イル・ポスティーノのレビュー・感想・評価
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言葉を紡げる幸せ、言葉を受け取れる幸せ。
⚪︎作品全体
『イル・ポスティーノ』を観て心に残るのは、単なる詩や恋の物語ではなく、「言葉」というものが持つ双方向の喜びだ。詩人ネールダと郵便配達夫マリオの交流を描いたこの映画には、派手な展開も、劇的な転換もない。ただ、島の静けさと波の音、そして二人が交わす言葉の積み重ねが、ゆっくりと人の心を動かしていく。そこにこそ、この映画の魔法がある。
マリオは最初、詩や言葉の力を知らない。ネールダに近づいたのも女性に伝える言葉を持たないから、彼のサインを求めただけだ。しかし、ネールダの語る言葉に触れ、彼が紡ぐ詩の断片を聞くうちに、マリオの中の世界が言葉によって広がっていく。海の音や風景、日常の中で見過ごしていたものが、ネールダの視線を通して詩となり、マリオの中で意味を持ちはじめる。
言葉を「受け取る」ことで、彼は世界を新しく知る。長年共にあった単なる海や山々が、言葉をもって別の景色になっていく。
だが、この映画が美しいのは、マリオがただ受け取るだけで終わらないことだ。マリオは次第に、自分自身の言葉を持ち始める。恋人ビアトリーチェへの思いを伝えるため、詩を真似るように始めた言葉は、やがて彼自身の切実な感情を伴うものへと変わっていく。ネールダから学んだ比喩や響きは、模倣のようでいて、少しずつマリオの実感を帯びたものになっていく。世界を新しく知る喜びから、自分の世界を表現する喜びへ。この変化の過程が、『イル・ポスティーノ』の最もあたたかい部分だ。
マリオにとっての言葉は、ただ恋を叶えるための道具ではなくなる。ネールダとの別れのあと、彼が自ら詩を録音し、海辺で音を拾う姿は、「世界を受け取った人間が、それを誰かに手渡そうとしている」ように見える。詩人から受け取った言葉を糧にして、今度は自分が世界を見つめ直し、言葉を紡ぐ。その過程で、彼は初めて島の風景や音を自分のものとして記録し、語り、愛する人や未来の誰かに伝えようとする。そこには、言葉を「受け取る」側から「紡ぐ」側への静かなバトンの受け渡しがある。
だからこそ、この映画は「詩の力を描いた映画」ではなく、「言葉が生きていく力を与える映画」なのだと思う。詩は特別な芸術家のものではなく、日々を生きる誰かの中に芽生えるものだと示している。マリオが感じた幸せは、ただネールダの言葉に酔いしれるだけのものではなく、自分の世界を自分の言葉で見つめ直せたことにある。それは、言葉を紡ぐ幸せであり、同時に誰かから受け取れる幸せでもある。
ラストに待ち受ける結末は、言葉の温もりとは裏腹に、社会の現実と暴力を突きつける。しかし、その余韻の中で響くのは、マリオが録音した島の音や詩の声だ。彼が受け取り、そして残した言葉や音が、時を越えて伝わっていくことで、観る者の心にも静かな灯がともる。誰かの生きた証が、言葉として、音として残る。その事実が、この映画の本当の「救い」になっているのだと思う。
『イル・ポスティーノ』は、言葉を贈ることと受け取ること、どちらの喜びも教えてくれる。人と人が出会い、互いの世界を言葉で開き合うことの尊さを、これほど穏やかで鮮やかに描いた映画はそう多くないだろう。観終わったあと、誰かに手紙を書きたくなるような、あるいは波の音に耳を澄ませて自分の中の言葉を探したくなるような、不思議な温度を持った作品だ。
⚪︎カメラワークとか
・海や空を映すときの明るさ、広さに対して屋内の狭さ、猥雑さ。マリオが世界の美しさと同居していながら、目の前のことにだけ目を向けているような、そんな序盤の物語とシンクロしているようだった。
