イル・ポスティーノのレビュー・感想・評価
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生きる喜びについての映画
4Kリマスター版が上映されるということで、中学生の頃に見て大感動して以来の再視聴。当時は映画をたくさん見始めた頃で、この作品は自分にとっても映画を見るという体験の「原風景」の一つを構成している作品でもある。主演のマッシモ・トロイージが撮影終了12時間後に息を引き取ったというエピソードとともに語られることの多い作品だが、彼が演じた主人公の結末ともリンクするために、一層伝説化した側面がある。
だけど、そういう予備知識による上げ底すら必要ないほどに美しい映画でもある。南イタリアの小島の風景が本当に美しい。ここには豊かな自然と人のコミュニティがある。失業中の主人公は、チリから亡命してきた詩人パブロ・ネルーダ専任の郵便配達員となり、彼から詩の素晴らしさを教わる。人が言葉を覚えた瞬間、新たな視点、新たな知識を獲得した瞬間の喜びがこの映画には刻まれている。何かを知るということは素晴らしいことなんだとこの映画は教えてくれる。
死の悲劇よりも、新しく何かを知る喜びがスクリーンいっぱいに映されていることよってこの映画は「名作」と言われるべきだと思う。
この映画に触れるたび、私たちの心は海風をたゆたい、詩人になる
この映画に触れるのは何十年ぶりだろうか。あの穏やかな空気、打ち寄せる波、登場人物らの豊かな個性に触れながら、薄オレンジ色の温もりに包まれていくのを感じた。私がいつも心奪われるのは、マッシモ・トロイージ演じる朴訥な郵便配達員マリオが自らの感覚で言葉を紡ぎ、素朴な描写を口にする場面。ノワレ演じるパブロ・ネルーダはすかさず言う。「そう!それが詩だ!」。誰もが詩人であり、その感覚を秘めている。言い換えるならそれが個性であり、感受性であり、人間として脈打ち、美しいものを美しいと感じ、生きている証。パブロがメタファーという手法をそっと授けることで、思いや言葉は途端に羽根を広げ空を飛び始める。その鮮烈さと幸福。そして全編が数年に及ぶ交友録、はたまた数行の詩にすら思える本作が、トロイージの遺作となったことに何とも言えない感情が込み上げてくる。彼の思いと表情は永遠に生き続ける。彼こそ真の詩人であり表現者だ。
Head-Spin out of Modern Chaos
A quiet film on a postman who finds an unlikely friendship with an exiled poet. Conversations inspire him to pursue a romance with borrowed words. It's an interestingly imaginative tale on cosmically inconsequential romance. It ends with unanticipated political turmoil reminsicent of Z. A cross-continental production that earned five Oscar nods. Old-fashioned indie unlike contemporary films.
郵便配達は自転車のベルを鳴らす
JR有楽町駅の隣のビックカメラは、元はデパートのそごうで、その7階に座席数1,100の読売ホールがあり昔は良く試写会に行った。「ディアハンター」や「クレイマー、クレイマー」、劇場公開が中止になった「ブラックサンデー」もここの試写会で観た。その8階に映画館が出来て20年経つがその映画館には入った事がなかった。
12月26日(木)
その8階の角川シネマ有楽町で「イル・ポスティーノ」を。
実在したチリの大詩人パブロ・ネルーダ(1971年にノーベル文学賞を受けた)がチリを追われイタリアのカプリ島に身を寄せた史実を元にした小説の映画化で製作30周年記念4Kデジタルリマスター版のリバイバル公開。初見。
ノーベル文学賞候補にも上がるチリの大詩人パブロ・ネルーダが祖国を追われ南イタリアの小島に滞在する事になり、世界中から彼宛に届くファンレターを山の上の彼が住む家に配達するために臨時配達人が募集される。
漁師の息子のマリオ(マッシモ・トロイージ)は父親の漁を手伝っているが、漁師が好きではない。郵便局の募集に応募して配達人になる。
郵便配達人として手紙を届けるうちにネルーダ(フィリップ・ノワレ)に詩について教えてもらい、詩の隠喩を教わり自分も詩作に励むようになる。
マリオは島の食堂で働くベアトリーチェに恋をするのだが、…。
マリオに覇気が無いと思ったら演じたマッシモ・トロイージはアカデミー賞にもノミネートされたが、心臓病で撮影終了の12時間後に41歳で亡くなった。
思った程私の心には響かなかった。マリオがネルーダの事を思っていても、チリに帰る事が出来たネルーダからは秘書の事務的な手紙しか来なかったり、やっと島を訪れたネルーダのラストも今ひとつ感動を呼ぶものが無かった。音楽がモリコーネじやなかったから?
