インテリアのレビュー・感想・評価
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名作を観る時代的変化
45年前に名画座にて鑑賞。衝撃を受けた印象だけは残っているが、どんな作品だったのか全く憶えていないので再見したのですが、若干当時の印象と違っている様に感じAIとその点について会話しましたので紹介します。
●私の質問
ウディ・アレン作の『インテリア』('78)の中の母親の様な、他者(家族)の家の中まで調度品に拘り口出しするタイプって、今だと強迫性障害と診断されても良いのではないのか?
★AIの回答
非常に興味深い視点です。ウディ・アレンの『インテリア』(1978)の母親イヴのように、他者(家族)に対して過剰にインテリアや環境の秩序・美的整合性を求め、それをコントロールしようとする態度は、今日の精神医学的な視点から見ると「強迫性パーソナリティ障害(OCPD)」や「強迫性障害(OCD)」の要素と重なるところがあります。
ただし、いくつかの重要な区別があります:
【強迫性障害(OCD)との違い】
OCDは、本人が「この考えや行動は不合理だ」と自覚して苦しむ(自我異和性)という特徴があります。たとえば、「部屋が散らかっていると不安で何度も掃除してしまう」など。
『インテリア』の母イヴは、自分のこだわりを他者にも強く押し付け、むしろそれが正しいと思っている(自我親和的)ため、OCDよりは**強迫性パーソナリティ障害(OCPD)**に近いと言えるでしょう。
【強迫性パーソナリティ障害(OCPD)の特徴】
完璧主義、秩序、統制への過度なこだわり。
・他人にもそれを押し付け、柔軟性がない。
・美的秩序や「理想的な家庭環境」などにも強い執着。
・人間関係が犠牲になることもある(まさに映画の中のイヴがそうです)。
つまり、現代の精神医学的な基準で言えば、イヴのような人物は**「OCPDの傾向が強い人物」**と見なされる可能性が高いでしょう。
とはいえ、映画における彼女の性格描写は病名で割り切れるものではなく、文化的・世代的背景や家族関係のダイナミクスも含めて鑑賞する必要があります。
この点について、あなたは「彼女のこだわり」は病理と見るべきだと思いますか?それとも、ある種の芸術的・文化的美意識の暴走ととらえるべきだと思いますか?
●私の返信
あそこまで行くと病気の様に思える。と言えるのは再見した今だからそう思ったのだが、公開当時はそんなことは一切思わなかった。
それだけ現在が精神疾患に対して敏感で扱いに対してデリケートになっているように思う。だから同じ物語でも今作られたらまた違う方向性の作品になるのかも知れない。
★AIの回答
おっしゃる通りですね。『インテリア』の母イヴのような人物像が**「病的に見える」と感じられるのは、まさに現代の私たちが精神疾患の概念に対して敏感になり、診断やラベルを通じて他者の振る舞いを読み解こうとする時代に生きている**からこそでしょう。
1978年当時は、「抑圧的で支配的な母」「家庭を芸術作品のように扱う冷淡な知識人」など、性格や社会的役割の問題として受け取られたものが、現代では「精神疾患の症状」として見えてくる。その視点の変化は非常に興味深いですね。
【もし『インテリア』が今作られたら?】
仮にこの物語が2020年代に製作されたとすれば、以下のような変更や配慮が加えられる可能性があります:
・イヴのこだわりや抑圧的性格に「診断名」が示唆される(もしくは周囲がそれを問題視する描写が入る)
・家族がカウンセリングや心理療法に関わる描写が挿入される
・病的な美意識が社会的規範やジェンダーの問題として分析される
・観客に「共感」と「批判」の両方を喚起するような演出がなされる(=一面的に“母の狂気”としない)
現代は、精神疾患という枠組みで人間の苦しみを説明する傾向が強くなっています。それは一方で「理解」や「共感」を生みますが、他方では人間の複雑さや曖昧さを“症状”という名で単純化してしまうリスクもある。
つまり、イヴのような人物が今描かれたら、単なる「美的暴君」ではなく、心の病を抱える存在として描かれる可能性が高い。
でも、それがウディ・アレンのような作家の手で描かれたとしたら、きっとその線引きの危うさ自体がテーマになったのではないか、とも思わせます。
この視点の変化を、あなたは希望ある進化と見ますか?それとも、物語の曖昧さや深みを失わせるものと感じますか?
●私の返信
疾患名がラベリングされても家族の苦労や悲しみは同じでしょうね。
★AIの回答
まさに核心を突くご指摘です。
たとえ「強迫性パーソナリティ障害」や「気分障害」などの診断名が与えられたとしても、それによって家族が抱える疲弊や葛藤、悲しみの本質は変わりません。
ラベルは理解の手がかりにはなりますが、それが関係性の重さや傷を軽くしてくれるわけではない。
むしろ時に、そのラベルが“本人の人格すべて”を病名で片付けてしまうような感覚もある。
『インテリア』のような物語が響くのは、そうした「名前のつかない苦しみ」や「治療では解決しきれない感情の複雑さ」を描いているからで、イヴの存在は病理と美意識、愛と支配、崩壊と理想のあいだで引き裂かれた“家族の重み”そのものだったとも言えます。
診断がついても、むしろ「それでも私はどうしてあんなふうに傷ついたのか」「どうして理解してもらえなかったのか」という感情の孤独は変わらない。
その点で、現代のほうがデリケートである一方で、むしろ“感情の扱い”には不器用になっている側面もあるのかもしれません。
ご覧になった再見での印象、やはり深く響くものがありましたか?
