暗殺の森のレビュー・感想・評価
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映像と雰囲気は洒落ている
時折、意表をつく映像がパッと入ってきてその点は洒落ていていいと思った。 しかし ストーリーがあまりにも退屈すぎる。 退屈な ストーリーを演出するのが この映画の持ち味でいいところだとも思うが。主人公が自分を見失っているというか 自分の 迷子になってるという雰囲気にイタリア語のイントネーションがとても合ってると思うし。しかし、これだけ 退屈だとさすがにモたない。 ストーリーが程よく退屈ならばよかったのである。ある意味 さじ加減の非常に難しい演出法であり、 そのさじ加減を監督は間違えたと思った。もうちょっとだけ面白いところを狙って欲しかった。
【弱冠29歳のベルナルド・ベルトルッチ監督がファシズムに翻弄される性的トラウマに悩まされる青年の生き方をシニカル極まりない美しき映像で描き出した作品。】
■大学の哲学講師・マルチェロ・クレリチ(ジャン=ルイ・トランティニャン)は、13歳の時に彼を犯そうとした同性愛の男リーノを衝動的に射殺してしまう。
以来、罪の意識を抱えるマルチェロは熱狂的なファシストになっていった。
ある日、マルチェロはイタリアのファシスト政府から、学生時代の恩師でパリに亡命中のルカ・クオドリ教授の調査を命じられる。
◆感想
・人は如何なるきっかけで、ファシストになるのかを描いた作品である。マルチェロ・クレリチは、確たる政治思想無しに、性的トラウマを克服するための手段として、ムッソリーニの思想に同調していく。
・今作が恐ろしいのは、人がファシストになる切っ掛けのハードルの低さであり、自覚の低さが見事に描かれている点である。
ー ベルナルド・ベルトルッチ監督は。その点を痛烈に批判している。
シニカルな要素を持って・・・。-
■”体制順応主義者”になったマルチェロは、恩師ルカ・クオドリ教授夫婦の森の中の暗殺に協力するが、彼の視界の中で行われるスローモーションで描かれるルカ・クオドリ教授夫婦の暗殺シーンは、彼にとっては自身の崩壊を告げるようである。
<そして、マルチェロがファシズムに奔った理由となったリーノとの再会シーン。実にシニカルである。
今作は、ファシズムの愚かしさをシニカルな視点で描き上げた壮大な抒情詩なのである。>
これが名作なのかと疑う。私の正直な感想。
私の理解力が足りないのだろう。この映画の良さが分からない。名のみ知っていて中身は知らなかった。もう50年も前の映画だ。私が高校に入学した頃に公開された映画で、当時のドミニク・サンダの美貌だけが注目された映画だった記憶がある。
原作はイタリアの作家モラビアで、最近光文社古典新訳文庫で翻訳された。「暗殺の森」の原作と知っていたので、本屋で手に取ったら、大部で読む気をなくした。まさか午前十時の映画祭で上映されるとは思ってもみなかった。
レビューをみると高評価が並んでいるし、一度は観ておくべき映画と思い鑑賞したが、結果はタイトルの通りである。
全体主義が勃興し始めた頃のイタリア(ドイツ、スペイン、日本も同様)で、主人公の精神の彷徨を描く物語のように思う。私の理解力が不足しているので、これ以上語ることは出来ない。
同性愛やデカダンス、退廃美を描くのならば、同じイタリアのルキノ・ヴィスコンティの「地獄に墜ちた勇者ども」の方が一枚も二枚も上だったし、ファシズムの恐怖や退廃美を味わうことが出来る。こちらを午前十時の映画祭で上映すべきだ。私には一度鑑賞すれば良い映画であった。もしくは原作を読んでいれば違う感想が書けたかもしれない。