あの録音に使っていたカセットテープみたいな機器はイタリアには本当にあったのかしら?
終盤に差し掛かって、目が覚めた
主役のマリオを務めた俳優、マッシモ・トロイージが映画化を熱望し、脚本も書いたと言う。しかし前半は、まるでおとぎ話のようで、心は全く動かなかった。何よりも、主役に元気がないことが気になった。ところが、終盤、映画は急に展開する。
マリオのことを最初に「詩人」だと言ったのは、愛する恋女房ベアトリーチェだった。イタリアに亡命し、島に滞在していた詩人であり政治家でもあったチリのパブロ・ネルーダに郵便物を運ぶための臨時の郵便配達人(イル・ポスティーノ)を務めて、彼に署名入りのノートをもらったのに、1行の詩も記すことができなかったマリオは即座に、自分自身を卑下して、詩人ではないと答えた。
しかし、彼の中では、パブロが去った後も、大きな変化が起きていた。マリオは、パブロの詩を読んだ最初から、詩に大きな魅力を感じていた。しかも、詩の意味を直ちに理解して、詩は書いた人のものではなく、必要な人のものだとパブロに告げ、彼を驚かせていた。
確かに、すぐに詩を書けたわけではなかったが、パブロが去って1年が経ち、彼が島に残した荷物を送り返すときになって、詩人としての資質が、吹きこぼれるように立ちあがってきたように思えた。マリオは、パブロが残したものは、島だけが持つ美しさ、島に寄せる波、風、漁師であった父が扱った網、教会の鐘、星空であったと気づき、郵便局長のジョルジョと協力して、それを録音するうち、心の中に詩が芽生えて来るのだった。マリオが、急に輝いて見えた瞬間だった。
映画を見ていて、心惹かれたこと、これまで見たこともないテープレコーダーが出てきた、コンパクト・カセットのように見えたけれど。フィリップスか、ソニーか。
映画を見終わってから、マリオを演じたマッシモ・トロイージは、クランクアップの12時間後、急逝したと知って驚いた。心移植が予定されていたそうだから、治療のない心筋症だろうけれど、それは当時の映画人たちの心に突き刺さったに違いない。
海、詩、建物、音、人。どれもが完ぺきな素材。
幸せな人生では
島の、結構いい年の、漁師の父と二人暮らしの独身男性マリオが、女性にモテたい一心で(イタリア男って…)、女性に大人気の亡命詩人パブロの事実上専属郵便配達員に応募する。
引っ込み思案というけれど、躊躇することなく面接にGO、思い立ったら行動が早い。
無事採用されてモテる秘訣を学ぼうと近づいたが、徐々にパブロの人柄と詩の魅力に取りつかれて、どっぷり傾倒していく。
マリオは少々オツムが弱い人に見えるが、心から湧き上がってくるものを表現するために言葉を探し、表現する。お世辞も媚びへつらいもない。感性が大変豊かで鋭いが、ようやく読み書きができる程度で学はないので、これは彼が持っている生来のギフトだ。
優れた詩人であるパブロにはマリオの感じること、言わんとすることが、すんなり理解できる。一見噛み合わないようだがちゃんと噛み合っているふたりの会話が面白くて、時々可笑しい。
ふたりの関係は、師弟ではなくもっと対等で、トモダチ、がふさわしいと思う。
こころの奥底にある感覚や感性を、ああそれ、それだよね、と共有できる同志のようで、パブロはマリオを「親友」と呼ぶのはもっともなことだと思った。
但し、イタリア男性には女性を口説くのが人生の最大関心事のひとつだが、チリ人にはどうなんだろう?