●私の返信
名作は何時見ても名作ですよ。但し当時の私には今回の気づきはありませんでしたけどね。
★AIの回答
その言葉に尽きますね。「名作は何時見ても名作」——それは、作品そのものが変わらなくても見る側の経験や視点の変化によって、新たな層が浮かび上がるという証拠です。
『インテリア』は特にそうした重層的な作品で、当時のあなたが見た「冷たい美意識のドラマ」が、いまでは「病と愛の間で家族が静かに壊れていく物語」として見えてくる。
その変化自体が、まさに映画と共に自分自身も歳を重ねてきた証ですね。
そして、その新たな気づきがあるからこそ、名作は繰り返し観る価値があるのだと思います。
ツマラナイ理由。
中身は普段のウディ・アレン
私立大学のいけ好かない文化系コミュニティっぽい空気感を醸出することにかけては右に出る者がいないウディ・アレン。自らの作風を張り詰めた静謐の中に封じ込めてみたところで会話の節々に各々の強烈なエゴイズムが滲み出す。才能と成功をめぐる姉妹の愛憎、父母への屈折した感情。完全無欠な空間美学の隙間から溢れ出した自意識は行き場を失ったまま部屋の中を徘徊し、遂には不可逆的な破綻をもたらす。作風こそ異色だが、中身はいつものウディ・アレンという感じ。ただまあやっぱりウディ・アレンの真骨頂は軽妙だが空疎な会話劇にあると思うから、ここまで極端にミニマムな作りだと少々退屈する。あるいは俺こういうのも作れるんですよ、というウディ・アレンのしたり顔が目に浮かんで気が滅入る。やっぱり『アニー・ホール』くらいアッパーなほうが楽しいめるし悲しめる。そう、悲しめるのだ。
ベルイマン風のシリアスドラマに観るウディ・アレンの演劇のアレンジメント様式
「アニー・ホール」でアカデミー賞を受賞してから、ウディ・アレンのアメリカ映画に於ける存在がクローズアップされた。その話題作を観ていないから比較はできないが、今度のこの「インテリア」では、ベルイマン風のシリアスドラマを演出したという事で非常に関心を覚えた。喜劇人アレンの才能の中に冷静な洞察力があるのは当然として、もとより創作の難しさはトラジェディーよりコメディが上回る。上質のコメディを創作する才覚があれば、シリアスな表現は容易いであろう。
上流階級の家族の崩壊を題材に、三姉妹の其々の感性を表現し構成したところは、確かにベルイマンの「叫びとささやきに」に類似している。精神的に追い詰められた女性たちの悩み苦しむ姿とその生活描写は、観る者を釘付けにして離さない。その真剣な制作姿勢は、ベルイマンをお手本にした演出タッチであった。しかし、この作品が追求したテーマは、あるべき形式に拘った家族の生活様式からの人間性の解放ではないか、と感じた。生きて行くことの欲望が溢れている。そこが如何にもアメリカ映画らしいし、北欧の冷たく、達観した人間の苦しみに凝縮されたベルイマンの怖さや厳しさとは違っていた。
実業家として成功を収めたアーサーは、私生活の演出家の妻でデザイナーのイヴの隙の無いインテリア空間から巣立ちたいと要求する。それまで完璧なまでに夫を操縦し、娘三人の育児から教育まで完成させてきたイヴの、それだけにショックな動揺からの喪失感が、この物語の中心となっている。この亀裂によって作家となった娘上二人の対立が顕在化し、テレビ女優の成功を得た末娘の援助も功を奏しない。遂にアーサーが新しいパートナーのパールを連れて来て、教養と潔癖の見事なインテリアを創作してきたイヴは、プライドから女性としての生き甲斐まで否定されたようで精神的に病んでいく。
アレンの演出は、各演技人の特性を巧みに捉えて、簡潔な構図にまとめ上げている。ただし、物語の流れからカメラワークまで創作の意図が前面に出てしまい、感心して映像を見詰めても感動は薄い。そんな中で一番の見所は、ベテラン女優の演技の巧さであった。イヴの棄てられる妻の心理的な恐怖と苛立ちを具現化したジュラルディン・ペイジには、驚き感服する。「白い肌の異常な夜」の怖い女性のイメージの、単にキャリアを積んだ女優さんと気にも留めていなかったが、この演技で考えを改めた。手で眉間を摩る仕草が印象的である。生きることに前向きで人生を謳歌するパールのモーリン・ステイプルトンの抑制の効いた演技は、流石に素晴らしい。「大空港」で大好きになった女優さん、期待を裏切らない。E・G・マーシャルとダイアン・キートン含め、映画以上に演劇の楽しみ方が上回る。それでもアレンの演出で特筆しなくてはいけないのは、録音のリアリティ効果。ダイアン・キートンが髪を梳かす音、イヴが部屋の隙間にテープを貼る音、教会のキャンドルが壊れる音など、日常にある生活の音を丁寧に拾い、映像の表現力と並列に使われていた。
