「こういうカップルがいたということ」俺たちに明日はない Jolandaさんの映画レビュー(感想・評価)
こういうカップルがいたということ
それも、'30年代に。良くも悪くも、凄いなやっぱりアメリカは…。
映画と、モデルとなったカップルの存在は10代の頃すでに知っていたのだけれど、『ラストが蜂の巣』みたいな怖い印象がつきまとっており、敬遠するうちに20年の月日が経ってしまっていたのでした。
で、先日、実話系TV番組をきっかけに「シリアルキラー」について検索していた時にWikipediaにボニーとクライドの名前があり、ボニーとクライドについてのWikipediaページを熟読してから満を持して(?)今回の鑑賞に至るという。一風変わったアプローチの仕方w
スマホで観たのでやや物足りない感もあるが、、何と言うか、いま観ても新しさを感じるな、と思った。 娯楽作品としての品位を保つためなのか、終盤近くなっても合間合間に能天気なカントリー音楽が流れるところはご愛嬌だが、ボニー、クライドそれぞれの幼少期のスナップ写真(もちろん白黒)が映し出され、名前やタイトルの活字が白から赤に染まるイントロ部分には鳥肌が立った。
鑑賞前に思ったのだが、実話が元になっている映画作品は、脚本の力が大きく問われると思う。会話のリアリティと、娯楽作品としての面白味の両方を求められるからだ。
二人の逃避行も、序盤はただスリルと恋心を楽しんでいればいい。だが、それも長くは続かない。映画では描かれなかったが、警察にアジトを奪われた際に記念写真のフィルムが押収されており、カオはとりあえず大体の州の人に割れているため、彼らはもはやモーテルに泊まることも出来ない。(それでも変装もせず大手を振って通りを歩き、折を見てお互いの実家に一時帰省(!)したりするのだが…)
こうなってくると、兄夫婦との別れ辺りを潮に、C.W.モスを真っ当な親父の元に返し、とりあえず今ある盗難車で可能な限り遠くへ逃げ、名前を変えて(出来たら見た目も少し変えて)コツコツ働いてひっそり暮らすほか道はない(それか、自首してしばらく服役するか)。さもなければ、ヤラレルか。
「アタシたち(又は俺たち)どうなっちゃうの」的な台詞は逃避行モノのテッパンだが、想像したほどボニーのその手の台詞がなかったのが良かった。そこをさらっとドライに描いたことでラストの衝撃はより強まり、恐らく"一緒に死にたかった"んであろうボニーの恍惚が伝わってくるのだ。
ネットにもあったが"オーラルセックスとインポテンツを匂わせる表現"は、激しい銃撃戦や暴力描写と相まって当時の人々の度肝を抜いたことと思う(笑)
クライドの兄バック役はジーン·ハックマン。若い…!(当たり前)
途中、一瞬だけ出てくるボニーの母親役も存在感が凄い。ガールフレンドのママを安心させようと思い付きで調子のいいことをペラペラ喋るクライドに対して渋面を緩めず、まるでこれが最後と知っているような様子でボニーと別れのハグをする。恐れを知らない(そして明日をも知らない)無謀な若者二人が肩を落とすのを尻目に、老婦人はすたすたと歩き出す。亀の甲より年の功。あんまり年寄りを甘く見ちゃあいけません。
一味からエラい目に遭わされた保安官が、襲撃で両目を負傷したブランチ(バックの妻)からC.W.モスの名前を聞き出すシーンはゾクゾクしますね。実際もこんな感じだったんでしょうか。
警察も(時に必要以上と言えるほどに)力をつけ、FBIも活躍するコンニチではこれほどの大暴れはできますまい。宝塚の演目にも取り上げられ(!)、音楽でもゲンズブールからエミネムまであらゆる人に霊感を与える二人。時代が許した野蛮。時代が許したクライムアイコン(?)、ボニー&クライドなのでした。