・終盤、ネールダが再び島へやってきた時の時間経過がなにもなくて、思い切った演出だった。マリオの死を唐突に話した後、ラストでその瞬間を映すという構成も面白い。
・家の窓から父の仕事風景を見つめるマリオのカットが良かった。いつもの家からいつもと同じ風景だけれど、そこから感じる感情の表現は少し変化がある。
⚪︎その他
・劇伴が良い。素朴なマリオと美しい景色を包み込むような感覚。
・マリオが死んでしまったのは、一瞬そこまでやるか、と思ったけど、それによって言葉の力を強調させるラストになっていた。
生きる喜びについての映画
4Kリマスター版が上映されるということで、中学生の頃に見て大感動して以来の再視聴。当時は映画をたくさん見始めた頃で、この作品は自分にとっても映画を見るという体験の「原風景」の一つを構成している作品でもある。主演のマッシモ・トロイージが撮影終了12時間後に息を引き取ったというエピソードとともに語られることの多い作品だが、彼が演じた主人公の結末ともリンクするために、一層伝説化した側面がある。
だけど、そういう予備知識による上げ底すら必要ないほどに美しい映画でもある。南イタリアの小島の風景が本当に美しい。ここには豊かな自然と人のコミュニティがある。失業中の主人公は、チリから亡命してきた詩人パブロ・ネルーダ専任の郵便配達員となり、彼から詩の素晴らしさを教わる。人が言葉を覚えた瞬間、新たな視点、新たな知識を獲得した瞬間の喜びがこの映画には刻まれている。何かを知るということは素晴らしいことなんだとこの映画は教えてくれる。
死の悲劇よりも、新しく何かを知る喜びがスクリーンいっぱいに映されていることよってこの映画は「名作」と言われるべきだと思う。
この映画に触れるたび、私たちの心は海風をたゆたい、詩人になる
この映画に触れるのは何十年ぶりだろうか。あの穏やかな空気、打ち寄せる波、登場人物らの豊かな個性に触れながら、薄オレンジ色の温もりに包まれていくのを感じた。私がいつも心奪われるのは、マッシモ・トロイージ演じる朴訥な郵便配達員マリオが自らの感覚で言葉を紡ぎ、素朴な描写を口にする場面。ノワレ演じるパブロ・ネルーダはすかさず言う。「そう!それが詩だ!」。誰もが詩人であり、その感覚を秘めている。言い換えるならそれが個性であり、感受性であり、人間として脈打ち、美しいものを美しいと感じ、生きている証。パブロがメタファーという手法をそっと授けることで、思いや言葉は途端に羽根を広げ空を飛び始める。その鮮烈さと幸福。そして全編が数年に及ぶ交友録、はたまた数行の詩にすら思える本作が、トロイージの遺作となったことに何とも言えない感情が込み上げてくる。彼の思いと表情は永遠に生き続ける。彼こそ真の詩人であり表現者だ。
Head-Spin out of Modern Chaos
A quiet film on a postman who finds an unlikely friendship with an exiled poet. Conversations inspire him to pursue a romance with borrowed words. It's an interestingly imaginative tale on cosmically inconsequential romance. It ends with unanticipated political turmoil reminsicent of Z. A cross-continental production that earned five Oscar nods. Old-fashioned indie unlike contemporary films.
