「意味がないと思っていたシーンはラストにつながっていた」大人は判ってくれない しろくまさんの映画レビュー(感想・評価)
意味がないと思っていたシーンはラストにつながっていた
この映画は、若いころに一度観ている。
正直、ピンとこなかったし、「ああ、この解らなさがヌーヴェルヴァーグなんだな」と強引に結論付けていた。
当時、意味がないと思っていたシーンは、例えば遊園地のシーン。
これはストーリーにどうつながるんだろうと疑問だった。
何十年かぶりに観て、ようやく分かった。
ラスト、主人公ドワネルは少年院(更生施設)を脱走し、走り続け、海にたどり着いた。カメラはドワネルの顔を大写しに捉えたところで静止画になって、この映画は終わる。
ドワネルの表情は険しく、とても子どものものとは思えない。
それは彼の生活環境は過酷だからだ。
大人たちはドワネルの言葉に耳を貸そうとしない。
彼が信奉する作家バルザックに憧れて作文を書けば先生は盗作だと切って捨てるし、ロウソクの火を捧げれば両親は火事の元だと頭ごなしに叱る。
両親はドワネルの前でケンカでお互いを罵り合う。
ドワネルは父親の実子ではなく、母親の連れ子という背景もあるだろう。
親子3人が暖かく交流するシーンは、一緒に映画を観に行くときぐらいしか登場しない。
上に書いた遊園地のシーンのように子どもらしい笑顔を見せる場面もある。もちろん、ドワネルはまだ子どもだからだ。
だが、環境は彼を無邪気なだけにはさせてくれない。更生施設に入ったドワネルを、両親は見捨てようとしている。
子どもらしい笑顔と、彼の苦しみや悲しみの表情が交互に表れる。それこそが、ドワネルの悲しい現実を反映していたのだ。
そして、映画はラストシーンに向かう。バックには荒涼とした海景、ドワネルの険しい表情。そして静止画になる。つまり、映画の時間は止まる。
すべては、このラストシーンへの疾走なのだ。
なお、本作は監督トリュフォーの自伝的な内容になっているとのこと。トリュフォーの生育環境もまた過酷だったが、本作同様、映画だけが救いだった。この映画は、トリュフォーの初長編作品。そう、この作品自体が、トリュフォーの子ども時代そのものなのである。
大人に翻弄されるドワネルの境遇と心情。それを捉える映像は、手を触れれば切れそうなほどシャープだ。子どもの感性そのままに作られたような画面が素晴らしい。