今、見ることができてよかった
この映画は自分は見ることはないだろうと勝手に思っていたが見てよかった。すごく面白かった!映画(構成、照明、映像、衣装、配役)としてもちろん、そしてメッセージが重くて大きかった。
「普通」ってよくつかう言葉でこの映画でもnormale, Normalita`が主人公の口から何度も出る。でも「普通」という抽象概念を具現化する事は誰にも出来ない。その代わりに勝手に人間は思い込む:隣の人、他の人、大勢の人達がやってることに倣えばいいんだ、みんなと同じことしていればいいんだ、それが多分「普通」なんだ。その「普通」ができれば安心だし目だたない。なんだかすごく日本的!めんどうくさい、疲れる、だから思考停止、だからみんなと一緒で付和雷同。それが脳みそにとっても一番楽で心地よい。でもそれが駄目なことは歴史が教えてくれている。大変でもまずは、個人個人が自分の頭と心を使って考えることだ。誰かに何かに安易に頼ってはいけない。個人は素晴らしい、それが大衆になるとおかしくなる。
自分自分に捕らわれて「普通」になるためだけにファシストになって、愛し尊敬していた人を殺すことも助けることも何もできない体制順応者、マルチェッロ!「女性」の柔軟さと賢さと自由を、体制順応者になりやすい「男性」に身に付けて欲しい。
おまけ
マルチェッロの見張り役マガニエッロを演じていたのはガストーネ・モスキン❗️「ゴッド・ファーザーPart Ⅱ」で若きヴィトー(デニーロ)に殺される、白スーツのドン・ファヌッチを演じ、お色気コメディ「黄金の7人」や「続・黄金の7人 レインボー作戦」でも大活躍してました。再会できて嬉しかった!
ベルトリッチの濃厚な悪夢的な映像、行ったり来たりする物語にクラクラ...
ベルトリッチの濃厚な悪夢的な映像、行ったり来たりする物語にクラクラした。
盲目の人々やファシズムと反ファシズム、強者と弱者の立場が時代の変化で変わっていく。
午前10時の映画祭で鑑賞
それは善悪ではない
いやあ、すごいものを見た。個人の負った傷を修復しようとすることが、国家や思想・理念への同一化とそこからの決別に繫がるさまが、美しく描かれている。/個人の過ちに正当性を与えるのは誰なのか、権威に対する告発と、あまりにも脆弱な個という存在を描く。/きっと愛を探しに行くのね(私ではだめなのね)。
至福の美をご馳走様です
有難う御座います
上質なワインの香穂り🍷
(え?葡萄ジュースとの違い?あー俺もよく知らんけどワインは飲んだら酔うんじゃなかった?たしか🤔)
言語の響きがいちいち美しい。
神算を舐める。
こんな世の中なら産まれたくなかった。
僕が生まれる10年も前にこんな映像美を作れるなんて何て天才なんだ🎓✨!!
張りつめた美しさの撮り方はゴッドファーザーに1歩近づいているが
1人の人間ですら殺すのが怖い、そういう意味ではゴッドファーザーと対照的だ✋
私はこの世で1番憎んでいる「犠牲」という存在にさえ首をしめて殺す勇気がないだろう、今は。しかし環境が変われば俺は人を殺める事が出来るのだろうか?それが分からない、その事が怖い。
ザ・ピーナッツみたいな
エンドタイトルの歌詞で、ふわふわしっ放しの主人公がテーマなんだと再認識させられた。この辺りは「福田村事件」のARATAや村長に通じる?
画的に美しい、それも絵画的な印象を受ける。ダンスシーンの二人の美しさにも萌えるけど、やはり森でのシーン。あまり血が流れない所が寒々しい。
眠気に耐えた後、最後に見せられた町山解説、ぶち壊し。せめてもう少し短く!!
