悪魔のいけにえのレビュー・感想・評価
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(ドゥ~ン)…ポカーン(°д°)
衝撃ですよ…中学生の頃なんの気なしに実家にあった古いビデオを再生したら、この作品が入ってました。
知ってる人ならわかるでしょう…トラウマにならないわけがありません。
最初は、なんか車に乗せてもらった人おかしいな、ぐらいにしか思ってなかったんです。(それでも手を切るシーンはめっちゃ怖かった)
そして…若者の前になんの前触れもなく唐突に現れるレザーフェイス。
いきなり鉢合わせた若者をハンマーで殺害。若者を部屋へ引きずりこんだあと、鋼鉄製のドアをまるで視聴者に「見んなオラァ!!」とでもいうかの如く荒々しく閉める。
この間約数秒。
これであっけにとられないやつなんていないでしょう。
だって見えてるもん全身。隠す気ゼロだもん。
ここで、なるほどーこの映画頭がおかしいんだなっ♪って気づきました。
変態家族の食卓とか、妙に美しいラストとか、良くも悪くも印象に残ってしまい、かれこれ数十回は観ています。
そして大人になって、演出の巧さに気づきました。
危険な意味で、生涯のベスト5に入ってしまっている映画です。
感情移入できないまま目撃する恐怖
基本的に、例えばスクリームのような笑えるホラースプラッターならよいのだが、血がドバーざっくり切れて内臓コンニチハまさかり刺さった金太郎映画はどうにも苦手である。(ゆえにリアル手術場面を追求した「海と毒薬」は未見)産毛の生えた生白い腕にいきなりつきたてられる鈍く冷たく光る剃刀。ゆっくりとそれは引かれ、じくじくと肉にめり込み、産毛は鳥肌をたてて立ち上がり、切り開かれた黄色い肉が見えた瞬間入れ替わるようにひとすじの赤い流れがやがて奔流となり吹き上げ周囲どころかこちらの目まで朱に染まる!のぶぇ!とまあ、そういうわけでその手のジャンルの金字塔たる「悪魔のいけにえ」はたぶん一生見ることはないだろうと覚悟を決めていた。だがよんどころない事情で見る羽目に。而してその結果は大変上質なホラー映画でございました。ま、当然だけど。
確かに話の筋や組み立て方すくいようのない切れ味抜群のラストまでを構図的に美しいカットでたたみかけるようにもって行く。見ながら「あーここのカットをTシャツにしたらいいなあ」という感想をぼんやり抱いていたのだが(例:スーツ姿のレザーフェイスがチェーンソーを振り上げるラストシーンとか)ホラースプラッターの元祖だからこそ残虐な映像はかえって少ない。今のほうがずっとずっとえげつない映像を作り上げているのだが、生理的な嫌悪を呼ぶ怖さ、心臓をつかんでひねり潰されるような緊張感をこれほどたたえた映画を私は見たことがなかった。当然いわゆる「お約束」的シーンも(今日的な視点からすれば)存在する。だが、その「お約束」をそうと認識させない、ひねくれてネタにしようと待ち構えるこちらへ問答無用にチェーンソーを突き立ててくるレザーフェイスにやられまくりでした。暗い中捜索しているシーンがあれば当然レザーフェイスが襲い掛かってくるだろうというのは予測できてしまうのだが、それをあえて「ずらして」くるので、ここかよオイ!と観客は肝や腹や掌や背筋を冷やすのです。またいわゆる「花鳥風月カット」(ストーリー上なんの脈絡もなく唐突に映し出される月や豊かな自然の風景、夜の街といったアレ)が箸休め的に挿入されるのだがそれがこちら側が恐怖に耐性ができる頃を見計らって入れられるのだから始末が悪い。通常花鳥風月カットでひとやすみひとやすみ(一休さん)となるのだが、逆にそれがあるからこそ怖いという恐るべき結果となっている。なんということだ。あまりの怖さに監督トビー・フーバーへの怒りもわいてくるほどだ。ふざけんなバーカ怖さのあまり死にそうになったじゃございませんか。
また突然現れる登場人物たち(それは被害者となる若者グループも同様である)は「なぜ彼らがその行動を取るのか」をまったく説明しない。被害者達は一体どこへ行くつもりだったのか。フランクリンはなぜ歩けないのか。彼らの関係性はなんなのか。(フランクリンとサリーは姉弟であることがかろうじてわかるが、その他三人との関係がわからない)存在として「怖い」のは実は彼らの方である。描きこまれない主人公たちの希薄なリアリティとは対照的に、レザーフェイス一家の存在感と実在感に圧倒される。どこへ、何をしに行くのか。それは現実の私たちと同じように、「彼ら」もまたわからないのだろう。ここで確実に理解しているのはプリミティブな欲求のままに行動する「彼岸」を越えた原始の人「レザーフェイス」らだけなのだ。奇妙に盗作した状況下の中、いつの間にか主人公達の不安と恐怖よりも、「レザーフェイス」たちの原始的な「力」への憧れにも似た衝動が湧き上がってくる。それはワンカットワンカット、美しい構図で描かれている事も関係してくる。展開されている出来事は酷く、酸鼻を極めるとしか言いようのないものなのだが、「嫌悪」の一点で拒否できない魔力があるのは、認めるべき事実であった。
殺人本好きの観点から言えば(よくいわれていることだけれども)レザーフェイスの室内調度品がいい。エド・ゲインネタをよくぞここまで再現したなとヘンな風に感心する。ひとつひとつの「モノ」は雑でよく見ると変なんだが、その手作り感が妙なリアリティを生んでいるのも確かだ。CG全盛期の今、これほどの恐怖体験を練り上げられるかといえば否である。
それにしても、三十を過ぎ、地獄も天国も自分なりに見てきた上でこの映画にぶちあたったのは幸運といえる。もし 10代はじめでこの映画を見ていたら、吐くどころか、トラウマのあまり以後映画を見ることはできなかったか、下手するとこの手の映画しか受け付けない体になってしまったか、どちらかだろう。これを「真実の物語」と題された「リアルドキュメント」モノという「一ジャンル」であると考えて「見れる」から衝撃が驚嘆へと変えられるのだと思う。この映画をこのように「外側」ではなく「内側」で見てしまうことが、おそらく一番の恐怖体験だと思う。「お約束だ」なんていってあひゃあひゃ喜んで見られることのシヤワセよ。ぐいぐいと胃の腑を引き絞られる感覚を味わいながら、もっとくれーと被虐感を楽しめるようになったら一人前の変態ですわい。
絵的にどうしようもなく美しいカットとこれ以上ない緊張感に満ちた、残虐で悪趣味な物語。それを芸術とはいえないという人もいるかもしれない。だが映画なんてエログロナンセンスを驀進力にしてここまでの地位を獲得してきたようなものだ。見るものへリビドー全開を要求するような「悪魔のいけにえ」二度と見ないだろうが、でも、三年後にもう一度みたいと思えるような、見終わった後不思議な哀愁を感じる、恐怖と切なさが残る、ジェットコースターというよりは、電波文がいっぱい書かれた廃屋を探検するような、暑さよりも乾き(渇き)を感じる、傑作映画である。
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