ベアトリーチェは、あの美貌とスタイルとおっぱいなので、彼氏のひとりやふたり、3人4人くらいいるだろうと思ったら、耳元で詩を囁かれてメロメロになるほどのおぼこい純情娘!
叔母の鉄壁の守りがあるからなんですね、マリオはすでにいいトシなのにあんな若い美人と結婚、めっちゃ幸運なおじさんです。そしてやっぱり思い立ったら行動が早い。
パブロと交流しだしてからマリオにどんどん力が漲ってくるようで、引っ込み思案で弱々しい男から、共産党や共産主義を語るようにもなる。あきらかにパブロの影響だ。
パブロは誠実なヒトのようだし、マリオを親友と思う心に偽りはないと思うが、世界的有名人で忙しいので、マリオが彼を思うほどには心を残していないのが切ない。
マリオが作っていた「島の美しいもの」ひとつひとつが素晴らしい。
作品番号何番、と読み上げながらつぎつぎ現れる「美しいもの」
もうすぐ生まれる子どもの心音もある。この感性。いくつでも、ずっと見ていたかった。
郵便局長が全面協力、共産党嫌いの司祭様まで協力しちゃって微笑ましいが、あれがパブロのもとに送られることはなかったんですね
「網」の連想が「悲しい」になるのは、とうさんの網に収穫が少ないからだったようです。
親友の主義に沿った共産党の集会で、自作の詩を読み上げる。
美しいもの、の締めくくりは、この「詩の朗読」だったはず。
どれほど晴れがましいことだったか。群衆の足元に落ちた詩の原稿が哀しかった。
パブロ夫妻が居酒屋を訪れるところからの、マリオの最期を語るエピソードの見せ方が秀逸。
それでも、マリオの生涯は、幸せなものだったと思う。
頭も身体も弱そうだが、生きる知恵には長けている。
父がどれほどマリオを愛していたか、息子の結婚式で別人のように饒舌になったところでよく分かる。若く美しい、一目惚れの相手と電撃結婚して子宝にも恵まれ、臨時採用先の郵便局長はその後も良きトモダチ、仕事はあるし、なにより魂の親友と巡り合った。
残された人たちは、彼を愛していた分たまりませんが。
パブロ・ネルーダは実在の人物で、この映画はときの政権によって共産党が非合法化されたため、故国チリから国外逃亡を余儀なくされた彼のイタリア亡命時代を題材にしたものらしい。
舞台となった島も架空のもので、話自体はフィクションだろうが、このように膨らませたのが素晴らしい。
島の自然と風景、佇まいが美しく、効果的。
この映画の、もう一つの主役と言って良いくらい。
行ってみたいと思いました。
歴史的名作! 4K修復のこの機会に見て良かった!!
