「狭さと広さの空間の対比」大人は判ってくれない シューテツさんの映画レビュー(感想・評価)
狭さと広さの空間の対比
実はこの名作は初見なのです。
今までに観る機会(TV、DVD等で)は何度もありましたが、流石にこれ程の名作はスクリーンで観たいと思っていると、何故かこの歳まで観る機会を逃してきましたが、今回はそれこそ千載一遇のチャンスと思い観てきました。
そして、鑑賞後なるほど今の私の目で観ても見事と思える傑作でした。
元々トリュフォー作品は個人的に、ゴダールに比べ「何処が“ヌーヴェルヴァーグの旗手”やねん!」と思えるほどに古典的な作風だと感じていて、本作も『自転泥棒』や『靴みがき』『鉄道員』などのイタリアのネオレアリズモ作品の影響を強く感じてしまいましたが、今回の映像の美しさから改めて“ヌーヴェルヴァーグの旗手”と呼ばれる事の意味を見つけた様な気がしました。
私が4歳の頃に作られた作品なので、パリであろうが大阪の西成であろうが、時代的な空気感と言うのは同時代にリアルタイムで生きていた記憶としての懐かしさが感じられ、当時のパリの街並みの美しさを感じると同時に、当時のパリの安アパートメントの狭苦しさや汚さの中に、私が産まれた当時住んでいた日本の貧しい長屋を思い出していました。
本作の中のアパートの中の狭さや、狭苦しい警察の留置所(あの有名な本作ボスターのカットがあの場所なのかと驚いた)とか、寝場所としての友達の工場の隅や遊園地の遠心力を使った遊具等々の閉塞感と、彼が歩き走り続けたパリの街並みと郊外の鑑別所から海辺までの道のりまでの開放感、そして海へと辿り着きストップモーションの表情でのエンディング等々の、狭さと広さの対比、静止と運動との対比の見事さ。ああ、これこそがヌーヴェルヴァーグたる所以だと感じ入りました。
劇場で観る事が出来て本当に良かった!!
追記.
・最後のシーン海岸だけど、今まで色々な映画で“ノルマンディー上陸作戦”を観た記憶から、まるであの場所が15年後のその場所に見えて仕方なかった。
・ヌーヴェルヴァーグとは?を聞かれて、説明する時に個人的には印象派絵画の誕生と比較するのが凄く分かりやすく感じてしまう。
発生の要因からその後の映画界への影響などもとても似ているし、そこにいた作家の個性の違いに関しても良く似ている。まさにカンバス(カメラ)を持って屋外に出ようである。
そして、ゴダールをモネとするならば、個人的にトリュフォーはセザンヌの様な気がする。