愛と哀しみのボレロのレビュー・感想・評価
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81年の初公開時に鑑賞して以来なので、40数年ぶりの鑑賞と相成る。...
81年の初公開時に鑑賞して以来なので、40数年ぶりの鑑賞と相成る。
第二次大戦前のパリ、モスクワ、ベルリン、ニューヨーク。
バレリーナ、オーケストラ指揮者、バイオリン奏者とピアニスト、ジャズの作曲家と歌手の妻。
「あのひと、このひと」、多くのひとびとの人生。
いくつかの物語は、同じように繰り返される。
40年代、60年代、80年代と3つの時代・三世代に渡って・・・
といった物語。
なので、ダイジェスト感はあるが、「さわり」で魅せるとはこういう映画をいうのだなぁ、改めて感じた次第。
また、主要な登場人物は音楽関係者なこともあって、全編をフランシス・レイとミシェル・ルグランの音楽が彩る。
楽曲の指揮はルグランが担当している。
二枚組のサントラLP、初公開当時、頻繁に聴きましたなぁ。
さて、初公開時に観た十代の感想が残っているので、以下、引用。
=====
原題の意味は「あのひと、このひと」、そんな映画である。
いろんなひとのいろんな人生をみせてくれる。
劇的なのもあれば、平凡なのもある。
映画は劇的な四つの人生が中心となっているが、これら四つよりも良いのが、平凡な兄弟の話。
ふたりはいつも喧嘩ばかりしているが、それは戦場でも変わらず。
もうすぐ帰れそうだと手紙に書いたものの、戦死。
兄弟の両親はその報せを知るのは、ジェームズ・カーンの帰還パーティを向かいから見る中でのこと。
それだけの話。
しかし、だからこそ良いのだ。
映画は長すぎた。長いのだ。
いろんなひとを描き過ぎ、それがかえって奥行を少なくし、映画を平板にしてしまった。
それにしても音楽は素晴らしい。
ラストの「ラヴェルのボレロ」も素晴らしい。
=====十代の頃に観た感想=====
まぁおおよその感想はそれほど変わらないのだが、歳を経ての分析では、
60年代までは物語も厚みがあって興味深い。
が、80年代に入ってからはアルジェ戦争帰還兵たちの20年後の物語が中心となり、内容が薄く退屈。
初公開当時頻出したベトナム帰還兵物をかなり観たので、それらと比べても薄い感じがします。
その薄さから、最終的に、ユニセフ・赤十字主催のチャリティのボレロに集約されるが、物語的なカタルシスは乏しい。
まぁ、原題が「あのひと、このひと」といった意味なので、物語的結末は不要なのだが。
多くの俳優が二役をこなしているのだが、ジョルジュ・ドンも二役演じていたことに気づいて、これには驚いた。
(冒頭のロシア人バレエ団のセルゲイで、終盤、圧巻のダンスを披露する息子の二役)
もう一つ驚かされたのは、長回し演出。
特に、次のふたつ。
1)大戦後、収容所から帰還するユダヤ人女性バイオリン奏者と、ドイツへ更迭される指揮者が交叉する(実際には交叉しないが)駅ホームと跨線橋のシーン
2)80年代に、その女性バイオリン奏者と息子が再会する施設庭のシーン
いずれもカメラワークに驚かされる。
特に後者は、巻頭のボレロが流れるのだが、巻頭でジョルジュ・ドンの該当箇所の舞踏はみせているので、繰り返しにならないようという作劇を採っている。
ただし、音楽はこのままクライマックスへ続くのでじっくり聴かせようという意図で、この母息子再会シーンに台詞はない。
うまい、と唸る。
十代の頃に印象に残った喧嘩兄弟のエピソード、今回も泣かされた。
ふたりの戦死の報は、陰と陽の対比、台詞なし、窓の外から覗きこむカメラワークと、ここも名シーンです。
傑作というよりも、名作と呼ぶに相応しい映画でした。
わからんかった
正直よくわかんなかった。
たくさんの登場人物の顔や名前を覚えきれないし、状況的に時代や場所を理解しなければならなかったりで…。