見終わったあとも余韻が消えず、心に深く刻み込まれる作品でした。舞台のイタリアの小さな島、純朴な主人公マリオの成長、世界的詩人パブロ・ネルーダとの交流を通じて、言葉が人に与える力を鮮やかに描き出しています。
1. 郵便配達人──「言葉」の架け橋
主人公マリオが郵便配達人としてパブロ・ネルーダに手紙を届ける役割は、時代や場所の象徴そのものです。ラジオもテレビもましてやインターネットもない島では、手紙が唯一の世界とつながるメディアです。
マリオが手紙を届ける行為は、詩人ネルーダにとっても外界との接点を保つ重要な仕事です。マリオはネルーダとの交流を通じて、表現を学んでいくことになります。
2. 主人公の成長と「詩」の力
物語の核は、主人公マリオの成長です。無口で未熟なアラ30未婚男性だった彼が、ネルーダとの交流を通じて詩の技法「隠喩」を学び、表現を得ていく過程がとても感動的でした。詩人としてのネルーダがただ一方的に教えるだけでなく、マリオ自身の純朴な感性がネルーダの心をも動かしていく対等な関係もまた見どころです。
主人公は表現の獲得によって恋を実らせるだけでなく、それは同時に自分の島の美しさや人生の意味に気づくことにもつながっていきます。言葉とは表現の手段であるとともに、自分の内面に感動を生み出すものでもあるということを教えられた思いです。
3. 主演脚本のマッシモ・トロイージのその後
この映画を語るうえで、主演・脚本のマッシモ・トロイージの存在を欠かすことはできません。彼は心臓病を抱えながらも、手術を延期してまで撮影に挑み、撮影終了直後にその命を落としたことを、見終わってから知りました。
彼の命懸けの挑戦が、映画に込められたテーマ「表現を獲得すること」と深くリンクし、この作品が、彼の遺言でもあり、生きた証でもあり、世界に残した貢献でもあることに衝撃を感じています。
映画を観た後に彼の背景を知ったことで、作品の余韻はさらに深くなり、感動と切なさが入り混じった特別な一本になりました。
4. 人に何かを「伝え残すこと」の意味
『イル・ポスティーノ』は、単なる物語以上のものを観客に届けてくれる作品です。「何かを誰かに伝え残すことの意味と価値」とは何か。それが受け取った人に与える勇気や人生への気づき、人とのつながりへの感謝。
マッシモ・トロイージの人生そのものが映画に重なっており、この作品は観た人それぞれの心に「言葉」として残り続けるものだと思います。
ポエジア 詠まれなかった詩
人が思わず詩を口ずさんでしまうのはどんな時だろう。愛しい人を想うとき、故郷の海の香りをかいだとき、さざ波の音を聞いたとき、まぶしいばかりの日の光に照らされたイタリアの故郷の大地を想うとき、そしていとおしい映画を見たとき、そんなときに人は心に詩が浮かんでくるのかもしれない。万物を感じ取る心があるのなら誰もが詩人となれるはず。
実在のチリの詩人パブロ・ネルーダが母国を逃れ、青の洞窟で有名なイタリアのカプリ島で暮らしていた事実をもとにした物語。
ネルーダは常に素朴な人たちのために詩を詠んだという。外交官でもあり共産主義者でもある彼は資本主義が生みだした貧困に苦しむ祖国の人民のために戦った。その波乱万丈の人生においてひと時の安らかな時間を彼はイタリアの小島で過ごし、そこで一人の郵便配達員と交流を重ねた。時が止まったかのようなのどかな島でネルーダは心豊かにその時を過ごせたことだろう。
漁業以外産業のない貧しく小さな島で数少ない読み書きができたマリオはネルーダ専属の配達員となる。日々の配達の中でネルーダと交流を深め次第にマリオは詩に魅了されていく。そして彼はネルーダの思想を受け継いでいく。
共産党の集会でマリオはネルーダから学んだ成果として詩を読み上げるはずだった。しかし弾圧により彼は帰らぬ人となってしまう。それを知ったネルーダはイタリアの弟子を想いただ彼を悼む。
マリオの遺したテープには島のあらゆる自然の営みの音が残されていた。それはそのまま詩に書き替えられるために残された島の記録。それを聞かされたネルーダはマリオとの想い出、そしてこの島でのひと時の暮らしを想い詩を詠んだことであろう。
そんなネルーダもチリで起きたクーデターにより命を落としてしまう。世界初、無血で民主的に社会主義国となったチリではあったがアメリカの謀略によるクーデターにより人民の希望は打ち砕かれてしまう。その後チリは独裁政権により多くの人民が虐殺され、暗黒の時代を迎える。世界初の新自由主義の実験場とされたチリはさらに貧富の差が激しくなりネルーダが目指した人民のための国の建設の夢は打ち砕かれる。
