「シェイクスピア愛に満ちた作品」アル・パチーノのリチャードを探して Chemyさんの映画レビュー(感想・評価)
シェイクスピア愛に満ちた作品
16世紀の演劇が21世紀の現代、今尚様々なアプローチで、世界中で演じられているというのは驚くべきことだ。本作は、アル・パチーノが、「正統派」の『リチャード三世』映画を撮る課程をドキュメンタリーで綴った異色作だ。作品中、あるスタッフが「今じゃ日本人もシェイクスピアを演じている」と言うように、日本の演劇人でシェイクスピアを演じたことが無い人の方が少ない(言い過ぎ?)ほど、シェイクスピア人気は高い。それに比べて、同じ英語圏であるアメリカ人がシェイクスピアを演じることを躊躇するということがとても興味深い。アメリカ人は、イギリス英語にコンプレックスを持っていて、シェイクスピアを演じるとどうしても構えてしまうというのだ。これは日本人からは思いつかない落とし穴だ。シェイクスピアの独特の韻を踏むセリフのリズムを追うことに夢中になり、その中に隠されている“意味”を見失うらしい。それ故、演じるほうも見るほうも、ストーリーが解り難く退屈と思うらしい。日本でシェイクスピアがすんなり受け入れられるのは、ひとえに日本語に訳すと、英語の韻やリズムが関係なくなることにあるかもしれない、特に最近は現代語に近い新訳で演じられることが多いため、物語が分かり難いということがないようだ。作中、ジョン・ギールグット、ヴァネッサ・レッドグレイヴ、ケネス・ブラナーなどのイギリス俳優が語るシェイクスピアの特徴に大変興味を覚えた。アメリカ人であるパチーノは、それらの意見を聞きながら、「何でこんなにややこしいんだ!」とぼやきながらも、楽しそうに『リチャード三世』を演じている。さらに興味深いのは、それぞれの俳優が、役づくりをしていく様子。映画でもちゃんと「読み合わせ」をすることにも驚いたし(シェイクスピアだから特別なのかも)、自分なりの役の解釈をそれぞれ議論しながら作り上げていくという作業に、演技はやはり地道な努力からなるものなのだということを改めて感じさせられた。本作が面白いのはこれらの稽古風景をただ撮った単純なドキュメンタリーなのではなく、エリザベス朝の衣装をつけた、本番(?)映像と、メイキング映像が、バランスよく配置されていることだ。解り難い『リチャード三世』の芝居に解説がついているようで楽しい。本番映像のクライマックスに1ショットだけメイキングがサブリナル的に挿入されても、全く邪魔することなく、逆にスタイリッシュな映像に仕上がっている。何より、エリザベス朝の衣装やライフスタイルと、現代の俳優の普段のファッションや、ライフスタイル(食事風景とか)の両方が楽しめるのがお得だ。私のようなシェイクスピア好きはもとより、シェイクスピアを苦手としている人にもぜひ見て欲しい、シェイクスピア愛に満ちた作品だ。