劇場公開日 1991年1月26日

黄金の馬車のレビュー・感想・評価

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3.5たくましさ

2024年2月21日
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鑑賞方法:VOD

舞台と映画とリアルが混ざっていく不思議な感触の世界だが、それがファンタジックな夢のような世界ではなく、妙に生々しい、肉体を感じさせるものになっているのが面白い。

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ouosou

5.0ルノワール監督の演劇へのオマージュの素晴らしさと完成度の高さに、祝福を!

2023年3月15日
PCから投稿
鑑賞方法:VOD

何たる素晴しき映画だろうか!!!

映画に夢中だった若い頃以来、久し振りに映画を観て興奮し、何とも言えない感銘を受けました。ジャン・ルノワール監督作品では、これまで「どん底」「大いなる幻影」「獣人」「ゲームの規則」「南部の人」「河」「フレンチ・カンカン」しか観ていませんが、その中で名作の誉れ高い「大いなる幻影」「ゲームの規則」に匹敵する作品に出会えるとは、本当に幸せです。

イタリアのコンメディア・デッラルテのコロンビーナを主人公にしたこの作品は、当初予定のルキノ・ヴィスコンティ監督から引き継ぐ形で、イタリアの映画プロデューサーからジャン・ルノワール監督が依頼されたようです。その時のルノワール監督の条件は、まだ一般的ではなかったテクニカラーで撮影することと、ライブ録音であったと言います。コンメディア・デッラルテとは、16世紀から18世紀にかけてヨーロッパで流行した仮面劇団で、役者は類型的な特徴を持つキャラクターの役柄を固定化してました。映画の最初の公演では、パンタローネとかアルレッキーノをドン・アントニオ座長が紹介します。このアルレッキーノは道化師や軽業師を演じ、原色のまだら模様の衣装は道化師のスタイルの起源とされている。と知ったかぶりに書くのは、この演劇一座の旅から旅の公演興行の時代再現の見事さ、衣装デザインの独創性、公演舞台の裏表の面白さ、子供たちの未完成な曲芸の可愛らしさなど、大衆演劇の粋を極めているからです。原色が鮮やかに映えるテクニカラー映像が素晴らしい撮影は、ルノワール監督の甥クロード・ルノワール(他に「河」「恋多き女」「フレンチ・コネクション2」)が担当しています。マリア・デ・マッテイスの赤と黒が美しく印象的な衣装から貴族たちの華やかなドレスまで、全て個性的です。イタリアの劇団がラテンアメリカのスペインの植民地に流れ辿りつき演劇公演するお話のこの演劇映画は、何故か英語で撮影されました。これは英語圏市場を目的にした制作の事情の様です。それでもヒロイン コロンビーナのカミーラが舞台ではイタリア語で歌います。イタリア人のスペインの植民地での演劇を英語で語るフランスの監督の映画の国際色の豊かさ。ルノワール監督の国に拘らない、何と異色でも違和感なく創作されている包容力でしょう。音楽はヴィヴァルディの「四季」などの時代にあったバロック音楽を使い、映像より主張しない丁寧な配慮が為されていました。

主演のアンナ・マニャーニの素晴らしさはいうに及ばずですが、他の役者たちも安定した演劇演技をみせて、それぞれが味があります。座長アントニオと秘書マルチネスのいい存在感。古典演劇へのオマージュを、舞台に入っていくカメラから映画の世界観で展開させ、後半の山場ではカミーラが第二幕の終わりを告げ、そしてクライマックスの大団円で完結させた脚本構成の完成度の高さ。ラストシーンにアップになる、真紅の緞帳をバックに佇む黒衣のカミーラの神々しさ。一幅の絵画として表現されたルノワール監督の最高のショットです。

内容については、言葉で簡単に説明できない複雑なものを表現している。風刺あり、皮肉ありの女性の心理ドラマとしても面白く、女優が演じることの幸せについての考察も深い。でもこれは観て感じる映画の大傑作であると思います。理屈は後からでいい。ルノワール監督の偉大さが分る、本当に素晴らしい作品でした。