史実とドラマの自然な融合
実在のノ-ベル文学賞受賞者のパブロ・ネル-ダが祖国チリを追われ、イタリアのカプリ島に身を寄せた史実に基づき、ドラマが展開する。島の住人である主人公はプ-タロ-しているが、ネル-ダ専属の郵便配達人となり、彼と接触することで文学に目覚めていく。やがてネル-ダとの交流も深まり、友情が芽生えていくと共に、最愛の女性との結婚にも成功する。が、ネル-ダの逮捕状は取り消され帰国する。主人公は、ネル-ダの思い出を大切にしながら、自分自身で詩を書き、共産党の集会でそれを発表しようとする前に命を落とす。このように極々平凡な男の人生の目覚めを切り取ったシンプルな映画である。ネル-ダも主人公も共産主義者であるが、この映画はイデオロギー的に鼻につくものはなく、一般人が安心して見られるものである。主人公を演じたマッシモ・トロイ-ジは心臓手術を撮影のために延期し、本作撮影終了から12時間後に、この世を去った。映画の主人公にかさなるような死に様であった。なお、実在のネル-ダは1973年チリ・ク-デタ-時に救急車の中で病死している。毒殺との説もある。
ご冥福をお祈りいたします
イル・ポスティーノ(il postino)はイタリア語で「郵便配達人」、主人公の島の青年マリオ(マッシモ・トロイージ)の職業ですね。
1950年代のイタリアの小島にチリの詩人パブロ・ネルーダ夫婦が疎開、彼に多くのファンレターを届けるのがマリオです。
詩人パブロ・ネルーダは、1971年にノーベル文学賞を受賞した実在のチリの詩人で一時祖国を追われナポリ湾のカプリ島に身を寄せていたそうです。ただし、マリオとのエピソードはアントニオ・スカルメタの小説でフィクションです。
パブロの人柄に惹かれたマリオは彼の詩集を熱心に読み、詩心を学びます。師弟関係の二人は次第に友情で結ばれてゆきます。心優しい詩人と向学心に富んだ善良な青年に美しい島と心洗われるような美作でした。
ただ、一目ぼれの島の食堂で働くベアトリーチェとも結ばれ息子を授かったマリオは集会の暴動騒ぎで命を落としたようで残念。驚いたのはマリオ役で共同監督、脚本のマッシモ・トロイージさんも心臓病を患っており撮影終了からわずか12時間後に41歳の若さで夭逝、これが遺作となったそうです、ご冥福をお祈りいたします。
言葉の力。青年と詩人のお話。
まるで無垢な子供のようなマリオ。
波打ち際でネルーダに海の詩を聞かされ、言葉に酔う。
詩の虜になった彼は、美しい娘の虜になり、詩の力で愛を勝ち取る。
そして、言葉の力で大衆の心を掴み、世界に語りかけるネルーダの姿を見つめる。
「餌を食べた鳥は飛び去る」
ネルーダが祖国チリへ帰り、世話になった島を忘れた様子であることを詰る人々に、マリオは、むしろ自分の方が世話になったと語る。
「俺はただの郵便配達人。詩人として無価値。共産党員としても大したことない」
表現することに目覚めたマリオ。ネルーダが残したテープに「島の美しいもの」の音を記録する。そして、大勢の群衆の前で演壇に上り、詩を朗読することになる・・・
ラスト数分間の静かでドラマティックな展開。海辺のネルーダの表情。そしていつもと変わらず岸へ寄せる波。マリオを演じたマッシモ・トロイージの最後と重なるようなラストシーンに涙した。
動画は、文字の5000倍の情報量を持つという。「テキスト情報はコスパもタイパも悪いから動画を見た方がいい」と言っている人がいた。単純な情報量で言えば、詩や俳句や短歌は圧倒的にコスパが悪い。
しかし、詩を初めとする文学には、その言葉の数からは計り知れない想像の世界を拡げる力がある。感情を伝える力がある。そして、人の人生を変える力がある。
そんなことを、素朴な青い海の風景と郷愁を誘う名曲が一緒に教えてくれる。
小さな箱にそっとしまっておきたくなるような映画。
口下手な郵便局員と詩人の関係が、不器用ではありながらも少しずつ近づ...
