大時計のレビュー・感想・評価
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大時計
映画「大時計」は、パラマウント・スタジオのカラーが極めて色濃く打ち出されたたいへん異色で、且つ味わいの有る傑作フィルム・ノワールだった。
作品全体がこの映画会社の特色でもある都会調の洗練された雰囲気に満ちているのだ。当時、他のスタジオで数多く作られたひたすら暗く、絶望的な世界観に彩られた一般的なこのジャンルの作品群とは明確に一線を画した作品でもある。
シナリオ、台詞、セット、衣装、照明に始まり、主演級からほんの小さな脇役に至るまでのほとんど全てのキャラクターとそれを演じる役者達にそれらが顕著に伺えるのだ。
レイ・ミランド演じるこの映画の主人公も他のフィルム・ノワール同様、ほんの些細なミス、ちょっとした運命の悪戯によって、それまで平和だった日常生活から一転、悪夢に満ちた闇の世界へ脚を踏み入れ、人生破滅の危機に見舞われることとなる。
しかしながら、そのような主人公の絶望的な状況が、それとは裏腹な実に洗練されたパラマウント調のセットの中で、しかも多分にユーモラスな登場人物たちが交わすウィットに満ちたキビキビとした会話と動きの中で描かれていくのだ。このストーリーテリング自体は、一般的なフィルム・ノワールと言うよりは寧ろヒッチコック調のユーモアを巧みに織り交ぜたコメディ・サスペンスに近い作品であると形容することも可能だ。
舞台となる大都会の摩天楼の一画にある雑誌社オフィスにおける従業員や警官、目撃者たちのテンポの良い出入り、交錯する会話のリズム感は、ほとんどスクリューボール・コメディのそれに近いのだ。
この当時、パラマウントを中心に映画史に残る数々の傑作スクリューボール・コメディを創り上げたかのプレストン・スタージェス監督作品の雰囲気、臭い、影響までもが感じられる。
主役のレイ・ミランド自身も、ただ闇の中でもがき苦しむと言ったタイプではなく、かなり要領が良く、適度にいい加減で、ユーモラスな雰囲気を持つこの役者ならではの味わいを存分に発揮しており、映画のクライマックスでは、自ら行動を起こし、気転を利かして危機的状況を打破し、自分を罠に嵌めようとした真犯人を付き止め、逆に罠に嵌めていく程だ。
このあたりのキャラクターもかなりヒッチコック的であり、その後1953年に同監督の名作スリラー『ダイヤルMを廻せ!』の主役に抜擢された所以なのであろう。
雑誌社の社長役を演じる名優チャールズ・ロートンにしても、その変質者的な凄みと同時にユーモラスでとぼけた味わいをも見事に表現している。またエルザ・ランチェスターの使い方などは、ほぼ完璧なコメディ・リリーフと言ってよく、実に感心させられる。
但し、フィルム・ノワールであるからには、当然ピリッと要所要所を締める必要が有り、同様に役者を例に取れば、ひたすら暗く陰湿なロートンの腹心を演じるあの「ギルダ」のジョージ・マクレディや、劇中終始顔色一つ変えず、一言も喋らない不気味な形相をしたヘンリー・モーガン(アンソニー・マン監督諸作で、いつも脇役ながら都度異なった味のある演技を見せていた名優)がこれを受け持っている。
シリアスな状況における笑いの演出、洗練された光沢に彩られたピカピカなセットと相反する暗い影に満ちた闇のシーン、個性ある役者達による前記明暗を分けた演技・・・これら全てのコントラストが巧みに折り重なり合い、新機軸で且つスタイリッシュなパラマウントならではの独特な新しいフィルム・ノワール観を確立させている。
最後にジョン・F・サイツの見事な光と影の演出、神懸かり的とも呼べる冒頭のクレーンと特殊効果を駆使した移動撮影にも一言触れておきたい。
フィルム・ノワールの歴史の中でもひときわ異彩を放つと同時に、決して忘れてはならない偉業の域に達している。そして数年後にサイツ撮影監督の下、パラマウント・スタジオが産み出すことになる映画史に残るビリー・ワイルダー監督不朽の名作「サンセット大通り」の到来を早くも予言しているように思えてならないのだ。
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