近年、バイデン政権下で当時の機密事項が公開されこの時のアメリカの詳細な関与が明るみになり、病死と言われていたネルーダの死も毒殺だったという事実が明らかとなった。
西欧諸国の植民地支配による搾取に苦しめられてきた人民のために戦ってきたネルーダの詩は同じく人民のために戦う革命家たちにも愛されてきた。キューバ革命のチェ・ゲバラも彼の詩を好んで読んでいたという。
資本主義的帝国主義に抗い続けたネルーダの精神は今も多くの人々に受け継がれている。
本作に入れ込みマリオ役を演じたマッシモ・トロイージの執念が本作を名作たらしめた。劇中でマリオが命を落としたように彼も撮影終了後の12時間後に帰らぬ人となる。心臓病を患いながら撮影に挑んでいたのであった。
革命に命を懸けたパブロ・ネルーダ、そして彼の物語を命を懸けて紡いだマッシモ。そんな映画にかかわった人々の魂が本作を名作たらしめたのだった。
私にイタリア映画は向かないことがよくわかった
世間的に大絶賛されてる「ニュー・シネマ・パラダイス」しっくりこなくて脱落してる私
他の映画のために立ち寄った映画館で、著名人の方々が絶賛していた本作のポップを見て、これは見ておかないと!と足を運んだ
でも……何だか、しっくり来ない
ヤマザキマリさんがイラスト描いて褒めちぎっていた中年ニートのどこか足りない主人公に魅力を感じないし、詩人もいけ好かなくて、佇まいも何だかなぁ…どこか生々しい。詩人の奥さんが脇で無駄に色っぽくて、片田舎の閉鎖的な生活なのに、バカンスで遊びに来たようにしか描かれないのはイタリア映画だからか?
主人公が唐突に一目惚れする居酒屋の女性も無駄に色っぽくて美しすぎる。主人公のような朴訥な中年ニートに言い寄られて喜ぶタイプにはとても見えない。あれだけ美しいなら、さっさと都会へ行っている。居酒屋の女将があんな男は駄目!と怒ってたけど、私も深く深く同意する、私だって嫌だ
でも本作の筋立ては好きなので、日本の役者に置き換えてみると、もうちょっとシックリする気がする
詩人は火野正平さんのようなちょっと茶目っ気があって、先の見えない亡命生活に愚痴も言わず、酸いも甘いも噛み分けた男性
詩人の妻は…風吹ジュンさんのような可愛げがあるけど、夫の政治的亡命に従うこともいとわない、どこか芯がある女性
主人公は若いピュアな青年に…例えば「海に眠るダイヤモンド」の神木隆之介さん、居酒屋の女性は杉咲花ちゃんとか!(笑)
(話が逸れました)
他の方のレビューにも同じような意見があり、ちょっと安心しました
「ライフ・イズ・ビューティフル」はとても好きだったんだけどなぁ〜。多分イタリア映画は私には合わないんでしょう
お好きな方、申し訳ありません
美人!
「いんゆ活動」に笑って泣いた2時間です
谷川俊太郎さんが亡くなった。
「芝生」って好きだ。沁みる。
詩人って、どうやって暮らしているんだろう。
郵便配達のマリオも、きっと素朴にそう思ったんだろう。
むかし、新宿の地下道で、
「私の詩集」と書いた札を胸元に持って、動かず語らず、まっすぐ円柱の前に立っている女性を見た。
周りを大勢の人間が川のように流れているのだが、そこに一人だけ動かずに立っている人の影は、目を引く。
一瞬立ち止まり、雑踏の中、その人に近付いて、彼女は何も言わないから僕も言葉無しで「指を1本」差し出して、お金を渡した。
粗末な わら半紙の手製のしおりを彼女の手から受け取ったし、僕はそれを読んだはずなのだが、その中身については何も覚えていない。
ただ、詩人に会ったその夜のことだけが残った。
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「詩」を書いてみたいと思ったマリオは、
詩人パブロ・ネルーダへ配達する「ファンレターの大きな束」と、それを受け取っている「詩人」という人種に興味を持ったわけだ。
近付いて、もじもじと声を掛けるところから、人と人には心の関係が出来るし、交わす言葉は手紙となり、そしていつしか、人は詩になる。
プータローの困ったちゃん、=モラトリアムの息子が、
とにもかくにも無職から脱するために、自転車を押して叩いたのが郵便局のドアだった。
恋を囁くために学ぶ「隠喩」とは?