Pubblico, vieni qua!❤ パブリート、こっちへ来なさい。
「ネルーダ」にもレビューしたが、マリオは架空の人物。
さて、実際の歴史は
アジェンデ大統領指示のネルーダがビデラに弾圧を受ける。そして、
お隣の国のアルゼンチンでは、ペロンの妻エビータや一般人を弾圧した別人のビデラの存在。全く、ややっこしい。
でも、一言で言えば、73年に「3人のパプロ」、が亡くなり、1975年にアメリカがベトナムに負けて、アメリカの「覇権の力」が大きく減退した事から始まる。今でも続いているけど、資本主義の崩壊の始まりなのである。もっとも、「社会主義よりも先?」と思われるかも知れないが、社会主義は「良い悪い」は別にして今でも続いている。また、貨幣経済で在る限り、社会主義や共産主義は資本主義の一部に考える説もある。まァ、とうでも良いか。とにかく、アメリカの失墜が始まったと言う事だ。だから、世界が荒れだすのだ。
以下、ネタバレありあり。
さて、起承転結で映画は結末を迎える。僕はこの点がこの映画の鳥肌ものとしての所以と思っている。
理由はマッシモ・トロイージが出て来ないって事かなぁ?詳しくは映画のプログラムに書いてあるかもしれないが。僕はプログラムは買わない主義。
さてさて
作品番号1 ラディソットのさざ波
作品番号2 大波
作品番号3 岸壁の風
作品番号4 茂みの風
作品番号5 我が父の悲しき綱
作品番号6 聖母教会の嘆きの金と司祭の声
「素晴らしいな 今まで気が付かなかった」
作品番号7 島の星空
作品番号8 パプリートの心音
そして
「ほら、パプリートの心音が聞こえる」
ベアトリーチェが
「パプリートとは呼ばないわ」
Pubblico, vieni qua!❤ パブリート、こっちへ来なさい。何回見ても良いなあ。
この映画は何度もは見てるが、見ていると分かってくる。アレレ!フランス語しかできないんだねって。それで、イタリア語とスペイン語って同じラテン語系であっても韻をふめるのかなぁ。思ってしまう。
さて、ジム・ジャームッシュの「パターソン」の主題の一つが、詩の韻の難しさだったと記憶する。僕は「パターソン」を見た時、この映画を見たくてたまんなかった。
「ヌーメロ」が韻を。なのかなぁ?
やはり、聖書で言う様に「バベルの塔」が建立されて、人々の言葉が多様した事が、神は災いとしてるのか?文化の多様化だとは思うが。
少女終末旅行の中に物凄い大きな図書館に出会う場面が出て来る。
だが、彼女達はもう字が読めない。その後、別の状況で、つたない文書で書いていた日記をもう一人の少女が燃やしてしまう。日記を書いた少女は、必死にその日記を回収して、もう一人の少女を殴り倒す。
そして、殴られたもう一人の少女は、その回収をしたノートに殴った少女の寝顔の絵を書く。罪滅ぼしの如く。
この映画の主人公も同じ事をしている。
やはり、文化の多様化は良いのだと思う。
この映画と「殺意のサン・マルコ駅」がイタリアへ行きたくなった一因だけに外す事の出来ない作品。
まァ「ヌーメロ」で言えば1番だな。
ご近所の詩人
ストーリーは素敵だしイタリアの情景が思い浮かぶ!
配信(DMMTV)で視聴。
ストーリーは素敵な話。ただ、ありきたりかなと感じた。
評価したいのは情景。イタリアのナポリ沖合の小島の風景が◎。
ストーリーよりもいかにもイタリアらしい風景でイタリアを思い浮かんだ。
いかにもイタリア映画らしい作品。
フィリップ・ノワレは出演作品を調べるとあのニュー・シネマ・パラダイスに出演。
ニュー・シネマ・パラダイスを観なくては。
【イタリアの小さな島で暮らす純朴な青年が、チリの高名な詩人と出会い、詩の素晴らしさを学び人間として成長する様を描いた美しくも切ない作品。】
■南イタリアの小さな島に、祖国・チリから亡命した高名な詩人、パブロ・ネルーダ(フィリップ・ノワレ)が滞在することになった。青年・マリオ(マッシモ・トロイージ)は、世界中から彼に届く届く手紙を配達するための専属臨時配達人として採用される。
彼はネルーダの人柄と知らなかった詩の世界に惹かれ、友情を育んで行き、その過程で恋する女性ベアトリーチェ・ルッソ(マリア・グラツィア・クチノッタ)を美しき言葉で射止め、人間としても見識を広げていく。
◆感想<Caution!内容に触れています。>