これぞプロ‼️というのを見せつけられるのはけっこう楽しい
町山智浩さんの解説付き、午前十時の映画祭にて鑑賞。
これぞ映画評論家‼️
という見事な着眼点と根拠となる具体的なシーンの説明に大納得。
上映前編と後編があるので、二度三度と楽しめます。
映画自体は、1970年の作品ということで、最近の映画を見慣れた目には、微妙にテンポが合わず、乗り切れないところもありましたが、町山さんの解説込みで振り返ると、ふむふむとうなづけるし、演出上の工夫もへーそうなんだ、となります。
あと、〝普通になりたい男〟というひとつのテーマが、50年以上経た今でも普遍性を失っていないことを、あらためて認識。
『正欲』もアプローチの仕方や主要テーマの押し出し方には違いがあるけれども、かなり共通する部分があります。
ヒューマンドラマの多くは、普通ってなに?から派生して、総論各論をアレコレ取り上げてる。
50年後も100年後もそういうことの繰り返しで映画が作られているのだと思います。
AI支配が進んで、人間の悩みなんてどうでもいい、なんて時代になってないことを祈ってます。
クリストファー・ノーラン監督の新作『オッペンハイマー』への影響にも触れており、この先の楽しみも増えました。
倒錯とファシズムの迷宮
ミステリアスな邦題に惹かれながら長い間未見だった作品ですが、内容もミステリアス過ぎてよく分からないと言うのが正直なところでした。映画では時代背景などの説明が全くないので、予備知識なく観るとなかなかつらいです。イタリアの秘密警察の青年が、反ファシズムの教授を暗殺にパリまで来たけど、なんとなく踏ん切りがつかないまま、クライマックスの暗殺の森へとつながるお話しだけど、ものすごくテンポが悪いし、主人公の心境の変化がわかりにくいので、寝落ちしそうになります。とは言え、ヴィットリオ・ストラーロの映像は雰囲気があり、ストーリーを追うより映画が描く時代や風俗の映像を楽しむ方にシフトすると、妙に納得できてしまうから不思議です。ドミニク・サンダとステファニア・サンドレッリのダンスシーンは、艶かしくスキャンダラスなムードで全篇中の白眉だし、冬のパリの青みがかった風景の中に佇むジャン=ルイ・トランティニャンの立ち姿も渋いです。役者三人とも、みなさん雰囲気があって魅力的でした。
アンナは美しかった
午前十時の映画祭13にて。
1938年のイタリアで、哲学講師のマルチェロは、友人イタロの仲介でファシスト組織の一員となった。13才の時に同性愛者のリーノに襲われたマルチェロは、その時リーノを射殺し、トラウマとなっていて、世間の波に乗ってファシズムを受け入れ、組織の一員となったのだった。マルチェロは、大学時代の恩師であり反ファシズム運動の支柱のクアドリ教授の身辺調査を任された。新妻ジュリアを伴い、新婚旅行と称してパリへ行き、クアドリ教授に迎えられたマルチェロは、美しい若妻アンナに魅了された。アンナはマルチェロが夫の身辺を嗅ぎまわっていることを警戒しながら、彼を誘惑してきた。間もなく組織の指示は、クアドリの暗殺へと変わり、マルチェロの監視役としてマンガニエーロという男が、張り付くようになった。マルチェロは恩師のクワドリを暗殺するのか?、アンナは?、てな話。
13才の自分が殺したと思っていたリーノが生きていて、自分がファシズムに傾倒した理由は勘違いで、ムッソリーニ政権も倒れ、これまでの人生、何だったんだ、と落胆したのはわかる。
しかし、あのラストはよくわからない。
アンナを愛していたのかどうか、助けを求められたのに知らんぷりはどうなのか?わからない。
当時のイタリア・ファシズムが何なのか、よくわからない自分の知識不足か理解力不足なのだろうが、この作品を面白いとは思えなかった。
アンナ役のドミニク・サンダとジュリア役のステファノ・サンドレッリはどちらも美しかったが。
難しい。
生きのこるための戦い
実に饒舌な映画である。セリフと音楽が終始流れ続ける。時系列が入り乱れ、場所もパリとローマが交互に現れるが、登場人物の過去や立場が、本人たちの言葉や挿入されるシーンでことごとく説明される。外ツラは難解だけど実はとても分かりやすい。
テーマとしては結局は政治体制と個人の間の矛盾、葛藤ということになるのだろうか。原作のモラヴィアはそのような趣旨で小説を書き続けた人だし(もっと冷笑的だが)ベルトリッチに多大な影響を与えたといわれるゴダールもそうだった(もっとエゴイスティックだが)