外国語を習得するためにはラブレターを書くのが最適と云うではないか。
その“必要”を見つけて向学心に燃えたマリオが、誠に可愛らしいのだ。
教えを請うて詩人を訪ねるうちに、彼の人生の扉とコトバのドアも開いてゆくのだ。
・嫌々の就職
・詩人との邂逅
・マニュアル購入
・下心だけでの詩作スタート
・ベアトリーチェへの求愛
・島を出る
マリオと師匠パブロのやり取りの変化が、目を見張らせる。
夢中になって郵便配達人に極意を伝え始めるパブロの背中が踊っている。
弟子マリオの語彙発見のセンスに一瞬驚き、そのマリオから言霊を授けられるシーンに、我々も惹きつけられる。
二人はついに同志の関係になっていた。
そうして
とうとう海辺で、初めて吟ずるマリオの愛の詩をあなたも聞いてくれただろうか・・
あの海の泡から生まれる「詩人の誕生」に、僕はベアトリーチェならずとも、応援していただけに、なんだか感激してしまって、押さえようもなく 涙がこみ上げてくる。
溢れ出すコトバは、その人、そのものなのだ。
映画は冒頭
小さい入江に入ってくるバルケッタ(小舟) の姿、
鳴り出だすアコーディオンとギター。
風の中を走る自転車のシーンから物語は始まった。
主演のマリオはクランクアップのその日に、本当に急死してしまったそうだ。
共演者・スタッフたちが、どんだけ大泣きしただろうかと思う。
イスキアだろうか、カプリだろうか、島の陽光と海がただ眩しい。
桃色の邸宅で、そして波打ち寄せる浜辺で、
僕らも人生を謳って、詩人にならずにいられようか。
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メモ
あの「シネマ・パラディーソ座」のアルフレートに再会できたこと。飛び上がって喜んだ映画ファンは、世界中に大勢いたはずだ。
飲み屋のマンマたちが、またとっても良い!
そして、人間のすべてがしみじみと切なくて温かい。
ビバ・イタリアーナ!
チンザノ買って帰りますね。
ミ・アモーレ、東座の合木社長
いい映画をありがとう♪ 大好き。
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付記、2024.12.2.
感想が止まりません ―
「中央から隔絶された離れ島」という設定は、チリやモスクワやローマでのあの厳しい政治的闘争からは、地理的にも精神的にも遠くに置かれた島の住民たちの「ローカルなストーリー」を成立させるための手法であるかも知れません。
外界からのニュースは、新聞やニュース映画でしか入ってこない彼ら。その彼らにとっては、政治のスローガンは遠い世界でのおはなし。(島民は水道が欲しいだけなのですから)。
しかしラストで一瞬だけ映る残酷な光景・・
「純朴な詩人が大都会ローマ?に出て行って、そこでまさかの死に巻き込まれる」シーンは本当に胸が痛かった。
「詩作」を教えてしまったがために、結果、あろうことかマリオを死なせてしまったチリの政治犯=パブロの、海岸での悔悟と哀惜の表情が、本当に辛い結末でした。
初見で、この作品
5つ星以外考えられない、魂のこもった名作に再会できた喜び
28年前に劇場で観て好きすぎた『イル・ポスティーノ』
4Kで今また劇場で再会できるなんて、最低二回は観ないと、と先週は恵比寿と今日は有楽町で鑑賞。
書きたいことがありすぎるから、ただ一言だけ書きたいです。
この映画を、どうか見逃さないでくださいね。若い人にも観てほしいな、と思いましたが、結構若い人がいたので嬉しかったです。
人生を豊かにするものを観てほしいです。
「何でこいつが俺より先に…」 by E・モリコーネ(うそ)