・マリオを演じたマッシモ・トロイージが、冒頭では漁にも出ない覇気のない青年であったのが、高名な詩人、パブロ・ネルーダの専属臨時配達人になり、彼から”暗喩”など、言葉や詩の素晴らしさを学ぶにつれ、表情が生き生きとなって行く様を、病を抱えながら瑞々しく演じてる。
彼の、詩の素晴らしさに気付き、様々な”暗喩”を天賦の才で紡ぎ出していく際の眼の輝きが素晴しい。
・そして、彼は居酒屋で働く美しき女性ベアトリーチェ・ルッソの心を射止めるのである。
・だが、パブロ・ネルーダはチリの情勢が変化した事で、帰国してしまうが、マリオは彼への想いを抱き続け、イタリアで共産主義の推進者となって行くのである。一方、マリオは又自分が住む島の様々な自然音を録音し、パブロに残していたのである。
<5年後。パブロ・ネルーダが夫人と戻ってきた時にマリオは居ない。だが、居酒屋にはベアトリーチェ・ルッソと、マリオソックリの男の子が笑顔で待っているのである。
そして、録音機から流れるマリオが録音していた島の美しい自然音。
今作は、イタリアの小さな島で暮らす純朴な青年が、チリの詩人と出会い詩の素晴らしさを学び人間として成長する様を描いた美しくも切ない作品なのである。>
郵便配達は自転車のベルを鳴らす
JR有楽町駅の隣のビックカメラは、元はデパートのそごうで、その7階に座席数1,100の読売ホールがあり昔は良く試写会に行った。「ディアハンター」や「クレイマー、クレイマー」、劇場公開が中止になった「ブラックサンデー」もここの試写会で観た。その8階に映画館が出来て20年経つがその映画館には入った事がなかった。
12月26日(木)
その8階の角川シネマ有楽町で「イル・ポスティーノ」を。
実在したチリの大詩人パブロ・ネルーダ(1971年にノーベル文学賞を受けた)がチリを追われイタリアのカプリ島に身を寄せた史実を元にした小説の映画化で製作30周年記念4Kデジタルリマスター版のリバイバル公開。初見。
ノーベル文学賞候補にも上がるチリの大詩人パブロ・ネルーダが祖国を追われ南イタリアの小島に滞在する事になり、世界中から彼宛に届くファンレターを山の上の彼が住む家に配達するために臨時配達人が募集される。
漁師の息子のマリオ(マッシモ・トロイージ)は父親の漁を手伝っているが、漁師が好きではない。郵便局の募集に応募して配達人になる。
郵便配達人として手紙を届けるうちにネルーダ(フィリップ・ノワレ)に詩について教えてもらい、詩の隠喩を教わり自分も詩作に励むようになる。
マリオは島の食堂で働くベアトリーチェに恋をするのだが、…。
マリオに覇気が無いと思ったら演じたマッシモ・トロイージはアカデミー賞にもノミネートされたが、心臓病で撮影終了の12時間後に41歳で亡くなった。
思った程私の心には響かなかった。マリオがネルーダの事を思っていても、チリに帰る事が出来たネルーダからは秘書の事務的な手紙しか来なかったり、やっと島を訪れたネルーダのラストも今ひとつ感動を呼ぶものが無かった。音楽がモリコーネじやなかったから?
あの録音に使っていたカセットテープみたいな機器はイタリアには本当にあったのかしら?
終盤に差し掛かって、目が覚めた
主役のマリオを務めた俳優、マッシモ・トロイージが映画化を熱望し、脚本も書いたと言う。しかし前半は、まるでおとぎ話のようで、心は全く動かなかった。何よりも、主役に元気がないことが気になった。ところが、終盤、映画は急に展開する。
マリオのことを最初に「詩人」だと言ったのは、愛する恋女房ベアトリーチェだった。イタリアに亡命し、島に滞在していた詩人であり政治家でもあったチリのパブロ・ネルーダに郵便物を運ぶための臨時の郵便配達人(イル・ポスティーノ)を務めて、彼に署名入りのノートをもらったのに、1行の詩も記すことができなかったマリオは即座に、自分自身を卑下して、詩人ではないと答えた。
しかし、彼の中では、パブロが去った後も、大きな変化が起きていた。マリオは、パブロの詩を読んだ最初から、詩に大きな魅力を感じていた。しかも、詩の意味を直ちに理解して、詩は書いた人のものではなく、必要な人のものだとパブロに告げ、彼を驚かせていた。
確かに、すぐに詩を書けたわけではなかったが、パブロが去って1年が経ち、彼が島に残した荷物を送り返すときになって、詩人としての資質が、吹きこぼれるように立ちあがってきたように思えた。マリオは、パブロが残したものは、島だけが持つ美しさ、島に寄せる波、風、漁師であった父が扱った網、教会の鐘、星空であったと気づき、郵便局長のジョルジョと協力して、それを録音するうち、心の中に詩が芽生えて来るのだった。マリオが、急に輝いて見えた瞬間だった。