てもファシズムについてはどうだろうか。確かにベルトリッチがファシズムを激しく否定していることは映画を観れば分かる。でもこの映画におけるファシズム批判は官僚主義や形式主義批判としか成立っていない。それでは共産主義体制でも民主主義体制でも一緒でしょと思ってしまう。私の知識、認識ではムッソリーニのファシズムは典型的なポピュリズムである。これに反対してパリに移住した教授は良く言えば反・反知性主義の人で悪く言えばスノビッシュなロマンチストに過ぎないと言えるかもしれない。ベルトリッチは無邪気な人で映画の中ではインターナショナルが歌われるところがあって1970年の映画ではそれはないよなと感じてしまった。
いずれにせよこの映画は、体制と愛情の板挟みになった暗殺者(というほど大したことはないか)が生き抜くための戦いを描いたものです。
映画の中のトリヴィアについては午前十時の映画祭で本作を観た人へは町山智浩氏が解説で殆どしゃべっています。追加で一つだけ。ジャン=ルイ・トランティニヤンのスタイルですがあれはメルヴィルの「サムライ」からのいただきでしょうね。
最後にその町山さんの解説ですが「ミツバチのささやき」のレビューでも書いた通り、いささか喋りすぎの上に、自分の政治的信条に話をもって行き過ぎです。例えばファシズモとナチズムと天皇主義を同列に扱うのはあまりにも乱暴だと思います。ご本人の考えは変わらないでしょうからTOHOシネマは今後の解説の継続は一考願いたい。
ファシストが普通であった時代
本来超絶美しい映像なのだろうが、自分の見たのはVHS録画の吹替えカット版。だがノイズまじりの赤茶けた画面も悪くなく感じた。
ベルトルッチのテーマ「政治と性」が混沌と詰め込まれた内容。(監督はこのテーマで撮り続けた人なのだ)
ファシズムと屈折したセクシャリズム。イタリアのダークサイドを覗いた気分。
役者はみな美しくそこを楽しむ方法もある。しかし内容は重く、そんな気に自分はなれなかった。
やはり森のシーンが白眉。画面からヒリヒリする痛みが伝わってきた。
教授の夫人役ドミニク・サンダの優雅な美しさと妻のサンドレッリのコ...
教授の夫人役ドミニク・サンダの優雅な美しさと妻のサンドレッリのコケティッシュな雰囲気。昔から憧れだった夫人に冷たくされるものの肉体関係を結んでしまうマルチェロ。しかも、バレエ教室のクラスの5分間の休憩中だ。
結局女の競演を描くのが上手いベルトリッチ。夕陽と暗闇を対照的に取り入れている。男の世界は雪がバックであることが多く、精神病院に入ってる父に会うときなどは白さを強調する。政治色が強い映画かと思ったけど、暗殺に対する罪の意識や、裏でうごめく女心の葛藤のようなものの方が強い。
結局、教授夫妻を殺すことになったが、マルチェロは黙って見ていただけ。数年後娘もできて三人でファシスト崩壊のラジオニュースを聞く。さらに13歳のときに誤って殺してしまったと思っていた男も・・・
ラストの狂気じみた行動、人生を嘆いているような振り向きざまの表情がいい。途中、眠くなるような展開がもったいないです。
逃げ続ける…
主人公マルチェロは最後まで「普通になりたいため」にファシストになり、ファシスト敗北に際してはその逆をと逃げ続けるわけだが、この感覚って日本にいるとよくわかるのではないだろうか。事大主義でみんな一緒が大好きで…。
さて彼にとってそれはファシストでなくてもよかったのだろう。ファシストないしファシズムは普通になるための一方法だったに過ぎず、その思想も行動もどうでも良いのである。しかも何も自分で処断できていない。ただ見ていただけと言うダメ人間っぷり。しかしながらこんなマルチェロのダメ人間さ、弱さーを責められないだろう。
センスだらけの映画
本当の意味でお洒落な作品。
衣装も最先端で現代との差も無くファッション雑誌の見本みたいな映像群。
だがぁ気軽に鑑賞出来る映画では無いし運良く映画館で観れたからこそなので家だったら落ちていたかも..zzz..しれない静かな作品だが全体的に緊張感が途切れないで進んで行く。
ストーリーどうこうより映像美を堪能してナンボなベルトルッチ体験でした。
桜井薬局セントラルホールにて鑑賞。
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