アンドリューNDR114のレビュー・感想・評価
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【”自由を求めて・・。”ある一家に購入されたロボットが、その係累と二百年に亘り触れあう中で人間に成りたい夢を叶えるファンタジックヒューマンストーリー。】
■リチャード(サム・ニール)に購入された家事用ロボット・NDR114号は、アンドリュー・マーティン(ロビン・ウィリアムズ)と名づけられ、幼いリトル・ミス達リチャード家の人達と三世代に亘り、一緒に過ごしながら人間について学び続けた。
やがてリトル・ミスは成長し、結婚して、その後彼女とソックリの孫ポーシャ(エンベス・デイヴィッツ)が生まれた。
アンドリューは成長したリトル・ミスが大好きだったが、彼女とソックリの孫ポーシャを見て、人間になりたいと願うようになる。
◆感想<Caution!内容に触れています。>
・前半は、ロビン・ウィリアムズに何となく似たロボット、アンドリュー・マーティンの表情が、ドンドン人間ぽくなって行く様と、ユニークな言動が可笑しい。
それにしても、あの映像どうやって撮影したのかな。
・中盤は、アンドリュー・マーティンが様々な家事用ロボット・NDRを訪ね、陽気な女性型のガラテアと、彼女の主人でアンドロイドの研究者ルパート・バーンズと会い、自分の想いを徐々に実現させていく様が、面白いし、人間とロボットとの差を考えさせられる展開も、とても良い。
・後半は、アンドリュー・マーティンが全てを人間仕様にし、愛するポーシャと最期を迎える様が描かれるが、この辺りは哲学的でもある。
<今作は、人間になりたいと願うロボットが200年の間、ある一家の係累と関わる中で、人間になり、幸せそうな顔で死んでいく様を描いたヒューマンストーリーである。>
ロボットの生きざまを描いた200年の結晶物語。
ロビン・ウィリアムズ主演の作品。
機械生産のロボット、NDR114が様々な受難を経て人間へと変身していく様を描いた作品である。
最近よくある伏線回収や、トリックなどをほぼ使わず、シンプルな本作に惚れてしまった。
「〇〇年後」を使いたがらない映画監督も多いと思うのだが、本作は逆張りで多めに使用していたと感じる。
最後のシーンもハッピーエンドだが儚いラストに救われた気分になった。
ガラテアのくだり以外はすべて淡々としており、原作者と握手がしたいくらいの気持ちに駆られた。
2024年10月28日TV地上波録画分再見(以前評価:★★★☆☆)
20世紀機械人形♥ 『アンクル・アンドリューズ・ケビン』
アイザック・アシモフのロボット三原則とはなぜ存在するのか?
つまり、ロボットはそうなる可能性があって、ロボットのプログラムを組む人間の道徳に訴えて作られている。三原則の根源は『ロボットは人間の為に存在する』が大原則だ。
実存主義な西洋人にとってのファンタジーである。
従って、この映画も機械人形が人間に近づくファンタジーではなく、人間の存在哲学と思うべきだ。
この類のストーリーは手塚治虫先生の『アトム今昔物語』などなど沢山ある。
『新・スタートレック』の『データ少佐』とかね。
しかし、手塚治虫先生のアトム今昔物語は黒人解放と反ベトナム戦争がテーマだった。
また、新スタートレックのデータも人間にはならなかった。
『姉さんはアンドリューを殺そうとした』こんな台詞が飛び出す。
結局、白人男性の描くロボット映画は『フライング・ダッチマンの奥さん』の話になってしまう。
『アンクル・トムズ・ケビン』の様な人種の表現しか出来ないのだから、ロボットに対する人権なんてあるはずも無い。また、
ロボットにDNAを搭載させるなら、死を与える必然性が生じ、その段階で宗教がロボットには備わる。しかし、それだけでは進化しないので、進化と言うアップグレードは、右辺と左辺が同じと言う方程式がある限り、そう簡単には動ずるものではない。
ロボットの人権を描きたいなら、アメリカの自由と民主主義を淘汰させて、地球全体の平和を始動してもらいたいものだ。
描かれる未来都市はニューヨーク?そこにゴシック様式のカトリック教会は似合わない。もし、ニューヨークならこの映画上映の翌年に悲劇が起こる。二本のビルディングはこの映画では消えている。さて。
追記 こんなロボットが現れたら、自由と民主主義の美国は侵略戦争に使うはずだ。
だからと言って、尊厳死まで踏み込む事はないだろうが!
