エクソシスト2のレビュー・感想・評価
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パズーズ、コクーモ
やたらと耳に残るこの言葉。
1作目が割と良かっただけに、ギャップが大きかったかな。
詳しい事情は知らんが、ダミアン・カラス神父は存在しなかった人になってるの、なぜ?
脳波を同期?
さっぱりわからん。
神父さん、地下鉄辺りでも呼ばれてるのに全く無視。
かと思いきやちゃんと聞いてんのね。(笑)
ジョージタウンで、タクシーが派手にクラッシュしても建物が崩れても火事が起きても、人が全く集まらないのもなぜだ?
終わった後、神父とリーガンはどこへ行くわけ?
結局今回神父は何をしたんだろうって感じ。
つまらな過ぎて最後は笑えてきた。
0135 キティウインちゃん丸こげ
1977年公開
ガッカリ感ベスト1かな。
ジョンブアマンが相当こねくり回してしまう。
イナゴがサタンの手下というのは高校生に
わかるべくもなく悪魔系はただでさえ
え!?これで終わり?があるのに
本作はそれの10倍ほど?感が凄かった。
エンニオモリコーネ作
マジックアンドファンタジーには驚嘆。
テレビコマーシャルでは頻繁に流されたが
本作ではアレンジしか使われなかったのは
残念。
50点
初鑑賞 1977年8月23日 梅田グランド劇場
パンフ購入
オカルト的というよりSF的
久しぶりに『エクソシスト』を見たのですが、2、3も続けて見ました。この「エクソシスト2」もずいぶん前に観た記憶があるのですが、ストーリーを全く覚えていませんでした。
今回、改めて観ると、2は自分にはあまりピンと来ませんでした。脳波を同期?させることで、悪夢を再現する(測定する)というパターンがちょっとSF的で、あまり怖さがありませんでした。前作は様々なストーリーのある中で、直球的な怖さ(不気味さ)がありましたが、2は、ちょっと理屈っぽい感じがしました。
イナゴの大群が気色悪かったです。
再見なれど・・・
改めてみましたが、やはり当時の画像という事もありB級感は満載で、1のディレケの画面が余りにシャープなだけに、連続鑑賞ではチョッと古臭さ感は免れませんでした。
【この作品の評価が上がらない主な理由は下記の2点】
①その原因は監督にある説
今回の作品を監督したジョン・ブアマンの偏向したSF観にその原因がある。ご承知のように🎦未来惑星ザルドスで圧倒的なカルトファンを持つに至った彼はその勢い駆って🎦エクソシスト2を作るのだが、彼の関心は悪魔の正体であるアッカドのパズズと言う悪霊の解釈に学術的な偏執狂的な解釈を持ち込み、その説明の為にこの作品を作っている節がある。ただ自ら進んでこの映画作りに入った訳ではなさそうで、最後は完全に半分投げ槍の編集に至ったのではないか?
②その原因は時代的背景でもある説
時代的な背景としてハードSFからサイエンスファンタジーへの移行期でメディテーションやUFO観想、ピラミッドパワー等が全盛の時期であった事が大きな影響を与えていた事もあり、あの時代はどうも2でも一部の熱狂的なファンが出来たようである。
と考えるとあの時代としてはかなりの傑作として受け入れられていたという事が分かってきた・・・が、やはり思い入れが強すぎて見てる側はあの編集仕上げのちぐはぐ感は、う~ん・・・ねぇ~
まぁ昔見て記憶に残らないわけだなぁ~と再見して思いました。
エクソシスト2―リーガンまたは人類の覚醒
この映画は、第1作が悪魔祓いそのものを描いた作品で、観客は第2作もそうだろうと思い込んで見始めるのだが…どうも感じが違う。
例えば、怪しげなシンクロ器械で見るとリーガンにはまだ悪魔が取り憑いているようだが、彼女が再三発揮する予知能力やテレパシーはそれとどんな関係があるのか、はじめはわからない。まあ、わからないなりに見ていくと、次のような話が展開されていく。
