「銃は必ず撃たれねばならない」いとこ同志 因果さんの映画レビュー(感想・評価)
銃は必ず撃たれねばならない
コンビニもろくすっぽない寒村の片親家庭で育った俺とは対照的に、従兄弟は東京都杉並区住まいの円満家庭ですくすくと育った。俺がこの映画を見て五体満足でいられたのは、ひとえに俺の学歴が従兄弟の学歴より高いからだと思う。そうでなければ軽く自殺未遂でも引き起こしていたかもしれない。いったい何を食ったらこんな残酷な映画が撮れるのか。元気がない人はあんまり見ないほうがいい。
思えば想い人のフロランスを従兄弟のポールに寝取られたシャルルが帰宅する場面のうんざりするくらい強調された1階・2階の上下レイヤーが貧富の逆転不可能性を示唆していた。シャルルがイギリスあたりのビルドゥング・ロマンスのような「清く貧しく」的な高潔な精神の持ち主ではなく、徹頭徹尾余裕のないケチなガリ勉として描かれていたあたりも抜かりない。事実、貧乏人はいつまでも貧乏人のままだし他人に対して余裕もない。『素晴らしき哉、人生』のようなハリウッドご都合主義に対する痛烈なアンチテーゼだ。
とはいえ貧・富とか都会・田舎とかいった単純な二項対立は描き方一つでしょうもない露悪に落ちぶれるリスクがある。シャルルの辿るプロセスの間に一度でも作り手の嘲笑が見え透ければ、本作はたちまちヌーヴェルヴァーグとしての理性を失ってしまう。常に被写体との物理的・精神的距離を推し量り、できごとの客観に徹したアンリ・ドカエの撮影技術に感服するばかりだ。
ラストの誤射シーンはあまりにも美しい。チェーホフの銃という文芸上の規約を鑑みれば、シャルルがポールを銃殺しようとした時点で誰かが撃たれることは必定だった。しかし銃殺の失敗によって先送られた死は、翌日になってシャルルの胸を射抜くことになる。「やめろ!」と言いかけたまま倒れるシャルル。平素の活気と自信を失い狼狽するポール。それを嘲笑うはずのシャルルは既にカーペットの上で事切れているという強烈な皮肉。画面上に緻密に堆積していた一切合切が一瞬にして無へと帰してしまったかのような虚脱感。
こういう悲劇は今なお先進諸国のいたるところで勃発しているんだろうと思うとおぞましい気持ちになる。しかもそこには銃というデウス・エクス・マキナも存在しない。何度でも言うが俺は従兄弟より学歴が高くてマジで良かったと心の底から思う。俺は別に学歴厨じゃないし自分の大学に対して過剰な自負心もないけど、客観的指数として明確に勝っている何かがある、という事実が本当に心強い。逆に言えば、学歴を自尊心の最後の拠り所に見据えていたシャルルが、それさえも従兄弟に負けたことを契機に死へと向かっていくのは必然であるように思う。世の中勝ち負けじゃないよ、というのは、まあ、その通りなんだけど、全部負けてたら死にたくもなるだろ。