アラバマ物語のレビュー・感想・評価
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アメリカの良心
現在ではアメリカに良心や正義が存在しているのか とても疑問ですが、昔の映画には正義や良心があるものとして 描かれているといます。 1930年代のアメリカ南部。 弁護士だった父親(グレゴリー・ペック)の事を当時7歳だった娘のスカウトが 回想していきます。 「アラバマ物語」は黒人差別の激しい南部・アラバマで、 白人女性をレイプしたとして逮捕された黒人青年を弁護する 弁護士・グレゴリー・ペックを描いた映画です。 人種差別をする白人からも嫌がらせを受けながらも、 彼の無実を信じて立ち向かう父親の姿を子供の兄と妹の目線で 描いています。 1961年にピューリッツアー賞を受賞したハーバー・リーの、 「ものまね鳥を殺すこと」が原作です。 翌年の1962年には「アラバマ物語」として公開されたのです。 映画の語り手となる弁護士の娘のスカウト(ハーバー・リー自身がモデル) そして横道にそれますが隣家の少年・ディルこそ、後の作家トルーマン・ カポーティーなのです。 ハーバー・リーとは親友で1960年のカポーティの「冷血」の取材にも リーは同行しています。 映画「アラバマ物語」は黒人のトムが白人娘の「暴行された」 との真っ赤な嘘のために逮捕されて、陪審員の判決は有罪。 しかもトムは刑務所へ送られる途中で逃亡して射殺されるという 救いのない話です。 それでもグレゴリー・ペックは仕事を終えたメイドを家まで 車で送ります。 それは決してありふれた光景では無かった筈です。
【”無害なツグミを撃ってはいけない。”今作は、1930年代のアラバマで起きた黒人男性の白人女性暴行事件の顛末を、黒人の弁護に立った清廉な弁護士の男の子供の目線で描いた逸品である。】
■1930年代のアメリカ南部アラバマ州が舞台。
幼い息子ジェムと娘スカウトと暮らす弁護士・アティカス・フィンチ(グレゴリー・ペック)は、白人女性暴行の罪で訴えられた黒人青年・トムの弁護を依頼される。
人種偏見の強い町の人々は冷たく当たるようになるが、アティカスは正義を重んじ、弁護を引き受け、陪審員が全員白人であるという絶望的な裁判に臨む。
◆感想<Caution!内容に触れています。>
・誰が見ても、白人女性マイエラ・ユーエルを殴りつけたのは、愚かしき父親ボブ・ユーエルであり、その証拠を裁判で見事に証明するアティカスだが、黒人差別意識の激しい南部アラバマでは、トムに対し、有罪判決が出る。
そして、アティカスは肩を落とすトムに”上告するから。”と告げるシーンの、黒人牧師に促され、2階で裁判の遣り取りを聞いていた黒人たちが、アティカスの背に向かって起立するシーンの崇高さよ。
けれども、トムは”勾留場所から逃げ出して”射殺されたという報が届く。
それを聞いている幼い息子ジェムと娘スカウト。
・ボブは勝訴したにも関わらず、アティカス・フィンチへの嫌悪を隠さない。
トムの死を肉親に告げに行ったアティカス・フィンチの後を追い、彼に唾を吐きかけるが、フィンチは冷静に対応するのである。
・しばらくたって、幼い息子ジェムと娘スカウトはハロインパーティーに出掛ける時に、何者かに襲われる。
だが、別の者がその男からジェムを救い出す。
そこに保安官がやって来て襲ったのはボブ・ユーエルで、彼はナイフが胸に刺さって死んだという。
スカウトは、自分達を助けてくれたのは、極度の恥ずかしがり屋であるために、様々な噂を立てられていたアーサー・”プー”ラドリー(若き、ロバート・デュヴァル)という事を知っていた。