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Gustav

1.0ジャン・ルノワールのファンの皆様、ごめんなさい

2021年1月22日
スマートフォンから投稿
鑑賞方法:DVD/BD

この映画の評価として、
フワンソワ・トリュフォー監督からの
絶賛を始め、
各サイトに投稿された方々の評価も
著しく高いものがある。

しかし、
私はこの作品には全く乗れなかった。

基本的にこの映画のジャンルは喜劇
なのだろうから、
あまりリアリティにこだわる必要はない
のかもしれないが、
全くという訳にはいかない。

また、私は喜劇でも、
社会風刺や人生観の示唆の観点は必須で、
もしそうでないなら徹底的な
ナンセンスギャグでなくてはならないと
思っている。

しかし、私はこの映画には、
それらの要素を感じ取れなかった。

何故、総督・人気闘牛士・騎士という
各界有力者3人もの男が、充分な説明もなく
劇団ヒロインに夢中になるのか、
それも己の大切なキャリアを放棄してまでの
入れ込み設定は現実離れ過ぎる。
馬車の教会寄進の落ちもお手軽過ぎるし、
劇中劇の設定も、
他の優れた同様の映画作品を
凌駕することはない。

昨年来、戦前戦後の映画を集中的に
観賞したが、その中でも
デュビュデュエの「舞踏会の手帳」、
カイアットの「裁きは終わりぬ」
エルンスト・ルビッチの「私の殺した男」や
「生きるべきか、死ねべきか」
等は、素晴らしい作品だった。

ユーモア満載の作品も含め、全て、
人生や社会を深く洞察した名作だった。

しかし、
ジャン・ルノワール監督の他の作品にも、
同じような共感は得られなかった。

「どん底」は
黒澤作品を上回ることはないし、
「大いなる幻影」は
両将校の友情と別れの描写が
クライマックス過ぎて、
この後のジャン・ギャバンの
逃亡エピソードが
付け足し的に見えて締まらない。
「ゲームの規則」の恋愛ゲームと
権利による事件隠蔽の内容には、
ニキータ・ミハルコフの
「機械仕掛けのピアノのための未完成の戯曲」
にある、
やはり一カ所に集まった同じ群像劇での、
人生への深い検証の姿勢が有るわけでも
無い。

私の若い頃は、
ジャン・ルノワール監督と言えば、
映画界のビッグネームの一人として
認識させられていたが、
昨年来、
それ以上に優れた監督作品の発見が続き、
ルノワール監督はすっかり
重要では無くなってしまった感がある。

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KENZO一級建築士事務所

5.0圧倒される!

2020年10月26日
iPhoneアプリから投稿

大監督ジャン・ルノワールに圧倒される。

どんな男にも御せないカミーラという女性。私たち鑑賞者もまた彼女を御せないまま物語は進む。
その鑑賞者に向かってカミーラが、一部始終を話そうとする「語り」の意志。
この巧みに作り上げられた世界は、我々の生活に直接響くものはないのだが、彼女の意志を我々はじっくり見ておく必要があるのだ。

ヨーロッパの爛熟した貴族感覚では、「お辞儀」は形骸化しているように見える。
一方、演者がカーテンコールで行うお辞儀は生きている。観客に向けたお辞儀は、祝福の歓び・感謝・礼儀であり、神の前に膝を折るに等しい。

めくるめく精神の嵐が、肉体の上を吹いてこそ、初めて人間は作られるようだ。めくるめく嵐の中で、人間の根っこは太くなる。

こんな大名画をプライムビデオで無料で観られるとは。いやはや、当時の貴族も真っ青な贅沢である。

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Raspberry

5.0アンナ・マニャーニの魅力全開

2020年7月27日
Androidアプリから投稿

1953年の仏伊作品
原作者はカルメンで有名なメリメ

トリュフォーが絶賛してたらしいので見たが、とても良かった
劇中劇のように始まり 大団円でまた、終わるのも
ルノワール監督の優れた色彩感覚も
イタリアの大衆芸能の面白さも

主役のカミーラを演じるアンナ・マニャーニの魅力が溢れていた

バイタリティーのある陽気で喜怒哀楽のはっきりしたイタリア女は 話相手としても楽しそう
強力な味方にもなりそうだし、その飾り気のなさにどこかホッとする

そんな訳で 騎士、闘牛士、総督らスペイン男を魅了し、選択を迫られるが…
恋の駆け引きだけでなく、政治的、黄金の馬車を巡る判断もしなくてはならなくなる

彼女の機転は正解だが 苦味もあり、その階層や舞台人(看板女優)の宿命も感じさせられた

一生懸命芸やお手伝いをしたり、恋のライバル達が鉢合わせしないように機転をきかすチビも可愛い
(もう既に大人の事情を理解している)

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jarinkochie