劇場公開日 1919年3月

「映画の歴史の分岐点」イントレランス 文字読みさんの映画レビュー(感想・評価)

5.0映画の歴史の分岐点

2025年3月20日
PCから投稿
鑑賞方法:DVD/BD

1916年。D・W・グリフィス監督。これはすごい。長尺に気圧されて後回しにしていたことを後悔しました。誰かが「イントレラスには映画のすべてがある」と言っていたらしいが、それは誰でもいい。まさにその通りだから、いつでも誰でも言うことができるからだ。これも誰かが言っていてもおかしくない。
まず、制作された時代がすごい。第一次世界大戦中で、日本では夏目漱石が「明暗」を新聞連載していたころだ。この時代に、生まれてからさほど時間が経ってない映画という新しいメディアによって、4つの物語を平行して描くという離れ業をやっている。なんてことだ。有名なラストミニッツレスキュー(締め切りに向かって緊張感が高まること)は4つもあるので迫力満点なのはもちろんだが(人が走る。機関車も車も馬車も走る)、画角も画面の割り方もクロースアップもすばらしい。動きと静止、光と影、場面の反復などの「リズム」によって緊張と弛緩を自在に作り出している。劇中に音があるかないかや演技のはやりすたりは映画にとって本質的ではないことがよくわかる。
前作「國民の創生」に対する人種差別的だという批判をかわすという目的があったというが、社会がいかに「不寛容」(=イントレランス)に満ちているか、そのなかで人々の生命や愛情や生活がいかに生まれてはつぶされていくかという明確な主題がある。4つの物語のうち、現代アメリカ篇だけが最後に救われるがあとは悲劇。歴史は悲劇に満ちており、現代は可能性に満ちているという楽天的な結末だと捉えれば、これほど映画的な特徴をもった映画もないだろう。
「孤独な娘」のミリアム・クーパーと「山の娘」のコンスタンス・タルマッジが魅力的。

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