そして、保安官も”ボブ・ユーエルは、自業自得の死”と言い、恥ずかしそうに戸の陰に立っていたアーサー・”プー”ラドリーを、英雄と言って人前に出すのは”罪”であると言うのである。
<今作は、1930年代のアメリカ南部アラバマ州の黒人蔑視の状況を知らない子供、アティカス・フィンチ弁護士の娘スカウトの目線で描かれた、”相手を理解する大切さ。””。”人種、地位、思想が違ってもお互いに歩み寄る大切さ。”を描いた逸品である。
ラスト、そのスカウトが言う”無害なツグミを撃ってはいけない。”という言葉も染み入る作品である。>
アメリカ南部の人種差別は根強い
1930年代のアメリカと言えば、ニューディール政策で黒人やヒスパニックといった有色人種が支援の対象外となるなど、人種差別もまだまだ根強かった時代。とりわけ、今作の舞台であり、南北戦争以前は黒人の奴隷制を認めていたアメリカ南部は、差別も強烈なものだったはずだ。作中でも、証人の証言の矛盾を明確に暴いているのにもかかわらず、被告人を有罪とする理不尽さが描かれている。また、障害者に対する差別も根強かったことが窺える。
そのような黒人や障害者に対する差別を、純粋な子供の視点を通じて描く。差別に関して子供らしい無邪気さを発揮する子どもたちを、父親であるグレゴリー・ペック演じる弁護士アティカスが、教え諭すという構成を取ることで、差別を批判するメッセージが込められている作品。
アティカスの人物描写がよくできているのも、この作品を魅力的にしている。子どもたちを叱る際も声を荒げることなく、優しく教え諭している良い父親だ。彼の弁護士業が原因で学校で揉め事を起こす娘に対して「差別を受けている被告人の弁護を止めてしまったら、お前を叱る資格が無い」と言うところが、筋が通っていて魅力的だ。
ストーリーは、アティカスの熱心な弁護にもかかわらず裁判が有罪で終わることでリアリティが出せている。しかし、最後に隣人のブーが子どもたちを助けてくれる結末にすることで、後味の良い構成にできていたのが良かった。
子どもたちにとって、
裁判では勝てなかったけど妨害に立ち向かい正義のために法廷で戦った父の姿は、子どもたちにとってなにもよりもの教育や道標になったに違いないですね。ブーの伏線もとても良かった。
余韻の残る作品でした。
グッド•ワイフで弁護士のバイブルと言われていた
冒頭、主人公のアティカス•フィンチ弁護士に質問する幼い娘スカウトとの会話。
今の人貧乏? そうだよ。
うちは? うちもそうだよ。
カニングハムさんぐらい? いや。
なぜ? カニングハムさんは農業だから、恐慌をモロに被ったんだ。
なぜ野菜をくれるの? 相続手数料さ。
このやりとりで父のアティカスは、娘に来客のことを貧乏かと聞かれて躊躇なく頷く。
貧乏を差別的に認めているのではなく、
事実として認めているので蔑みの気持ちは微塵も無い。さらには娘にうちは?と聞かれてうちもだと答えている。
このシーンで弁護士アティカスの公正誠実を感じ取れた。
1932年頃、アメリカ南部まだ黒人に対しての差別意識が根強く残っているアラバマ州での話。
のどかな風景が広がり兄ジェムと妹スカウトは自然の中で遊び楽しく日々を過ごしている。子供達に勝手にブーと呼ばれている男や少し気難しいデュボースさんが隣人である。
アティカスの妻、子供達の母親は、亡くなっており、家政婦のギャルが家のことをしてくれている。
夜に、判事が来てトム•ロビンソンの裁判の弁護を頼みに来て引き受ける。
突然、アティカスになじって来る男が現れる。
夜にジェムとスカウト、ブーの家の周り沼地にはまり探検中に銃声。
翌朝学校でスカウトがウォルターと喧嘩して兄ジェムがとりなす。