映画を見ていて、心惹かれたこと、これまで見たこともないテープレコーダーが出てきた、コンパクト・カセットのように見えたけれど。フィリップスか、ソニーか。
映画を見終わってから、マリオを演じたマッシモ・トロイージは、クランクアップの12時間後、急逝したと知って驚いた。心移植が予定されていたそうだから、治療のない心筋症だろうけれど、それは当時の映画人たちの心に突き刺さったに違いない。
海、詩、建物、音、人。どれもが完ぺきな素材。
幸せな人生では
島の、結構いい年の、漁師の父と二人暮らしの独身男性マリオが、女性にモテたい一心で(イタリア男って…)、女性に大人気の亡命詩人パブロの事実上専属郵便配達員に応募する。
引っ込み思案というけれど、躊躇することなく面接にGO、思い立ったら行動が早い。
無事採用されてモテる秘訣を学ぼうと近づいたが、徐々にパブロの人柄と詩の魅力に取りつかれて、どっぷり傾倒していく。
マリオは少々オツムが弱い人に見えるが、心から湧き上がってくるものを表現するために言葉を探し、表現する。お世辞も媚びへつらいもない。感性が大変豊かで鋭いが、ようやく読み書きができる程度で学はないので、これは彼が持っている生来のギフトだ。
優れた詩人であるパブロにはマリオの感じること、言わんとすることが、すんなり理解できる。一見噛み合わないようだがちゃんと噛み合っているふたりの会話が面白くて、時々可笑しい。
ふたりの関係は、師弟ではなくもっと対等で、トモダチ、がふさわしいと思う。
こころの奥底にある感覚や感性を、ああそれ、それだよね、と共有できる同志のようで、パブロはマリオを「親友」と呼ぶのはもっともなことだと思った。
但し、イタリア男性には女性を口説くのが人生の最大関心事のひとつだが、チリ人にはどうなんだろう?
ベアトリーチェは、あの美貌とスタイルとおっぱいなので、彼氏のひとりやふたり、3人4人くらいいるだろうと思ったら、耳元で詩を囁かれてメロメロになるほどのおぼこい純情娘!
叔母の鉄壁の守りがあるからなんですね、マリオはすでにいいトシなのにあんな若い美人と結婚、めっちゃ幸運なおじさんです。そしてやっぱり思い立ったら行動が早い。
パブロと交流しだしてからマリオにどんどん力が漲ってくるようで、引っ込み思案で弱々しい男から、共産党や共産主義を語るようにもなる。あきらかにパブロの影響だ。
パブロは誠実なヒトのようだし、マリオを親友と思う心に偽りはないと思うが、世界的有名人で忙しいので、マリオが彼を思うほどには心を残していないのが切ない。
マリオが作っていた「島の美しいもの」ひとつひとつが素晴らしい。
作品番号何番、と読み上げながらつぎつぎ現れる「美しいもの」
もうすぐ生まれる子どもの心音もある。この感性。いくつでも、ずっと見ていたかった。
郵便局長が全面協力、共産党嫌いの司祭様まで協力しちゃって微笑ましいが、あれがパブロのもとに送られることはなかったんですね
「網」の連想が「悲しい」になるのは、とうさんの網に収穫が少ないからだったようです。
親友の主義に沿った共産党の集会で、自作の詩を読み上げる。
美しいもの、の締めくくりは、この「詩の朗読」だったはず。
どれほど晴れがましいことだったか。群衆の足元に落ちた詩の原稿が哀しかった。
パブロ夫妻が居酒屋を訪れるところからの、マリオの最期を語るエピソードの見せ方が秀逸。
それでも、マリオの生涯は、幸せなものだったと思う。
頭も身体も弱そうだが、生きる知恵には長けている。
父がどれほどマリオを愛していたか、息子の結婚式で別人のように饒舌になったところでよく分かる。若く美しい、一目惚れの相手と電撃結婚して子宝にも恵まれ、臨時採用先の郵便局長はその後も良きトモダチ、仕事はあるし、なにより魂の親友と巡り合った。
残された人たちは、彼を愛していた分たまりませんが。
パブロ・ネルーダは実在の人物で、この映画はときの政権によって共産党が非合法化されたため、故国チリから国外逃亡を余儀なくされた彼のイタリア亡命時代を題材にしたものらしい。
舞台となった島も架空のもので、話自体はフィクションだろうが、このように膨らませたのが素晴らしい。
島の自然と風景、佇まいが美しく、効果的。
この映画の、もう一つの主役と言って良いくらい。
行ってみたいと思いました。
歴史的名作! 4K修復のこの機会に見て良かった!!