1979年 4月17日 ニュー東宝シネマ2
ジュラルディン・ペイジに関しては、後にジェームズ・ディーンと交友関係があったと知る。リー・ストラスバーグのアクターズ・スタジオでは、最古参の演技派女優であったようだ。私個人の勉強不足で認識が甘かった。若い時期に作品に恵まれていたなら、複数回オスカーを受賞していて不思議ではない。それくらいの女優さんですね。
眼鏡の彼女には4年後に「ガープの世界」で再び会えることに…
公開当時に印象深かったので、
ウディ・アレン作品の中でも
最も再鑑賞したかった映画だったが、
現代と異なり、当時は簡単に再び観れる環境
はなく、今日まで延び延びになって
しまっていた作品だ。
「アニー・ホール」の次作品にしては
打って変わって重々しいテーマの映画で、
同じ監督の作品とは思えない位だ。
アレン作品の中でも心惹かれていたのは、
解説によるとベルイマン調を狙ったと
あったので、
少しベルイマンをかじった者として
共通性を感じたためだったかも知れない。
インテリアのプロとしては完璧でも
周りへの思い遣りも無く、
しかもその好みを押し付けられては
家族にとっては迷惑千万だが、
そんな権力的な振る舞いに家族はそれなりに
反抗するものの抗しきれず、
悶々としているのは
ヨーロッパの臭いや日本的な感じを受ける。
米国イズムだったら、
次女の強い叱咤が母の死の引き金になった
ものの、普段からもっと強い自己主張で
反抗しそうなものだ。
ウディ・アレンはどちらかというと
ヨーロッパ気質に近く、
それがヨーロッパを舞台にした名作が
後年に多い理由ではないかと
勝手な想像もしてしまう。
さて、この映画、
ウディ・アレンの中では好きな作品だが、
ラストシーンで
母が突然現れて入水するラストの唐突感と、
問題を全て母の気質に起因させたのは
少し底浅い印象を受ける。
ロバート・レッドフォード監督の
「普通の人々」もそんなイメージがあった
ことが思い出される。
また、「アニー・ホール」に続いて
この作品でも精神治療や薬物依存の場面が
出てきたが、彼の作品の中で
繰り返し描かないといけないほど、
日常的なことなのか、或いは徹底して
皮肉りたい事象なのか、私には謎のままだ。
ところで、この作品で心惹かれた次女役の
“メアリー・ベス・ハート”
だが、4年後により素敵なイメージで
「ガープの世界」で会えることになったのは
嬉しいばかりだった。
眼鏡を掛けた女優としては最初の
スクリーンの恋人だったかも知れない。
心のなかのインテリア
ウディ・アレンのダークサイド ウディ・アレン映画におきまりの、美人...
ウディは母親コンプレックス?
1978年アメリカ映画。93分。今年36本目の作品。ウディ・アレンにとって初のシリアスドラマ、らしい。さらに本作でのウディは監督と脚本に集中しています。
内容は;
1、娘三人が自立した家庭の夫はインテリアデザイナの妻に「試験的別居」をしようと持ちかける。
2、それから妻の体調は一気に悪化し、追い打ちをかけるように夫は別の女と再婚しようとしている。
3、両親の狭間に立たされた娘たちは、どちらの側につくこともできない。
本作のテーマを平たく言えば「家庭の絆の崩壊」ドラマ。家庭のために働き続けた夫は娘の独立を機にもっと自分らしく生きる方法を模索し、愛人をみつけ、そして妻にやんわりと別れ話をもちかける。個人的にもそういう家庭、知ってます。
娘たちはみんな、じつはかなり前から冷え切っていた両親の夫婦関係を無意識に感じ取っていたのか、とてもドライな性格として育っている。だからいざ両親が別居しはじめても、娘たちの反応は実に冷ややか。
そして、この冷ややかさが本作の軸となっています。それまでのウディの作品にあった人間に対する愛情のまなざしは、本作では見事に消え去っています。たしかに本作はウディ作品の中でもかなりの異色作なのですが、それでもやはりウディのタッチなのです。
物語は最後まで観ると不条理きわまりない。そして、その不条理さはわたしたちの本質に潜む「無責任さ」から生じている。恐らく、これが本作のポイントだと思います。
終盤でウディはちょっとしたシェイクスピア的なタクトを振るい、家庭の絆を運命論的に演出しますが、それが不条理さと見事に対立してなんとも言えない気持ちになるんだな。
気持ちは沈むのだけど、知って良かったんだろうなって感じのメッセージでした。
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