実在したチリの詩人のイタリア亡命時代を元に描かれたヒューマンドラマ。
反体制の知識人が政治的迫害によって移り住んだ僻地で地元住民と交流するという物語の骨格は、F・ロージ監督の『エボリ』(1979)と似ているが、神すら降臨を躊躇する荒涼たる寒村に流刑されるドン・カルロと違い、本作のドン・パブロは妻を伴って亡命してきたナポリの小島でワインを嗜みながらタンゴのレコードに合わせてダンスに興じるなど、何だかバカンス気分。
一方で、観終わったあとに宗教的感動にも似た不思議な余韻を味わえる『エボリ』に対し、本作では予想外の結末が用意されている。
チリ出身の実在した詩人パブロ・ネルーダに扮するのはフランスのベテラン俳優フィリップ・ノワレ。『ニュー・シネマ・パラダイス』(1989)の映写係アルフレードとは異なる役柄の知識階級を優雅かつインテリジェンスに演じている。
家業の漁師を継ぐことを嫌っていた地元の男性マリオは文字が読めるおかげで、亡命中のネルーダ宛てに世界各国から集まる膨大な郵便物を届けるための彼専属の配達夫として雇われることに。
当初は相手にしていなかったマリオの感性に気付いたネルーダは彼に詩作の手ほどきをし、マリオは次第に詩藻を開花させるが、彼のなかで目覚めたのは詩のセンスだけでなく…。
マリオとネルーダの心の交流や、島の美しい娘ベアトリーチェとのロマンス、許されて帰国が叶うネルーダとの別れなどの人間模様が南イタリアの眩しい陽光の下、穏やかに紡がれるので、ラストのマリオの悲劇は唐突な印象。
ネルーダの影響で共産思想に傾倒していったマリオが共産党の集会で詩の朗読を試み治安部隊の暴行を受け死亡する結末は、チリに帰国後ピノチェト政権によって虐殺同然に命を奪われるネルーダの暗喩なのだろう。
作中のネルーダはマリオの詩の才能に着目するあまり、自身に感化されて彼が左翼思想に芽生えたことに気を払っていない。
妻に捧げた詩をベアトリーチェとの逢瀬で使ったマリオを咎めた際に、「詩は創った人のものではなく、詩を必要とする人のためにある」と反論されたネルーダは一本取られたぐらいの反応しか示していないが、マリオのこのセリフは彼が共産主義に目覚めたことの証左でもある(詩の箇所を物質的な価値の言葉に置き換えれば分かりやすい)。
素朴な演技でマリオの純朴さや一途な人柄を体現したマッシモ・トロイージが本作の撮了12時間後に他界した逸話は有名。結果的に本作は実在のネルーダだけでなく、トロイージへのレクイエムにも。
ラストシーンで後悔に苛まれて海辺をさまようネルーダの姿は、トロイージを作品に殉じさせたことへのM・ラドフォード監督自身の自責の表明にもみえる。
作品に抱く感慨は人それぞれだろうが、自分はこの映画のラストがS・レオーネ監督の『夕陽のギャングたち』(1971)と、どうしても重なってしまう。
亡くなったトロイージの主演男優賞を含め、本作は複数の部門でオスカーにノミネートされたが、最終的には作曲賞のみ受賞。
音楽を担当したのはルイス・エンリケ・バカロフ(媒体によって名前の表記がさまざまだが、作品のオープニング・クレジットに従えば上記どおり)。
アルゼンチン出身ながら人生の大半をイタリアで過ごした彼はマカロニ・ウエスタンのサントラで多くの傑作を残し、共作もあるエンニオ・モリコーネとは師弟関係(だったと思うんだけど、今SNSで調べても詳しい話出てこなくて…。でも、使い回しのマエストロぶりはモリコーネ譲り?!)。
本作以前のバカロフの実績を知る人に「ほかの代表作は?」と訊けば、おそらく多くの人が択ぶのが「続・荒野の用心棒」(1966 原題 Django)。
