「フォード敬愛の黒澤明にとっての特別な作品か?」駅馬車(1939) KENZO一級建築士事務所さんの映画レビュー(感想・評価)
フォード敬愛の黒澤明にとっての特別な作品か?
私が海外の作品を観る時にネックになる
のが、登場人物の顔と名前の判別だ。
なかなか覚えられないうちに、
映し出される顔や、字幕スーパーに
他の登場人物の名前が表示された際に、
誰だったろうと考えているうちに
場面展開されてしまって、
結局理解が進まないまま鑑賞を終えてしまう
ことがままある。
しかし、
この作品は一切その心配は不要だ。
登場人物の名前などは分からなくとも
全く支障が無い。
ひとりひとりの個性が際立っており、
人物判定に苦労しないで
ストーリーに集中出来る作品だった。
何十年ぶりかの鑑賞で、いまや有名な
アパッチ族による駅馬車襲撃シーンしか
覚えていなく、期待の高まらないまま、
同じフォード監督の「わが谷は緑なりき」を
観た勢いでの再鑑賞だったが、
印象が変わった。
このフォードの西部劇映画は、
「アパッチ砦」や「シャイアン」のような
アメリカ先住民への公平な描写は
無いものの、
ウエイトを置いたのは、
肩書きと人間性の反転描写によって
思い込みや偏見での判断の過ちを諭す、
との製作意図だったのでは。
私としては、
赦しや寛容の重要性をも醸し出しつつの
エンターテインメント性に優れた作品
として、再評価出来る鑑賞となった。
フォードを敬愛する
黒澤明作品の素晴らしさは、
エンターテインメント的作風の中に
ほとばしるヒューマニズムだが、
その意味では、この「駅馬車」は
黒澤にとってのフォード映画の中でも
特別な作品ではなかったかと
想像を巡らした。
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