リーガンの救いの手掛かりとしてメリンの足跡を辿るラモントには、キリストの荒野の誘惑よろしく悪魔パズズが信仰を試す難問を突き付ける。イナゴの大群を退治したコクモを探そうとすると、悪魔の翼に触れざるを得なくされたり、コクモに会えたら会えたで、針の密生した池を歩むよう命じられ挫折したり、かと思うとそれは幻影で、生物学者である現実のコクモから、悪の連鎖を断つ「よいイナゴ」を紹介されたりする。
少年時代のコクモは超能力ゆえにパズズに憑依されて、メリンのエクソシズムを受けることになった。ならば、超能力を獲得したリーガンも同じ運命を辿らねばならないのではないか。
いずれにしろ憑依されたままのリーガンを完全に解放するには、かつての住まいにとどまっているパズズと対決せねばならないことをラモントは悟る。そこでリーガンとともにパズズとの闘いに臨むのだが、これが第1作と異なり、聖水やキリスト教典礼書などは出てこず、過去のリーガンに化身したパズズと神父との肉弾戦に終始するのである。どうにも悪魔祓いらしくないなあ。
その過程で、神父はパズズに憑依されかかり、現在のリーガンに襲い掛かったりするが、悪の連鎖の「よいイナゴ」による切断が効果を及ぼし、ついにパズズの化身を地獄に落とす。現在のリーガンにはさらに、イナゴの大群が押し寄せるのだが、ここで彼女は少年コクモとは異なり、悪魔に憑依されないで大群を退治することに成功する。
ここまでくると、どうやらこの映画は<悪魔対キリスト教>の戦いから、知らぬ間に<悪魔対超能力に目覚めた人間の戦い>に変質してしまったようだと、ようやく観客も気づかされるのである。
変質のカギは監督ブアマンの思想にある。ブアマンの作品をいくつか見てみると、基本的に反近代で、人間に眠る原初的なエネルギーに価値を見出していることがわかる。ドラッグで人間の能力拡張を図ったヒッピー・ムーブメントを想起すればいい。その”犠牲”になったのが本作で、本来宗教世界の物語だったのを、この原初的思想により人類進化の覚醒譚に変化させてしまったというわけだ。
本作では近代化された宗教であるキリスト教にはもはや悪魔に打ち克つ力はなく、むしろ人間の根底に眠る能力を覚醒させたリーガンこそ、その力を持っているとされる。彼女を手始めに、人類は進化の新たなステップに踏み込んでいくのである。最後にタスキン女医の促しに応えるように、ラモントとレーガンが二人そろって何処かに去っていくのは、ともに人類を進化させる旅にでたという意味だ。
以上が本作のストーリーと背景思想で、エクソシズムのおどろおどろしい世界を予想したファンの期待は見事に裏切られた。当然に、世評はかなり芳しくなく、このサイトでもボロクソに叩かれまくっている次第である。
しかし、成熟しかけたリンダ・ブレアの溢れんばかりのフェロモンや、高層マンションでの夢遊病による彷徨いシーン、アフリカの茶色くくすんだ大地を巡る映像、怪しいシンクロ機器、イナゴの大群退治のシーン、最後の楽曲の美しさ等々、印象的な要素に満ちており、本作は傑作というべきではないかと思う。
ただ「エクソシスト2―リーガンまたは人類の覚醒」とでも、サブタイトルを入れておく親切さが必要だったろう。
Do you remember you were in Washington? あれ?怖くなくない?
YOUTUBEでエクソシストの解説動画を見たので、そのままの気分で今まで観ていなかった2を観賞。あれ?怖くない。前作にあったナンとも言えない不気味さがスポイルされているようで、全然怖くないぞ!?どうしたエクソシスト?
キャラクターの印象も弱くなってるからでしょうか?今回主人公のラモント神父。イマイチ優秀な感じがしないです。とりあえず松葉杖で火事を消そうとするのは無理なのでは⁉️
もう1人の主人公リーガンは同じ子役なんですね。「エクソシスト」が1974年で「2」が1977年。子供の成長早っ‼️最後に燃えちゃったシャロンさんは結局何だったのでしょう?