見終わったあとも余韻が消えず、心に深く刻み込まれる作品でした。舞台のイタリアの小さな島、純朴な主人公マリオの成長、世界的詩人パブロ・ネルーダとの交流を通じて、言葉が人に与える力を鮮やかに描き出しています。
1. 郵便配達人──「言葉」の架け橋
主人公マリオが郵便配達人としてパブロ・ネルーダに手紙を届ける役割は、時代や場所の象徴そのものです。ラジオもテレビもましてやインターネットもない島では、手紙が唯一の世界とつながるメディアです。
マリオが手紙を届ける行為は、詩人ネルーダにとっても外界との接点を保つ重要な仕事です。マリオはネルーダとの交流を通じて、表現を学んでいくことになります。
2. 主人公の成長と「詩」の力
物語の核は、主人公マリオの成長です。無口で未熟なアラ30未婚男性だった彼が、ネルーダとの交流を通じて詩の技法「隠喩」を学び、表現を得ていく過程がとても感動的でした。詩人としてのネルーダがただ一方的に教えるだけでなく、マリオ自身の純朴な感性がネルーダの心をも動かしていく対等な関係もまた見どころです。
主人公は表現の獲得によって恋を実らせるだけでなく、それは同時に自分の島の美しさや人生の意味に気づくことにもつながっていきます。言葉とは表現の手段であるとともに、自分の内面に感動を生み出すものでもあるということを教えられた思いです。
3. 主演脚本のマッシモ・トロイージのその後
この映画を語るうえで、主演・脚本のマッシモ・トロイージの存在を欠かすことはできません。彼は心臓病を抱えながらも、手術を延期してまで撮影に挑み、撮影終了直後にその命を落としたことを、見終わってから知りました。
彼の命懸けの挑戦が、映画に込められたテーマ「表現を獲得すること」と深くリンクし、この作品が、彼の遺言でもあり、生きた証でもあり、世界に残した貢献でもあることに衝撃を感じています。
映画を観た後に彼の背景を知ったことで、作品の余韻はさらに深くなり、感動と切なさが入り混じった特別な一本になりました。
4. 人に何かを「伝え残すこと」の意味
『イル・ポスティーノ』は、単なる物語以上のものを観客に届けてくれる作品です。「何かを誰かに伝え残すことの意味と価値」とは何か。それが受け取った人に与える勇気や人生への気づき、人とのつながりへの感謝。
マッシモ・トロイージの人生そのものが映画に重なっており、この作品は観た人それぞれの心に「言葉」として残り続けるものだと思います。
ポエジア 詠まれなかった詩
人が思わず詩を口ずさんでしまうのはどんな時だろう。愛しい人を想うとき、故郷の海の香りをかいだとき、さざ波の音を聞いたとき、まぶしいばかりの日の光に照らされたイタリアの故郷の大地を想うとき、そしていとおしい映画を見たとき、そんなときに人は心に詩が浮かんでくるのかもしれない。万物を感じ取る心があるのなら誰もが詩人となれるはず。
実在のチリの詩人パブロ・ネルーダが母国を逃れ、青の洞窟で有名なイタリアのカプリ島で暮らしていた事実をもとにした物語。
ネルーダは常に素朴な人たちのために詩を詠んだという。外交官でもあり共産主義者でもある彼は資本主義が生みだした貧困に苦しむ祖国の人民のために戦った。その波乱万丈の人生においてひと時の安らかな時間を彼はイタリアの小島で過ごし、そこで一人の郵便配達員と交流を重ねた。時が止まったかのようなのどかな島でネルーダは心豊かにその時を過ごせたことだろう。
漁業以外産業のない貧しく小さな島で数少ない読み書きができたマリオはネルーダ専属の配達員となる。日々の配達の中でネルーダと交流を深め次第にマリオは詩に魅了されていく。そして彼はネルーダの思想を受け継いでいく。