家で父の膝に抱かれながらくつろぐスカウトに自分を抑えるように諭す。相手を知るには相手の身になって考えるんだ。妥協という言葉を知っているか。お互いが譲り合うんだ。父の説明に感心するスカウト。父に説明できないことは無い。
父の凄いのはそれだけではなく、狂犬病の犬が近くに現れた時、保安官と父が様子を見て見事父が一発でし止める。13,4歳頃から銃を触っていたそうだ。
夜、トムの家へ妻に会いに行くと、ついて来たジェムが車に乗っているところに以前アティカスをなじった男が現れ、
「黒人びいきめ❗️」と吐き捨て立ち去る。
遅くまで家にいてくれたギャルを車で送って行く父。
またもや、学校でセシルとケンカするスカウト。
スカウトは弁明する。
「セシルが、黒人野郎を弁護するのか?と先に言って来たの、だからよ。」と。
父は、どんな事があってもケンカをするなと何度も繰り返して諭した。
アポッツビル拘置所に収監されていたトムを連れ出したのを見たアティカスは、留守をギャルに頼み入り口の番をしに事務所に赴く。
セーレムが募ったのか、20人ほどの男たちが、棒を携えて怒りながらやって来て、
トムを出せ、と口々に喚く。
相手にしないアティカスの横にしゃしゃり出たスカウトは、集団の中にいるカニングハムに向かって、
息子と同級生だね、とか、相続のこと上手く行った?と話しかける。
バツの悪そうなカニングハム。
しらけて戦意消失の男たち。皆帰って行った。
だが、アティカスは、寝ずの番をする。
いよいよ公判だが超満員、2階の傍聴席には黒人が席を占める。そこに混じるジェムとスカウト。
ユーエルは娘のメイエラが、トムにレイプされ殴られたと主張。しかし、メイエラは、殴られたことを初め忘れていた。
なぜいつも手伝っていたのかと検事の質問にトムが
かわいそうだったから、と言った途端、
黒人が白人をかわいそうだと?と聞き返す検事。
さらにトムは、メイエラにキスされ逃げ帰ったと証言。
白人が黒人を誘惑した罪、と言われると、
メイエラは、金切り声で自分を信じないなんて男は皆ダメだダメだと叫び続ける。
レイプされたらこんな事言わない、言えないと思う。
メイエラの顔の傷は左利きの仕業でトムは左手を使えない身体だとアティカスは皆の前で証明もしたが、
陪審員の評決は?
アティカスが裁判所を出て行く時、2階の黒人たち皆が次々と立って、アティカスを見送るシーンが印象的だった。立たないジェムやスカウトに黒人の牧師が立つように促す。
アティカスの弁護は立派なものだと認めていたからだろう。
しかし、再審請求しようと考えるアティカスの元へ保安官からの知らせ。
すぐにトムの家に訃報を告げに行くと、
ユーエルがやって来てアティカスを呼び出し唾を吐きかける。
ハロウィン、夜遅く森の中帰途につくジェムとスカウトが襲われるが、誰かに助けられる。
ジェムを家まで運んで行く者。
スカウトは、ブーだと言う。
いつもこの兄妹のことを陰ながら見守り木の洞に
プレゼントの人形や時計を入れていたブー。
ブー、つまりアーサー•ラドレーに
子供たちの命の恩人だと礼を言うアティカス。
正義
無実の黒人青年を救う為、グレゴリーペックの弁護士が、立ち向かう話。そしてペックの子供達の目を通し、大人達の理不尽な世界を見て感じる。 裁判の内容は今の時代から見れば余りにも稚拙。魅力的な黒人青年に性的嫌がらせをした娘が、皆に知られぬ様に暴行されたと嘘をつく、裁判中に黒人に混じり、裁判を見ていた子供達も心落とす姿は感動的。 勿論ペックの熱弁もあるけれど、明らかに子供達の演技の方が胸を打つ。裁判後に子供達に。。。
前半を子供目線で観れれば...