短期間に低予算で製作され本来ならB級映画扱いの筈が、タランティーノをはじめとする多くの映像作家に愛され、ついにはリブートのTVシリーズまで登場した作品の魅力の一つは間違いなくバカロフが作曲したサントラにある。
同作に提供した哀愁漂う主題歌や情念まみれの曲と異なり、本作ではバンドネオンなどのタンゴの要素を採り入れた軽快で抒情豊かなサウンドを、波の音やウミネコの鳴き声などの効果音と調和するよう過剰にならない範囲で使用している。
悲劇的な結末で作品が暗い印象になるところを美しい音楽で和らげている点も、『夕陽のギャングたち』(モリコーネが作曲を担当)に通ずる。
本作でバカロフがオスカーを受賞したことを知って「モリコーネより先に?」と思ったのは、自分の率直な感想。
2017年没。
五歳年下のバカロフの訃報に接して、「何でこいつが俺より先に…」とモリコーネが思ったかは不明。
4Kデジタルリマスター版で久しぶりに観賞。
作品の性格上、セリフ過多なので、字幕が顔のアップに重ならないよう、もう少し工夫して欲しかった。
24-133
「詩は必要としている人のもの」なのか?
マリオがパブロの詩を使ってベアトリーチェを口説いたのが最後まで引っかかってしまった。「詩は必要としている人のもの」というのがマリオの考えだ。なるほど、そういう考えもあるかもしれない。共産主義的な言い方をするなら、詩という財産を共有する、ということかな。
それでもやっぱりマリオの考えには賛成できない。創作物というのは作り手の個人性が宿るもので、それを自分のものかのように使うのは作り手に対して敬意が無さすぎる。どれだけ稚拙な表現になっても、マリオは自分の感性を懸命に働かせ、必死に言葉を生み出してベアトリーチェを口説くべきだった。人の言葉を借りて思いを寄せる人を口説いても、嬉しいとは思えない。
ただ、最後の最後でマリオは詩人になったと思う。島の海や風、息子の心音を録音するという発想に感動した。彼の感じる島の美しさを、自分の声とともに残すという姿勢は正真正銘詩人。実際に島の風景や音、島民たちは様々な美しさを備えていたと思う。
悲しいラストだったが、海岸を歩くパブロの姿に深い余韻を感じる。
見終わった後に、良い映画だったなと思える映画!
見終わった後に、良い映画だったなと思える映画でした!
特に、最後の脚本と映像が素晴らしく、こういう終わり方をするのか!?という感じです
郵便配達人と高名な詩人のふれあいが、どうして映画になるのか?と不思議に思っていましたが、最後に納得できました
言葉の持つ魅力が恋を成就させ、その言葉に憧れ、自らも言葉の魔術師になろうとした主人公の気持ちもよく判るし、二人の間に生まれた友情以上の心の通い合いが、人間の魅力だと思えるし、背景に当時のチリ・南部イタリアの政治的混乱、選挙・議員への皮肉も描かれており、帰国後、恐らく軍部に殺されたであろうネルーダ氏への鎮魂映画ともいえる作品です
主人公の郵便配達人が、言葉の魔術師ネルーダに再訪して欲しくて、自分の住む故郷の美しさを言葉ではなく、録音して送ろうとした気持ちも素敵だし、故郷チリのクラブ・街角で踊っていただろうと思わせる、ネルーダ役のフィリップ・ノワレの上手なダンスも素敵でした
BGMも映画に合った音楽で、バンドネオンの音色が何故か心に沁み込み、印象的だなと思っていたら、アカデミー賞作曲賞だったと知り納得!
また郵便配達人を演じたマッシモ・トロイージが、『イル・ポスティーノ』制作時には即時手術が必要な状態にも係わらず撮影を優先し、撮影終了から12時間後に41歳で死去したと知り、大きな驚きでした!
全42件中、1~20件目を表示