アルファヴィルのレビュー・感想・評価
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人間のぬくもりについて
2度目の鑑賞。 1度目のときは、プールでの処刑場面がとても印象に残った。当時はかなり斬新な映画だったのだろうなと思った。 今回は、パリの街で撮影していること、それがすごいと思った。特別なものを使わずに現実にある街をそっくりそのまま異質なものに見せるなんて。どこをどう変えれば異質なものと見てもらえるかがポイントであるわけで、そのへんの作り方というか、本質の捉え方がうまいなと。 ストーリー自体はシリアスで、コンピュータが発する言葉も私にはなかなか疲れる。でも、主人公がスマートに敵をポンポン殺すところや、キャラの設定などは、なかなか軽快でおもしろい。 舞台が現実的なパリの街だということは、制作費が低コストだっただろうということがまず頭によぎってしまうが、よく考えてみれば意味が深い。 一見、合理的に人の生活が営まれ、社会が機能しているふつうの街。だから何も問題はないと錯覚するし、させられる。ふつうに機能しているのだから誰も文句は言えない。間違っていることがあっても、彼らはそのことに気が付かない。気が付かされないよう仕組まれている。 当たり前だと思っている、ということの恐ろしさ。 自分たちがゆがんでいくとき、素早くキャッチし軌道修正していけるだけの敏感さや賢さをもっていなくてはこうなってしまう、ということだ。 この映画では、また、味気ない世界と対比することで、芸術的感性、それを理解する人間の感度というものへの信頼、そのようなものが浮き彫りにされている。 人間のぬくもりを感じさせる、なかなかロマンチックな映画なのだなと思った。
市民プールも新しかった時代
カスタムメイドの企業コンピュータ。昔の汎用コンピュータ全盛時代、そもそもコンピュータ自体が高額だったため、一台の汎用コンピュータをエアコンの効いた専用のコンピュータルームなる場所に設置して、専門の技術者がこのコンピュータを操作しながら大量データを一括に処理しているという光景があったらしい。それを思わすワンシーンがあった。なお不完鑑賞ですので、いつかまた観ます。
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自宅(CS放送)にて鑑賞。仏・伊合作。久々の鑑賞となるJ-L.ゴダールは全篇モノクロで、半世紀以上(正確には53年!)前の一本。ハードボイルやSFへのオマージュに満ち溢れており、仰々しいBGMが全篇に亘り奏でられている。判り易いストレートな物語は近未来だった'84年の設定であるが、画面内の街や登場する拳銃等は、製作された'65年のパリや当時の物であり、あくまでSFの態のハードボイルド。その意味でCGIで飾られた昨今の画面を見慣れた層や複雑なストーリーに馴れ親しんだ向きには、物足りなく映るかもしれない。65/100点。
・地球から9,000km離れた星雲都市アルファヴィル。「コインをどうぞ」と書かれた投入口にコインを入れると、「ありがとう」と書かれたプラスチック板を吐き出すだけの販売機。公開処刑はプールで行われ、その罪は妻が死んで泣いたから等々、ドライで異常なディストピアの日常が描かれており、これはG.オーウェル原作の『1984('84)』に似た管理社会を彷彿させる。但し本作でファシズムを掌り、絶対権力を握る指導者はコンピューターである。
・終始、しゃくりあげる様な嗄れた妙な音声の“アルファ60”は云う迄もなく『2001年宇宙の旅('68)』に登場する“HAL9000”の原型であろう。何かと饒舌気味な“アルファ60”の「時は私が作っている」と云う意味の科白は、J.L.ボルヘスが'46年に記したエッセイ『新時間否認論』の一節からの捩りであろう。
・単語だけではあるが、劇中内には“トーキョーラマ”や“ヌェヴァヨーク”、“ペキンラマ”と云った都市名が登場する。A.タミロフ演じる“アンリ・ディクソン”にE.コンスタンティーヌの“レミー・コーション”が読み聴かすのは、P.エリュアールによる'26年の詩篇『苦悩の首都』の一節であり、これは本作の伏線であると思われる。
・監督はP.チェイニー原作の『レミー・コーション/毒の影('53)』から始まるシリーズより、E.コンスタンティーヌの当たり役となった“レミー・コーション”の役名と演者をその儘、拝借した。H.ヴェルノン演じる“レオナール・ノスフェラトゥ・フォン・ブラウン”教授の“レオナール・ノスフェラトゥ”は『吸血鬼ノスフェラトゥ('22)』へのオマージュであり、監督は当初、R.バルトにこの役を想定していた。
・ノンクレジットであるJ-A.フィエスキの“ヘッケル”教授と同じくノンクレジットのJ-L.コモリの“ジャッケル”教授は、'40年代、P.テリーによる米国のTVアニメ『ヘッケルとジャッケル』に由来する。これは我国でもTV放映され、牟田悌三による無表情なナレーションが人気を博した黒い二羽組のカササギによるアニメで、東芝のCMキャラクターにも起用された。
・本篇の半分過ぎ辺り、『大人は判ってくれない('58)』や『二十歳の恋('62)』、『中国女('67)』、『逃げ去る恋('78)』等で知られるヌーヴェルヴァーグを代表する俳優J-P.レオが“レミー・コーション”のE.コンスタンティーヌと“ナターシャ・フォン・ブラウン”のA.カリーナが居る安ホテル“赤い星”の朝食を提供するボーイ役としてカメオ出演しているが、彼はC.L.ビッチやH.カルーギン、J-P.サヴィニャックらと共にノンクレジットで助監督も務めた。
・評論家でプロデューサーのS.シュナイダーの「死ぬ迄に観た方が良い1001本 "1001 Movies You Must See Before You Die"」に選出されている。亦、パキスタンにおいて、'70年7月10日附けで一切の上映禁止と云う憂き目に遭った。
・鑑賞日:2018年9月18日(火)
最初…
設定も何もよく分からず寝そうでしたw でも話が進んでいくにつれ、内容を理解し始めると途端に面白くなってきました。 SFっぽく見えないけど、確かにSF。 すげぇ面白い!という作品では無いけれど。 昔のSFはいいですね。 今みたいな派手さはないけれど、どう見せるか、どう撮るかなどの工夫があって、話も一癖もふた癖もある。 だがそこがいい。 色々考えながら見れるからね。
始まりのアルファ
実験的、芸術的、冒険的、半SF。なるほど、、男と女と車があれば映画は撮れるとゴダールは言っていたそうですが、普通のフランスの街並みで特撮等一切なくても、これはSFだなぁ。 ゴダールは少ない台詞でかつ詩的、文学的でやっぱり好き。
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