共産党の集会でマリオはネルーダから学んだ成果として詩を読み上げるはずだった。しかし弾圧により彼は帰らぬ人となってしまう。それを知ったネルーダはイタリアの弟子を想いただ彼を悼む。
マリオの遺したテープには島のあらゆる自然の営みの音が残されていた。それはそのまま詩に書き替えられるために残された島の記録。それを聞かされたネルーダはマリオとの想い出、そしてこの島でのひと時の暮らしを想い詩を詠んだことであろう。
そんなネルーダもチリで起きたクーデターにより命を落としてしまう。世界初、無血で民主的に社会主義国となったチリではあったがアメリカの謀略によるクーデターにより人民の希望は打ち砕かれてしまう。その後チリは独裁政権により多くの人民が虐殺され、暗黒の時代を迎える。世界初の新自由主義の実験場とされたチリはさらに貧富の差が激しくなりネルーダが目指した人民のための国の建設の夢は打ち砕かれる。
近年、バイデン政権下で当時の機密事項が公開されこの時のアメリカの詳細な関与が明るみになり、病死と言われていたネルーダの死も毒殺だったという事実が明らかとなった。
西欧諸国の植民地支配による搾取に苦しめられてきた人民のために戦ってきたネルーダの詩は同じく人民のために戦う革命家たちにも愛されてきた。キューバ革命のチェ・ゲバラも彼の詩を好んで読んでいたという。
資本主義的帝国主義に抗い続けたネルーダの精神は今も多くの人々に受け継がれている。
本作に入れ込みマリオ役を演じたマッシモ・トロイージの執念が本作を名作たらしめた。劇中でマリオが命を落としたように彼も撮影終了後の12時間後に帰らぬ人となる。心臓病を患いながら撮影に挑んでいたのであった。
革命に命を懸けたパブロ・ネルーダ、そして彼の物語を命を懸けて紡いだマッシモ。そんな映画にかかわった人々の魂が本作を名作たらしめたのだった。
私にイタリア映画は向かないことがよくわかった
世間的に大絶賛されてる「ニュー・シネマ・パラダイス」しっくりこなくて脱落してる私
他の映画のために立ち寄った映画館で、著名人の方々が絶賛していた本作のポップを見て、これは見ておかないと!と足を運んだ
でも……何だか、しっくり来ない
ヤマザキマリさんがイラスト描いて褒めちぎっていた中年ニートのどこか足りない主人公に魅力を感じないし、詩人もいけ好かなくて、佇まいも何だかなぁ…どこか生々しい。詩人の奥さんが脇で無駄に色っぽくて、片田舎の閉鎖的な生活なのに、バカンスで遊びに来たようにしか描かれないのはイタリア映画だからか?
主人公が唐突に一目惚れする居酒屋の女性も無駄に色っぽくて美しすぎる。主人公のような朴訥な中年ニートに言い寄られて喜ぶタイプにはとても見えない。あれだけ美しいなら、さっさと都会へ行っている。居酒屋の女将があんな男は駄目!と怒ってたけど、私も深く深く同意する、私だって嫌だ
でも本作の筋立ては好きなので、日本の役者に置き換えてみると、もうちょっとシックリする気がする
詩人は火野正平さんのようなちょっと茶目っ気があって、先の見えない亡命生活に愚痴も言わず、酸いも甘いも噛み分けた男性
詩人の妻は…風吹ジュンさんのような可愛げがあるけど、夫の政治的亡命に従うこともいとわない、どこか芯がある女性
主人公は若いピュアな青年に…例えば「海に眠るダイヤモンド」の神木隆之介さん、居酒屋の女性は杉咲花ちゃんとか!(笑)
(話が逸れました)
他の方のレビューにも同じような意見があり、ちょっと安心しました
「ライフ・イズ・ビューティフル」はとても好きだったんだけどなぁ〜。多分イタリア映画は私には合わないんでしょう
お好きな方、申し訳ありません
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