそそのかしていく様。ゾクゾクする。
悪ぶり、自分を大きく見せようとする、その小賢しさ。
一線を越えてしまった後の暴走。
パック夫婦とクライド兄弟に接して、自分の家族を求める様。
やっと、現実的な自分たちの行きつく果てが見えてくる。
不安。
仲間の死、女として満たされることによって、安定した未来を夢見る様。(州を越えれば捕まらない≒今なら海外逃亡すればつかまりにくくなるようなものか?)
その移ろいゆく欲望、その時々の表情から目が離せなくなる。
そして、落ち着くところに落ち着くのかと思ったその矢先。
衝撃のラスト。
何が起こるかあまりにも有名で知っていてもなおの衝撃。
警察の裏をかいたと思ったが…。それがこうなってこうくるか。
当時を再現したものなのか。
真っ白なクラッシック・カー。
真っ白なドレス。
ワイシャツにベスト、片方だけ入った丸渕の黒いサングラス。
周りに比べて、なんともスタイリッシュな出で立ち。
二人の位置もこう配すか…。
ここには軽快な音楽もない。
ただただ、情景音のみ。直前の会話はあれど、断末魔も聞こえない。ただひたすらに鳴り響く〇〇。
それまでのトーンと全く違う。
この落とし方。
それまでの、カトゥーン的展開がすべて吹っ飛んで、そのラストだけが記憶に残る。
見直して、やっとボニーの繊細な表情を思い出すことはできるけれど。
それほどのインパクト。
狙って演出されたのだろう。
見事。
そして、映画は永遠のものとなった。
「フォーギー・マウンテン・ブレイクダウン」と「雨にぬれても」
軽快なバンジョーの音色とともに犯罪を重ねる二人。途中で仲間になるC・W・モス(マイケル・J・ポラード)もいい味を出している。とんでもない悪党なのだが、序盤で銀行に家を取られて嘆くじいさんを慰める伏線が印象に残り、善人であるかと錯覚するくらいに気持ちが良くなるのだ。世の中は大恐慌時代、失業者が溢れているアメリカ。世間に対する不満と憤りを盗みという手段で反抗する心情が映し出されている。最初に観た時には「悪いことはできないよなぁ」くらいにしか思わなかったのだが、今の世の中と同じく不況の中だけに感慨深いものがありますな。
俺たちに明日はない
アメリカンニューシネマの代表作。
ストーリー(悪役主人公)、撮影技法(銃殺のカット)、性的描写まで当時においては衝撃的だったよう。
現在観てそこに感動するのは難しいが面白い作品だった。
理解力不足かストーリー中に置いてけぼりになったシーンがあった。次回見る時は注意。
ボニーとクライドってよく耳にする。そして実在した人物だったんだ。
映画の歴史に触れる楽しさってか。
世界恐慌時代(1930年代前半)のアメリカで、銀行強盗や殺人を繰り返した男女カップルのアウトロー、ボニー&クライドの話。
まずは冒頭、自動車の後部ガラスの合成が、古い映画(1968年公開)であることを思い出させる。
クライドの 「刑務所で作業をしなくてすむように、足の指を切ったんだ」 のエピソード、怖すぎるから、いらない。お~、怖い。
ボニーは、俺にはいかれた女としか映らない。きれいだが、この街にいる限りはしょぜんウェイトレスで終わるのが精いっぱいだということはわかる。が、だからといって無法者についていこうという短絡がわからない。しかし、世界恐慌下の世界というのは、それくらい息詰まるものだったのかもしれない。そんな、市井のひとりの目線で、その時代を感じることができるのは、映画の醍醐味のひとつだよなあ。
殺人を犯してしまってからの二人は、坂道を転がり落ちるように、後戻りできないところへ走り続けていく。まあ、殺人を犯した時点で、「終わっている」 と考えてしまうのは、とくに当時であれば、当然なのかもしれない。だから、悪事を働く一方で楽しそうに遊び、家族に会いに行き、といったことが行われるのだろうか。いずれにしろ、その楽しそうな生活、転げ落ちていく様は、まさにアメリカンニューシネマだ。
うん、きょうは勉強になった感じ。「卒業」 「小さな恋のメロディ」 「俺たちに明日はない」 と観てきた。あす「狼たちの午後」 を観れば、だいぶアメリカンニューシネマを感じられるようになりそうだ。
参考:アメリカン・ニュー・シネマ
アメリカンニューシネマ(American New Wave)は、従来のハリウッド映画と大きく異なる。
従来の映画は、「ハッピーエンド/観客に夢と希望を与える/万人受けする内容=社会的公序良俗/主人公は正義のヒーローまたは温かい家庭」 であるのに対して、
アメリカンニューシネマは、新しい感覚として、「ハッピーエンドは回避/特定層に向けた価値観/反社会性の主張の正当性を含む/主人公は社会からはみ出したアウトローやアンチヒーロー」 であることが多い。