相手の心が読める謎の装置が出てきたり、前作の悪魔の正体がわかったりしますが、イマイチ全体的に印象に残らない本作。ヒット作にあやかって違う人が作る続編って微妙な結果に終わる事が多いという良い見本でした。でも、これも公式なんだよなぁ。
タイトルなし
前作が「お化け屋敷」映画(要はこけおどしということ)としたら、こちらの方は人間の持つ『根源的な善悪』について映像で表現しようという意図を持ったより映画らしい映画と言える。もはや「悪魔」映画ではない。前作の原作者が怒るのも当たり前。
果てしなくつまらない
ホラー映画ではなかった
オカルト映画といえばそうだが全く怖くはない
それなりに派手なシーンもある
恐ろしいのは果てしなくつまらない映画ということだけだ
宗教的意味合いは前作より格段に薄い
テーマすらない
正と邪の戦い?それだけでテーマといえるだろうか?
ラストシーンで科学では理解出来ないこともあると精神科の女医に語らせるのが精一杯
強いて言えば悪魔パズズ、アッシリアの大気の悪霊の王者の姿は本当はイナゴではない
イナゴの姿をしているのは旧約聖書にある悪霊の君主の一人ベルゼブブのはずだ
意図的に姿形をすり替えている
人間による環境破壊をイナゴの群れで表し、地球環境を破壊する人間こそが邪悪であり神によって滅ぼされるべき存在である
そんなイナゴでも良い雌のイナゴがいて、それが子孫を増やせば良い存在に変わることもあるだろう
それが真のテーマなのかも知れない
この監督の考えそうなことではあるが、おそらく買いかぶり過ぎだろう
そのテーマで一貫していないのだ
意味不明
一体、監督は本作にどのような意味を持たせたかったのだろうか
意図や意味性を全く感じることができない
だから本作を観る事によって得られるものが何一つ無い
ホラーも、スリルも、ドラマも、娯楽すらも、何の意義もない
配役すらリーガン役を変えて、もう少し美少女にでもすればもう少しでも観れる映画になったろうに、何か監督の本作にかける情熱とか執念といったものが感じられないのだ
これではオカルト映画で一山当てようという単なるビジネスだ
まだ同じ監督作品でも未来惑星ザルドスの方が同じく果てしなくつまらなくても、監督の製作意図とテーマはあっただけましだ
ジェームズ・アール・ジョーンズ
ダースベイダーの声、そしてコナン・ザ・グレートのタルサ教祖役での怪演技で有名な彼の姿を大人になったコクモ役で観ることができた
それだけが収穫
果てしなくつまらない本作の中で、彼の存在感だけが光っている
これが数年後にコナン・ザ・グレートでの大役を掴む事に繋がったと想像するに堅くない
エンリオモリコーネの音楽も単独で聴けばそれなりに良い
しかし映像と内容に全く合わない
モリコーネとジェームズ・アール・ジョーンズ
この二人に免じて星一つオマケ
脳波を同期させて悪夢を探る実験。
心理療法を受けているリーガン。メリン神父の真の死因を調査するという内容は、前作で彼が死ぬシーンが描かれてなかったのでピッタリだったのかもしれない。
これも映画館で観たのだが、印象に残ってるのはリーガンが医師の心臓を掴むシーンと足に釘が刺さるシーン、そしてイナゴの大量発生のシーンだけだ。
最悪音楽賞はこれで決まり!
前作で悪魔に取りつかれた女の子の戦いはまだ終わってなかった!というわけで、二作目の本作でございます。前作は「腐ったロールケーキ」と表現しましたが、これは腐ったフォワグラのような映画でした。
シリーズ化すると壮大にさせるのが宿命なのか、本作は前作の悪魔の起源にまでさかのぼっています。
前作は、女の子に憑依してからお祓いされるまでの物語だけに限定して、下手に解説くわえず、ある種の密室劇のような仕立てにしたから成功したのだと思います。宇宙人の存在を信じなくても、目の前に宇宙人のような生物が現れ、それと数時間一緒にいると、そういう可能性もありかもって思える感覚でしょうか。
本作は、その視点を大きくしてあっちこっちに飛んで、だんだん嘘くさくなってきます。なにをここまでお金かけて作る必要があったのでしょうか?
77年作とあることから、アメリカが病んでいた時代に作られた作品と言えます。なんでもいいから、アメリカ社会の病をお祓いしたいような作品をつくりたかったのでしょうか。
それにしても、この映画の音楽をもっとどうにかしてほしかったです。
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