噂の二人のレビュー・感想・評価
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深い内容に再鑑賞が楽しみな作品の一つに…
アメリカ文学と映画の関係を解説する書籍で
この作品が採り上げられおり、
鑑賞の切っ掛けに。
なにせ、監督があの「ローマの休日」や
「ベンハー」の巨匠ウィリアム・ワイラー
だったにも関わらず、恥ずかしながら
これまで認識外の作品だった。
しかし、キネマ旬報で第9位との高評価、
更には、なんと、原作の脚本が
「ジュリア」のリリアン・ヘルマン
と知って、ますます期待が高まる中での
初鑑賞となった。
事前の情報を読まなければ、
女同士の関係はビジネス上、
あるいは深い友情くらいにしか
感じなかったであろうとの前半。
しかし、後半になって、程度は別にして
同性愛的要素もあったことが匂わされ、
その結果として世間の糾弾を受け、
二人は社会的地位も失ってしまう
展開になって、更なる悲劇が。
ワイラー監督の2度目の映画化とのこの作品、
1作目では当時の社会的な制約で
二人のレズビアニズムを表現出来ず、
マーサは自殺もせず、
カレンはジョーとの結婚を匂わすとの
ハッピーエンドに満足しなかったための
再映画化だったとのこと。
ところが、2作目の上映時には
時代的にインパクト性を失っており
評価が芳しくなかった皮肉な結果に、
と冒頭の書籍にあった。
しかし、私には意味ある鑑賞となった。
カレンが一人で歩み始めるラストシーンは、
彼女がLGBTQ差別撤廃運動等、
社会運動のリーダーの象徴として
容易に想像出来たので。
前記の書籍では、
“モラル”と
“生物学的再生産性を目的とした…
人間関係から解放された「個人」という属性”
についての作品とあって、
まだまだ深い内容が織り込まれている
ようなので、
再鑑賞が楽しみな作品の一つとなった。
【”人間の悪性から惹き起こされた負の連鎖。”同性愛者と誤解された二人の女性の姿を通し、社会のモラルを問うハードビターな物語。ラスト、一人毅然と上を向き歩くオードリー・ヘプバーンの表情に救われる作品。】
■17歳からの友人であるカレン(オードリー・ヘプバーン)とマーサ(シャーリー・マクレーン)。
女子寄宿学校を経営している二人は、安寧なる日々を送っていた。そして、カレンは医者のジョーとの結婚を間近に控えていた。そんなある日、学校嫌いの嘘つき問題児・メアリーがついた嘘から、ふたりは同性愛者であるとうわさが広がり、負の連鎖が始まって行く。
◆感想<Caution!内容に触れています。>
・一人の悪意ある女の子メアリーが付いた嘘や、マーサの愚かしき伯母モーターの言動から広まって行くカレンとマーサに関する同性愛者ではないかという噂が惹き起こして行く負の連鎖が観ていてキツイ作品である。
・学校嫌いの嘘つき問題児メアリーを演じた女の子が、顔つきも含めて名演技である。
ー 良く、あの役を演じる事に同意したなあ。-
・メアリーの嘘を信じて、疑心暗鬼になって行くメアリーの祖母アメリア。そして、その嘘が一人歩きして、女子寄宿学校に子供を預けていた親たちが娘を次々に自主的に退校させていくシーンもキツイ。
・そんな中、マーサは自らが長年秘めていたカレンへの想いを告白するシーン。
ー 年代的に、同性愛は社会的に許容されていなかったので、キツかっただろうなあ。-
・そして、カレンの婚約者ジョーも病院を追われる。そして、カレンとマーサを支えようとするも、自身の二人に対する懐疑的な心は抑えようもなく・・。
■メアリーの祖母アメリアに対し、名誉棄損で訴えていたカレンとマーサだが、学校を辞めさせていた肝心の愚かしき旅芸人になっていた伯母モーターが、帰って来なかったために敗訴(映画では、このシーンは描かれない。)。
だが、メアリーの祖母アメリアが、真実に気づき謝罪に訪れた時に、カレンが怒りの表情で言い放った言葉。”謝罪とお金で心の安らぎを得ようとするの!”と言って、彼女を追い返すシーン。
・だが、全ては自分に罪があると思ったマーサは自室で縊死してしまう。
<ラストのマーサの葬儀のシーン。カレンは集まった女子寄宿学校に子供を預けていた親たちが項垂れ、ジョーも木の陰からその姿を見つめる中、毅然とした表情で上を向いて歩き去る姿に、物凄く救われた気持ちになった作品である。>
まさか、こんなにビターな映画だとは!!
1961年(アメリカ)監督:ウイリアム・ワイラー。
原作はリリアン・ヘルマンの戯曲「子供の時間」
親友同士の若い女性マーサ(シャーリー・マクレーン)とカレン(オードリー・ヘップバーン)は、
夢だった女子寄宿学校を経営していた。
経営も軌道に乗り、わずかばかりの黒字が出た、そんな矢先。
手に負えない邪悪な生徒メアリーの聞きかじりの嘘。
その嘘を祖母に告げ口したことから、生徒が全員退学する事態に陥る。
舞台劇が原作らしい「会話劇」です。
緊迫感と先の読めない展開にドキドキしました。
マーサとカレンは名誉毀損で裁判で闘うことに。
裁判シーンはありません。
その結果を告げられるだけです。
更に深刻なのはマーサのカレンへの本心。
この事件をキッカケに、マーサみずからパンドラの蓋を開けてしまうのです。
玉虫色の決着も、無かったことにすることもしない2人。
マーサもカレンも、まったく自分を偽りません。
同性愛が罪だった時代。
マーサの決断。
30年後か?40年後だったなら?
時代の不寛容が悲しいです。
大女優二人の舞台劇
レズの映画と聞いていたら、そうではなくてレズに誤解された二人映画でした。と思ったらやっぱりレズの映画でした。この二人に舞台劇の脚本にワイラー君の演出ですが、結局全員不幸で終わる松本清張の小説みたようです。重厚ですが重いです。
しかし、皆の不幸の原因を作った悪魔の娘の印象が強いです。その意味では邦題はお人好し、原題の方が恐いですね。
異色なオードリー・ヘップバーン映画
オードリー・ヘップパーンが出ている映画の中ではいちばんシリアスな作品。今だったら、LGBTに対して差別的であるとして非難された作品かもしれない。最後の展開は、流れからいってある程度は予想できたが、この映画をつまらないものにしてしまった。オードリー・ヘップパーンのファンとしては、演じている役に惚れ込むことが一番幸せな事、例えば「ローマの休日」のように。この作品の役は、もちろん好演はしているが、好きにはなれない。
正常と異常。
町で女学校を経営するカレンとマーシャが、2人が付き合っているという生徒の嘘によって地域のコミュニティから疎外される話。
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この嘘をついた生徒の子の演技がすごい。子供なのにこんなに嫌な役って他であんまり見た事ない。基本的に子供って純粋でいい子として描かれるからね。
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子供だって人を脅したり、物を盗んだり、悪さをするんだっていうのをこの時代の映画で示したのは結構画期的な気がする。
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映画の中でマーシャがいい年になっても結婚しようとしないことを異常って言うシーンがあるけど、逆に正常な人なんていないでしょ。
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私も自分の考え方が普通とズレてる自覚はあるし、多分皆それぞれちょっとおかしいところがあるんだから皆異常だよ。
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この映画の時代から何年もたってても、今も普通を押しつけられる時は沢山あるし、誰でも生きやすい世の中になるといいよね。
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