子供との会話のシーンで寝る前に「男の子は時計、女の子は貴金属が大きくなったら親から譲り受ける物なんだよ」というシーンはのどかで良かった。 忘れてましたよ、そのしきたり(苦笑) 前半はとにかく淡々としており好奇心旺盛な子供達のシーンは暇だった。なるべく子供目線で観ようとしてましたが面白みがなかったです。まぁお父さん何してるんだろうと興味津々ってことですかね。それが60分以上も続くもんだから眠くなっちゃって。。。 事件の映像があると生きてくると思うんだけど、裁判で話してるだけじゃピンと来ない。「いま何の話してるの?」下手すりゃそう思う人もいるのでは。そういう意味では映画の予備知識が多めにないと理解するのは難しい気がした。 せっかく観てるんだし最後までと思って裁判シーンを鑑賞してましたが、女の人が「絶対この人よ」と言う場面は、明らかに黒人をダシに無理して言ってる様子でした。うーん...けしからん! (苦笑) 眠くても踏ん張って鑑賞。だって、ここの評価はいいし、レンタルしたDVDは傷だらけ=沢山観てる人がいるってことでしょ? でも、自分はつまんない。これはもう演出の問題、自分には合わなかったと判断しました。 「世の中には嫌な仕事をする人が必要なのよ」 正義感だけでは世間の目は冷たい。かえって利用される。これを変えていかないと貧乏くじですよ。映画では近所の特殊な男に救われましたが... 嫌がる仕事は元々恵まれて余裕のある人はできるかもしれないし、就職難で仕方なくの人もいる。普通は自分の生活が大事になってしまう... 子供に話した、このおばさんの気遣いには共感できましたね。 有罪にされてしまった黒人が護送中に逃げ、死んでしまうのだけど、少しでいいから映像作ればいいのに...どうしても話だけでは退屈で、裁判後のラスト20分ほどしか面白みはなく、あんまり引き込まれなかったです。 余談ですが、後ろに座ってる裁判長の態度なんて私と一緒で退屈そうに見えたから、画面越しに「つまんないよね?まぁ頑張って聞いてようよ」と話しかけたくなった。 子供のシーンが長すぎて、本題に辿り着く前に疲れちゃった。
黒人の悲劇
グレゴリーペック扮する弁護士アティカスフィンチは、お金が無い人からはお金ではなく野菜など物でもらっていた。 ここでも家政婦は黒人だったね。親の背中を見て育つと言うが、アティカスの子供も貧乏な子を家に連れて来て食事させるなんていいね。黒人の弁護士になったアティカス。この映画を観たのは二回目。当時の黒人の悲劇が良く分かるね。
子どもの目線が挟まって効果的
今でも少なからずある、無意識の差別ともいうべき ところを明るみに出して突きつけられる。 それに立ち向かおうとするものを非難する人々が出てくるのは もしかすると自分の価値観を揺さぶられる恐怖があるのかもしれない。 無垢で公平な目線を持つ子供の目線が挟まるのが 大変効果的で、 まっすぐな目にどうこたえられるのか 自分に問われるようである。
カラスは撃ってもツグミは撃っては駄目なのか?差別と偽善!
言うに及ばず、アンクル・トム 対 偽善的白人 この映画で感動する黒人はいないし、白人もこの映画に違和感を覚えるはずだ。60年前の映画で 仕方ないが、寧ろ今の方が悪くなっているように感じる。 古典として取り上げられるが、差別などの問題はここから出発する。その問題は解決されぬまま、更に複雑になっている。
家族愛にジーンときた
「おもいでの夏」のロバート・マリガンがこのような社会派映画を撮っていたとは意外な感じがする。
舞台は1932年、この映画は1962年製作、いま(2021年)でも人種問題が起こっている現状は悲しい。
人種問題が主たるテーマになっているものの、一部サスペンスタッチの部分と家族愛の部分で、映画全体の出来をエンターテイメントとしてもすばらしい作品にしている。個人的には父と娘の交流(会話が面白い)のほうがすごく気に入っているが。
敢えて気になった点をあげれば(映画の出来を損なう程ではない)
・被告の黒人青年が拘置所から脱走したこと・・・主人公が上訴すると言っていたのになぜ?主人を裏切るような行為じゃない?彼の性格から脱走するのは不自然、脱走が成功する訳ないのになぜ?もしかして、一種の自殺行為だったのか(撃たれることを想定して)?
