「退廃さの前を泳ぐ」甘い生活 abokado0329さんの映画レビュー(感想・評価)
退廃さの前を泳ぐ
フェデリコ・フェリーニ監督作品。
ローマの上流社会の退廃さとそこで目的を失った人々が巧みに描かれている。
作家志望でゴシップ記者のマルチェロと婚約者のエンマの愛の行方が物語の筋としてはありながら、彼のパーティーでの出来事がたらたらと展開されていく。シークエンスの繋がりは希薄だが、その希薄さが目的もなくパーティーを転々とする上流階級の心情を表しているよう。
185分という比較的長尺な作品のため、私自身もたらたら観ていたのだが、ラストシーンでこの作品の凄さに気づかされた。
ラストシーンでマルチェロは波打ち際に打ち上げられた謎の魚の死体を目撃する。それは彼自身ではないか。目的もなく、網に引っかかり特に何もすることなく死んでしまった魚は、まさに今の彼の生き方と同じである。
その後彼は、浜辺で出会った美しい少女ヴァレリアと再会する。彼女はしきりに彼に何かを訴えている。だが波の音で声は打ち消され、マルチェロの耳には届かない。これは冒頭のシーンと重なる。
冒頭のシーンでは、マルチェロがヘリコプターでキリストの像を運んでいる。その時彼は、地上の女と会うのだが、彼の声はプロペラ音でかき消され、地上の女には届かない。彼はヘリに乗れるほどの優美さの中でまさに神のように振舞っている。だから彼の声は地上に届かない。
そんな地に足のつかない甘い生活を送り、その退廃さを魚の死体をみて気づいても時すでに遅し。もう彼には同じ地に立っている人の声さえも聴くことができなくなっているのだ。ヴァレリアは美しい。その背後に広がる海も美しい。だがその美しさを彼は受け止めることができない。あまりにも悲劇的である。
死体となって打ち上げられる前に、海を雄大に泳ぐ魚に私はなりたい。