王女メディア

劇場公開日:2022年3月4日

解説・あらすじ

詩人・作家・映画監督として活躍したイタリアの異才ピエル・パオロ・パゾリーニが、20世紀を代表するソプラノ歌手マリア・カラスを主演に迎え、ギリシャ悲劇「メディア」を映像化した作品。イオルコス国王の遺児イアソンは、父の王位を奪った叔父ペリアスに王位返還を求める。ペリアスはその条件として、未開の国コルキスにある「金の羊皮」を手に入れるよう要求。旅に出たイアソンは、コルキス国王の娘メディアの心を射止め金の羊皮を持ち帰る。しかし王位返還の約束は反故にされ、イアソンはメディアと共に隣国コリントスへ向かう。そこで国王に見込まれたイアソンは、メディアを捨てて国王の娘と婚約。裏切られたメディアは復讐を決意する。2022年3月には、特集企画「パゾリーニ・フィルム・スペシャーレ1&2」(ヒューマントラストシネマ有楽町、新宿武蔵野館ほか)にてリバイバル上映。

1969年製作/111分/G/イタリア・フランス・西ドイツ合作
原題または英題:Medea
配給:ザジフィルムズ
劇場公開日:2022年3月4日

その他の公開日:1970年7月17日(日本初公開)

原則として東京で一週間以上の上映が行われた場合に掲載しています。
※映画祭での上映や一部の特集、上映・特別上映、配給会社が主体ではない上映企画等で公開されたものなど掲載されない場合もあります。

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映画レビュー

4.5 神話に埋め込まれた「現実」

2025年10月22日
PCから投稿

『王女メディア』は、単なるギリシア神話の映画ではありません。マリア・カラスという実在の女性の人生と、パゾリーニ自身の精神的な葛藤が、神話という形式に変換されて描かれた作品です。表面的にはイアソンとメディアの悲劇ですが、実際には現実と神話が一体化した「現代の神話」として成立しています。

まず前提として、この映画の背後には巨大な現実の物語があります。マリア・カラスは20世紀を代表するオペラ歌手でしたが、私生活ではギリシアの大富豪オナシスと恋愛関係にありました。オナシスは今で言えばイーロン・マスクやジェフ・ベゾスのような超富豪で、実際にカラスに石油タンカーを贈ったとも言われています。ところが彼はやがて彼女を捨て、暗殺されたJFKの未亡人ジャクリーン・ケネディと結婚しました。この事件は、芸術と金銭・権力の断絶を象徴するものであり、当時のヨーロッパ文化圏では大きな衝撃を与えました。

その失恋と喪失の中で、カラスはパゾリーニと出会います。パゾリーニは同性愛者であり、二人の関係は恋愛ではなく、深い友情と理解によって結ばれたものでした。彼はカラスの中に「聖なるもの(sacralità)」を見出し、カラスはパゾリーニの中に「救済」を見出そうとしました。しかしその絆は、互いに異なる救済を求めたまま、数年後には途絶えてしまいます。現実ではどちらも救われず、パゾリーニは1975年に悲劇的な死を迎え、カラスも孤独のうちに亡くなりました。

この映画は、その現実の悲劇を“神話の形式”で昇華したものです。イアソン(=オナシス)とメディア(=カラス)の関係を通じて、パゾリーニは「聖なるものを失った現代文明」の姿を描きます。映画冒頭、メディアが少年を生贄にして血を大地に塗る場面は、死を通じて生命を循環させる“聖なる時代”の儀式です。ケンタウロスが「すべてが聖なるものであった時代には、どんな生もどんな死も世界と断絶していなかった」と語る通り、そこには生と死、自然と人間が一体であった世界が示されています。

やがてイアソンが登場し、理性と欲望の文明がその聖性を破壊します。弟殺しや裏切りは、単なる愛憎劇ではなく、「神話から理性への転落」「聖性から物質への堕落」の象徴です。メディアがすべてを焼き払うラストは、復讐というよりも、失われた聖なる世界への帰還――もはやそれが可能でないことへの絶望の炎です。

また、興味深いのは、パゾリーニがマリア・カラスの声を使わなかったことです。オペラ歌手としての最大の武器である“声”を意図的に剥奪したのです。理由は「カラスの声が現実的すぎて神話にならない」からでした。パゾリーニは、彼女の現実的な情念ではなく、沈黙の中に宿る聖性を撮りたかった。現実のカラスが失っていた「声」と、映画の中で奪われた「声」が重なり合い、彼女の喪失と再生を象徴しています。

ケンタウロスの存在は、パゾリーニその人の分身です。半分獣で半分人間――すなわち詩人であり、同時に理性に堕ちた現代人。かつて神話と共に生きていた自分がもう存在しないことを嘆き、語りながら消えていく。メディアに“聖なるもの”を見出したパゾリーニ自身の内なる声でもあります。

こうした構造を知ったうえで見ると、『王女メディア』は単なる文学的神話映画ではなく、「芸術と聖性の再生」をめぐるドキュメントに見えてきます。カラスは現実に裏切られた女でありながら、映画の中で神話的存在として蘇る。パゾリーニは彼女を撮ることで、自らが失った“詩人としての聖性”を一瞬取り戻そうとした。つまりこの映画は、カラスのためであると同時に、パゾリーニ自身のための祈りでもあったのです。

今の観客がこの映画をそのまま見ても、意味がつかめないのは当然です。オナシス事件も、カラスとパゾリーニの関係も、背景を知らなければ、この映画の感情の振幅がどこから来るのか理解できません。ですが、その背景を知れば、すべての断片が一本の糸でつながります。神話と現実、愛と芸術、聖と俗が混じり合い、互いに救われぬまま世界を燃やしていく。『王女メディア』は、まさに現実そのものを神話として撮った映画なのだと思います。

鑑賞方法: Blu-ray (2Kリマスター)

評価: 90点

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neonrg

2.0 わかりませんよ、パゾリーニさん

2025年5月15日
PCから投稿
鑑賞方法:映画館

怖い

難しい

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共感した! 2件)
H・H

3.5 マリア・カラス=メディア‼️

2025年2月11日
スマートフォンから投稿
鑑賞方法:CS/BS/ケーブル、DVD/BD、TV地上波

怖い

興奮

知的

ギリシャ悲劇「メディア」を映画化したパゾリーニ監督の力作ですね‼️魔女メディアがイアソンと結ばれるが、やがて王位に就いた彼は王の娘グラウケと婚約。嫉妬に狂ったメディアはグラウケと我が子二人を殺し、自らも炎に焼かれて死んでいく・・・‼️古典悲劇を題材に強烈な描写で鬼気迫る場面を作り上げたパゾリーニ監督の、異様な古典市ですね‼️ホントに凄絶‼️でも「アポロンの地獄」もそうだけど、どうもパゾリーニ監督作品は私の肌に合わない‼️力作だけど、観終わった後ドーッと疲れる‼️一回観れば充分かな‼️

コメントする 1件)
共感した! 4件)
活動写真愛好家

4.0 期待度◎鑑賞後の満足度○ 期待していたものとは少し違っていたけれども映像で語るとはこういうことかと再認識させてくれたので評価は高いです。ただ、観る前に少しギリシャ悲劇の知識を持っていた方が宜し。

2025年1月1日
Androidアプリから投稿
鑑賞方法:VOD
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モーさん