・最後のほうで子供が襲われるが、暗くて誰が何をしているのかよくわからない。
・娘の回想であるが、何年後の回想なのか、今の彼女が何をしているのか(父のように弁護士になったのか)、わからない。
・子供たちを救った男を裁判にかけなくてよいのか?真実を追求する主人公の性格から矛盾するようにも思える。ただ、実際に警官の言う通りに従ったのか否かはわからないエンディングであるが。
<印象に残ったセリフ>
ー裁判に負けた後、おばさんが兄にかけた言葉ー
「世の中にはイヤな仕事をしなきゃならない人がいるの、お父様がそうよ」
ーラストシーン、娘が父に言ったセリフ(子供たちを救った男を逮捕する必要ある?という意味、原題の真意がわかる)ー
「無害なツグミを撃つことと同じこととでしょ?」
米国人の暗い生真面目さ。
ビターな事柄にもやたら騒がず、静かに怒りそれを共有すべき良心とするメンタリテイが、米国人にあるとは意外。 マスコミの垂れ流すやたらデモしてウーピー先頭にゴスペル歌うイメージは損だな。 米国人の暗い生真面目さを知る貴重な資料。
素直で鋭い子供の視点
1930年代、隣人同士が助け合う古きよき時代の、なにも発達していないからこそ豊かで恐ろしい日常の物語。差別や誹謗中傷も当たり前のように存在して、子供の視点から素直に、時に鋭く向き合っていくのが面白い。スカウト可愛すぎ。パパダンディーすぎ。ブーいいやつすぎ。
考えの違いから生じる相克
Blu-rayで2回目の鑑賞(吹替)。
原作は未読です。
家族のドラマであり、法廷ドラマでもあった本作。フィンチの娘スカウトの回想の形を取った物語は、どこか懐かしさを覚えるノスタルジックな描写と、少年少女の目線から見た大人社会の描写が絡み合って、ほろ苦さを感じました。
中盤から黒人青年の裁判が始まり、重い展開が続く。法廷で青年の無実を訴えるフィンチの演説に涙が溢れました。
しかし、個の想いが大勢の考えを覆すまでには時代の雰囲気が成熟しておらず、裁判は悲しい結末を迎えることに…
退廷するフィンチを見送る人々の多くは黒人。裁判に破れたものの、差別に真っ向から対立し、青年の尊厳のために戦ったフィンチへの敬意が、その視線から滲み出ていました。
その背中は、子供たちの目に誇らしく映ったことでしょう。視線に気づかず行くフィンチの姿にも、称賛のためでは無く、信念に従って戦っただけであると云う真の強さがありました。
いつの時代も、信念を貫くことの難しさは変わらない。個と大勢の違いから生じる相克ほど厄介なものは無く、従来通りの考えに縛られた人々からすれば、それに反する者は異質な存在でしかないわけで、戸惑いながら排除し、否定したくなる。
フィンチ弁護士たちも理不尽な目に合いました。それでも信念を曲げない父親の姿を通して成長した子供たち。真実だけが人を幸せにするわけではないけれど、どんなことがあろうと捨ててはいけないものがある。尊い勇気に感動しました。
※修正(2023/08/24)
渋すぎる
一言「これは見ておいて損はしない」。 ◎よかった点◎ ・グレゴリーペックの裁判物と思って見始めたら。 半分以上は子供目線の話だったのが、意外性あり。 ・その裁判物としても、斬新な展開があり。 黒人が裁判を傍聴しようとしても2階だけ。 「弁護うまいよな」と思った裁判結果も、1930年代という世相を写していて。 ちょっとビックリ。そうきたか。 ・なぜ子供目線だったのだろう?。 それはどんな時代であれ、子供はやんちゃだし、父親は子を愛する。 悲しい時代を語るためには、その目線が必要だったのかも。 △いまいちな点△ ・130分ちょっとの尺、もうちょっと考えれば100分くらいにコンパクトにできたかな。 若干だらっとした感はあり。 ⭐️今日のマーカーワード⭐️ (なぜ黒人を弁護するの?の娘の問いに)「弁護しなくては、心に誇りが持てないからさ」by父。
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