アメリカン・ニュー・シネマ
引続きホームムービーでの映画レビューを投稿します。
1960年代後半から70年代初に掛けて映画界で一世を風靡した「アメリカン・ニューシネマ」、その先駆けにして、その頂点を極めたとされる、映画史上に残る傑作が本作です。
大恐慌後の1930年代のアメリカに実在した男女二人組の強盗・ボニーとクライドを主人公に、それまでの伝統的ハリウッド映画に相反する、アンチ・ヒーローの反社会的暴力的行動の系譜と凄絶で残酷な結末を描いているのは周知の通りです。
本来なら暗澹として殺伐とした映画のはずが、プロデューサーも兼ねた主役のクライド・バローを演じるウォーレン・ベイティの、威風堂々とした陽気で快活な演技と均整の取れた甘い容貌、これに対するボニー・パーカーを演じるフェイ・ダナウェイの気丈な典型的ビッチ振りが好対照の緩急のついた絶妙のコンビネーション、シンプルでテンポの良いストーリー展開、バンジョーによる軽快でリズミカルなBGM、これらによって、作品を通して軽妙で抒情的な空気感を漂わせています。
一方、社会に適合できず不満と不平に満ち鬱屈した感情を抱く若者が、必然的に犯罪に生きる道を見出すシチュエーションは、観衆である若者に己自身を投影させると共に、ある意味で颯爽とした銀行強盗が一種のカタルシスを与えて陶酔させ、高い共感を湧き立たせたと思います。
しかし凄惨なクライム・バイオレンス映画で、而も悲惨なエンディングの本作が、なぜ上映時に熱狂的に受け入れられたのか。
当時の世界は、東西冷戦が緊迫化しながら、各国の指導体制への不満と反抗が、特に若者層に広範に深刻に顕在化してきており、その象徴的出来事が1968年5月に起きたフランス5月革命です。アメリカではベトナム戦争が泥沼化しており、若者の間では厭戦気分と反政府運動が活発化し、既存の価値観と倫理感への反感と抵抗が社会全般に広がっていきました。多様な生き方や文化が燎原の火のように生れ普及し、ビート・ジェネレーションやヒッピー文化が台頭し広く支持されたことが、アメリカン・ニュー・シネマ誕生の大きな背景といえます。
従来の社会・政治体制、これまでの社会常識に反旗を翻し、新たな価値観を創出する、将にその社会風潮が希求した作品が本作だった訳です。
翻って日本では、70年安保闘争に向けた学生運動が過熱し、世代間階層間のイデオロギー対立と反目が険悪化しつつある時代でした。この頃、全共闘の学生運動家たちに熱烈に支持された映画が「東映任侠映画」だったのは、日米間の行動規範に根差す心情・思想的文化風土・国民的倫理感の相違が如実に表れ、実に興味深い現象です。
打たれないで
「俺たちに明日はない」(日本語)
1930年代にアメリカ中西部で銀行強盗と殺人を繰り返したカップルの物語。
なぜか、倫理観に反して不人道的なことをしている彼らに感情移入してしまう。1930年、世界恐慌で経済が落ち込んでいたアメリカ。そんな中、彼ら2人もまた生きるということに必死だったのであろう。そして欲に限りなく忠実だった。車が走り出す時の西武の音楽とクライドの粋な男前とボニーのセクシーさが相まって、いけてる2人組だった。兄に対するクライドの想いとか、ボニーとクライドのどうしようもない恋のぶつけようのない不安や混沌。そんなのが渦巻いて気づいたら2人の虜になっていた。無闇に人を殺したりしないし、気さくなクライドが犯人としてかっこいい。
2人は、特にボニーは死を予測していたみたい。母親の、どうせ捕まっちまうんだよという発言が、かなり象徴的で、それがボニーを一層死というものに近づける。最後、2人が蜂の巣になるシーン。あそこで打たれないでくれって祈る視聴者は多かったと思う。それくらい、最後の2人は幸せに満ちていて、これからってときで、あああ、爽快感の中の不安と、焦燥感と、死というものに近づく感傷的な気持ちを抱えた男女。したことは確かに悪いのだけど、やっぱりかっこいい。
Suit season 4-8
ショーンケイヒルがハーヴィーとジェシカをfirmで待ち伏せして使った
→ギリス産業の取引ファイルを押収しに
→→ジェシカがその返しで、ボニーアンドクライド引用
ラストシーンが象徴するアメリカ・ニューシネマの夜明け
フィルム・ノアールの暗さのない犯罪映画。1930年代のファッションに包まれたフェイ・ダナウェイが美しくカッコイイ。ウォーレン・ベイティ、ジーン・ハックマン、マイケル・J・ポラード、エステル・パーソンズのキャスティングも嵌る、映画ならではの見応えとアーサー・ペンの軽快な演出の新しさ。暴力表現解禁の先駆けを象徴する衝撃のラストの迫力に息を呑む。
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