大人は判ってくれないのレビュー・感想・評価
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悲しい少年のレジスタンスにあるトリュフォーの映画愛
誰からも愛されない非行少年のレジスタンス映画。13歳のジャン・ピエール・レオの何処に行けばいいのか判らない不安気な表情が、目に焼き付いて忘れられない。ジャン・ヴィゴの「操行ゼロ」を連想させるフランス映画の精神が息づいていることと、自由で視点の明確な移動撮影の新しい演出が瑞々しいこと。トリュフォー監督の子供たちに注ぐ理解と愛情深さが、自伝映画の枠を超えて、普遍性を持った映像詩になっている。鑑別所を脱走してひたすら走り続けるラストの、顔のアップのエンディングショットの映画らしさ。遊園地の遠心力を利用したアトラクションの描写にも映画愛のオマージュがある。人形劇を観る子供たちの目の輝きを捉えたシーンの素晴らしさ。心ある演出から生まれたヌーヴェル・ヴァーグの名作だ。
もう何度寝落ちしたことか… でも好きな映画だった。 以下ポイントを...
もう何度寝落ちしたことか…
でも好きな映画だった。
以下ポイントを上げていく。
トリュフォー監督の自伝的映画という事らしい。
トリュフォー自身、幼少期、親は喧嘩ばかりで、勉強出来ないから学校には居場所がなくて、唯一の好きな事は映画館で映画を観ることだった。やがて鑑別所に入れられた。
トリュフォーはこの少年役の役者を使い幾つも自伝的映画を撮っている。この少年の成長に合わせ、青年の時には自分が青年だった時のことを映画に。
スピルバーグはトリュフォーの特にこの作品が大好きで、未知との遭遇ではトリュフォーを学者役でキャスティングしている。
スピルバーグの生い立ちと彼の作品を見れば、何故トリュフォーが好きなのかわかる。スピルバーグも親が不仲で、勉強できないこだった。
映画オタク映画
町山智浩氏の解説参照
かまってちゃん?
トリュフォーの処女長編作。
作者自身の経験が数多く投影されているのは、処女作ならではなのでしょうか。
この作品の主人公たる少年のとる、社会規範からの逸脱行為。諸々の行動の累積は、成人の目から許されざるものとして取り扱われるのも致し方なし。
衝動コントロールの欠如、注意力の散漫さは、持って生まれた気質なのか。子供に特有といえるのか、それとも、特定の子供に特異的なものなのか。
社会は、大人は、どう彼らに接していくのか。そして、子供たちは?
今日も禅問答は続く。
子供は判ってほしい。
素晴らしい邦題に違わない内容。今も全く瑞々しさを失っていない。
主人公を演じたレオー少年に、とても少年とは思えない色気を感じた
初観の頃が懐かしい。問題多き少年時代を監督の体験と合わせて具に
観察しながら、傷付いた少年の裏側を丹念に描き出していく秀作。
大切にしたい映画かも
1959年製作のフランス映画。監督はフランソワ・トリュフォー。今週にジェーン・バーキンの来日公演に行くことになり、ここ数週間はおフランスモードでございます。というわけで、最近はフランス映画ばかり観ているのですが、本作はその中でもかなりクラシックな部類に入る作品です。
内容は、両親の喧嘩が絶えず、まともな愛情ももらっていない12歳の男の子の物語。ちゃんとした親の教育をもらわないまま育ったものだから、普段から素行が悪く、学校では悪童あつかいで、問題が絶えません。そして、主人公は、親から見捨てられ、特別施設に送られるという悲しいお話となっております。
わたくし自身は、この主人公ほどぐれたことはなかったのですが、それでもどういう訳か似たような部分はあるなと思いながら見てしまいました。ひょっとしたら、この映画に描かれている主人公の心情というものは、大人になるまでに誰もが抱える反抗心なのかもしれません。
なんでもお見通し的な態度をとる親や大人は、実はなにも分かっていない。子供心ながらに、こんな所で傷ついたことって誰でもあるのではないでしょうか?
あまり多くを語らず非行を繰り返していく主人公の姿から、やるせない怒りと悲しみが、うまく観る人の想像力に伝わってきます。これは親になった人たちが定期的に観るといい作品だと思います。
作品のロケになっているフランスの街(パリ?)が、モノクロの中とても活きています。主役を演じた子役の影のある横顔が素晴らしく、カッコよくさえ思う。
一度は観るといい映画です。
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