大絶賛されているけれど…
段々と自我を持っていくアンドリューに私は恐怖を感じてしまった。アンドリューはいい人格やったけど、もしも悪意に満ち溢れていたら、リアルターミネーターの世界になりそう。AIも発展している今恐ろしい。
死ぬ体を手に入れられたから愛する人と生涯を終えることができたんやよね。涙を流すことができないっていうアンドリューの言葉が印象的やった。
時の流れを感じさせる長さ〜
出てきたロボットが、当然ながら
ロビン・ウィリアムスそっくりで
その量産型ロボットが
あちこちにいると思うと怖い(笑)
最初の方はロビン・ウィリアムスの
コミカルなセリフや動きが
楽しく観られるけれど
だんだんに人工知能が感情を持つことの
難しさや怖さも感じる。
ただ、ターミネーター的な
怖いロボットになるのではなく、
人間になりたいロボットのお話。
人間とは生命とはなんだろう?
改めて考えさせられれます。
コロナ自粛の時間のある今観るのに良いかも〜。
で、月に8回程映画館に通う中途半端な映画好きとしては
ちょっと長いかな〜
まあ、ロボットが人間らしい人工皮膚を手にするまで
確かに100年くらいじゃ無理なので
ロビン・ウィリアムスがなかなか生身で出られない。
だからかもしれけど人間の見かけになってからも
どうも長いがする。
自分が恋した女性の婚約パーティーを邪魔するくだりは
もうちょっと端折れたのでは?
まあ、ロビン・ウィリアムスのコミカルな面を
存分に出せるところではあるけれど〜
途中にガラテアという名の女性アンドロイドが出てくる。
ご存知の方も多いと思うけど
ギリシャ神話に出てくる女性の名前で
アンドリューと反対に、人間が彫像に恋をして
神の力で人間にしてもらった女性の名前。
そういうところでニヤッとさせられますね。
私の様にイイ歳して一人暮らしだと
アンドリューみたいなロボットがマジで欲しいわ。
看取ってくれて、後の整理をしてくれたら
別に自分に惚れてくれなくてもイイです(笑)
で、主人公はロボットで死なないから
時間の流れは200年に及ぶ。
始まりは比較的現在に近いので普通の景色だけど
年を追うごとに街の風景が未来に変わって行く。
人々の服装も未来になって行く。
その変わり方も結構、見モノです。
1976年に発表されたアイザック・アシモフの短編小説である『 B...
1976年に発表されたアイザック・アシモフの短編小説である『 Bicentennial Man / 邦訳:聖者の行進』を1992年にロバート・シルヴァーバーグが長編化した原作『 The Positronic Man / 邦訳:アンドリューNDR114』を基に制作されたロボットが人間になることを目指すSFヒューマン映画。
下記2点が気にならない人はこの映画を楽しむことができるだろうと思う。
①ロボットのクオリティ
②窓から落下したことで回路に損傷を来し、結果、ロボットが「人格」という自動性を獲得するという都合の良い設定
SFは都合の良い設定がないと話にならないので、自分的には上記①②を受け入れる事ができ楽しく見る事が出来た。ただRotten Tomatoesの評価は非常に悪いので、世間的には受け入れられない人の方が多いのだろう。現在の映像クオリティでリメイク版を見てみたい映画である。
なお、この映画でも出てくるアイザック・アシモフが提案したロボットが従うべきルール「人間への安全性、命令への服従、自己防衛」の3つはロボット工学3原則と呼ばれ、単なるSFの小道具にとどまらず現実のロボット工学にも影響を与えたとのこと。
心を癒したい時に観る映画
ロビンウィリアムズの作品は義務教育なのでこちらも履修 人間になりた...
人間とは?
