「演技をさせない演出」あの子を探して よしたださんの映画レビュー(感想・評価)
演技をさせない演出
プロの役者ではなく、実際に山村に暮らす子供たちを使っている。特に主人公ミンジのふてぶてしさ、粘り強さは演じて出せるものなどではなく、本人の地であろう。
そして、バスの料金をねん出するためにどれくらいの労働が必要かを生徒に計算させるあたりから顔つきが変わってくる。これも演技というよりは、実際に問題解決を迫られた少女の顔であろう。
TV局のスタジオで、カメラに向かって涙を流すシーンも演技によるものではないことが分かる。それは、キャスターからの質問に終始無言であることを受けているのだ。つまり、映画中のミンジも、現実世界のミンジも、ともに番組収録という状況を理解しておらず、自分に投げかけられる問いの意味もよく分からない。
そのような中で、彼女にとって初めての具体的な言葉が、カメラの向こうに探している男の子がいると思って声を掛けて、というものだった。やっと自分にとって理解の可能なやり取りが始まったという安堵感。これと、慣れない都会の雑踏の中で繰り返された撮影からいつ解放されるのか、早く家へ帰りたいと思う郷愁が、あの涙になったのではなかろうか。
自分の置かれた状況の全体像が見えない中で、目の前の問題に必死に取り組む。そうしているうちに別の感情や、異なる視座を獲得していくこの少女を観て、観客は人生そのものを見せられているような気になる。
この作品において、チャン・イーモウは役者に演技をさせていない。演ずるのではなく、物語そのものを生きる登場人物たちを捉えている。ドキュメンタリーの雰囲気を色濃く漂わせながら、周到なカメラワークに支えられた映画となっている。
色チョークで、小さな子供たちが黒板に字を書くラストシーンの美しいこと。「魏老師」の文字がこの物語の帰結を示している。