アメリカンアトム
人間になることを念願するロボット
人間の本質は不完全性である。善から悪まで無限の幅を持ち、不安定で流動的でアモルフであり有限である。それに対してロボットは限定的でありその限定性のなかで完結しており安定している。
人間は不完全なものであるから完全性を求めるが完全な存在であるロボットが不完全な人間になることを求めるのがこの映画だ。
つまりこの映画では「人間らしさ」という概念が最上位に置かれている。そしてその「人間らしさ」はユーモアや愛や思いやりといった肯定的なものだけで満たされている。実際には「人間らしさ」という概念は不完全性であり、支配欲や攻撃性、残虐性も含むものなのに。
人間らしさを求めるこのロボットは執拗に愛を求めストーカーよろしく最初に仕えた家族の孫娘につきまとう。作者たちの意図に反して名優ロビン・ウィリアムズはそういう不気味さを図らずも体現している。
この映画が作られた20世紀の終盤(1999年)は人類がまだ人間という概念に希望しか見ることを欲しなかった時代でもある。
この作品に登場する人体を模した人工的な腕や臓器などのビジュアルはとてもよくできていて、不完全な人間という概念を超えるものとしてむしろそこにこそ希望があると感じた。
200年生きたロボットの物語でした
200年生きたロボットの物語でした。 非常に面白かったです。 序盤は平凡でしたが、 その後は興味深い話に変わっていきました。 登場人物たち、 そして何よりも [人間より人間らしいロボット] に感情移入できた事が高評価への決め手でした。 死ぬ間際、 ある女性が馬の模型を持っていてくれて本当に良かったです。
ただし、 最後の判決については不満でした。 ロボットに権利を認める事は構いませんが、 人間では有りません。 生物から生まれたわけでもないものを人間と認める事は不自然ですし、 説得力も有りませんでした。
なお、 ロボットが多数登場しますが、 1999年製作の映画なので、 CG などをきたいしては いけません。 ロボットと言う名前の着ぐるみです。
ちなみに、 現代は Bicentennial Man、 日本語では [二百年祭男] です。
タイトルなし(ネタバレ)
・異として生きること
・人間とロボットの違い。感情もあり、外見も同じ、身体機能も同じでも人間とは認められない。しかし、死・老いが伴えば人間として認知される。
映画の序盤に話していたが、「人間は時とともに学ぶ、ロボットは時がない」つまり、ロボットと人間の違いは『時間』であり、死は時を象徴する事象だと考えられる。
時間の流れを感じさせる長さ〜
出てきたロボットが、当然ながら
ロビン・ウィリアムスそっくりで
その量産型ロボットが
あちこちにいると思うと怖い(笑)
最初の方はロビン・ウィリアムスの
コミカルなセリフや動きが
楽しく観られるけれど
だんだんに人工知能が感情を持つことの
難しさや怖さも感じる。
ただ、ターミネーター的な
怖いロボットになるのではなく、
人間になりたいロボットのお話。
人間とは生命とはなんだろう?
改めて考えさせられれます。
今の様に時間のあるときにじっくり観るのが良い映画です。
で、月に8回程映画館に通う中途半端な映画好きとしては
ちょっと長いかな〜
まあ、ロボットが人間らしい人工皮膚を手にするまで
確かに100年くらいじゃ無理なので
ロビン・ウィリアムスがなかなか生身で出られない。
だからかもしれけど人間の見かけになってからも
どうも長いがする。
自分が恋した女性の婚約パーティーを邪魔するくだりは
もうちょっと端折れたのでは?
まあ、ロビン・ウィリアムスのコミカルな面を
存分に出せるところではあるけれど〜
途中にガラテアという名の女性アンドロイドが出てくる。
ご存知の方も多いと思うけど
ギリシャ神話に出てくる女性の名前で
アンドリューと反対に、人間が彫像に恋をして
神の力で人間にしてもらった女性の名前。
そういうところでニヤッとさせられますね。
私の様にイイ歳して一人暮らしだと
アンドリューみたいなロボットがマジで欲しいわ。
看取ってくれて、後の整理をしてくれたら
別に自分に惚れてくれなくてもイイです(笑)
で、主人公はロボットで死なないから
時間の流れは200年に及ぶ。
始まりは比較的現在に近いので普通の景色だけど
年を追うごとに街の風景が未来に変わって行く。
人々の服装も未来になって行く。
その変わり方も結構、見モノです。
@お勧めの鑑賞方法は?
配信しか無理ですけどね。
人間になりたいと願ったアンドロイドのアンドリュー。 それは感情を知...
アンドリューというかアンドロイドの悩みと幸せ
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