(逆に、今の映画がいかに分かりやすく、親切になっているか、実感できる)
最後に関係者みんな集合して感動のフィナーレって感じなのだろうけど、もし話が理解できていたとしても、あまり感動できなかったんではないかかと思う。
歴史、音楽、バレエなどに造詣が深い人が観たらまた違ったんだろう。
ぼくはいずれもよくわからないので…。
改めて名作と感じました
「午前10時の映画祭」で久しぶりに鑑賞しました。以前観たのは25歳くらいの時だったのですが、スクリーンで観るのは今回が初めてなので、感激でした。
特にジュルジュ•ドンがオペラ座で踊るシーン(キービジュアルのシーン)は美しく、シビれました。亡命のため、飛行機の搭乗口でゲートを飛び越える姿も本当に美しいです。
この映画は、今回鑑賞して改めて名作だと感じました。今の中•高校生や大学生にぜひ観てもらいたいな。
戦争というものがどれほど、勝った側(この映画ではフランス、アメリカ、ロシア)にも、負けた側(ドイツ)にも、1人1人の人生に影を落とすか(それも、戦争に関わった世代だけではなく、その子供の世代にまで影を落とす)について考えさせられます。物語は、その影を乗り越えて明るい未来に向かおうとする人たちの姿を描いているので、救いの光がさすエンディングになっています。それでも、やはりこの映画が描く、戦争というものが人間に落とす残酷な影については、真実だと思います(現実は映画よりもっともっと残酷かと思います)
戦争は、その原因が実は自分たち1人1人の心の中にある限り、今のウクライナでの戦いのように、この世から完全に無くすことは出来ないかもしれない。もし自分がウクライナ人だったとしたら、戦うべきか否か、どちらが正解なのか、2つの選択肢の間で揺れてしまい、初めてこの映画を観た時から随分時を経た今の自分でも、迷いしかありません。
この映画は、ただ、人が人と戦うことで、人間の魂が深く傷つき、残酷な形で人生に影を落とすことを教えてくれます。そのことを知っておくことが未来の戦争を防ぐことにつながるのでは、と祈る気持ちを強くしながら、久しぶりの鑑賞をした私でした。
戦争に関する映画は、どうしても「観ておかなければ、知っておかなければ」という気持ちにつき動かされる部分があります。
(それでも「地獄の黙示録」は、耐え難いキツさしか記憶に残っていません。あ、戦争映画ではないけれど、血を血で洗う抗争を描いた「ゴッドファーザー」も自分にはキツいかな。俳優さんの演技がカッコイイ、とかそういう視点で観られないんですよね。なぜだろう?観ていて、苦しすぎるというか。地獄の黙示録もマーロンブランドの名演技が光る作品、と言われますが、もう一度観るとなったら相当覚悟が要りそう、、、否、やはり無理かも。
因みにオッペンハイマーは観る予定であります!)
追加コメント:
この映画は、2世代にわたって描くので、一人二役が多く(一人の役者さんが、親とその子供と両方を演じる)、それも見どころです。
これに関して今回自分の勘違いに気付いたのですが、、。ナチスの収容所に送られたユダヤ人夫婦の夫役は、作品を通して一人一役なのに(一人の役者さんが、その男性の大戦終結までと、戦後 - 特にアルジェリア戦争後 - を演じている)、自分の記憶の中では何故か一人二役をしているように勘違いしていました!ショック!(以前、この勘違いをしたまま、人にこの映画を薦めてしまった気が、、、会った時に訂正して謝らないと、、泣)。言い訳を探すとしたら、この人物が戦後、収容所で生き別れた奥さんと子供のことを思い起こすシーンが全然ないから?、、、いやいや、それでも普通に観ていれば、描かれている人物は一人だと分かるはずなんですが、何故か勘違いしていたみたいで恥ずかしい。映画をきちんと理解し切れないお間抜けな私が、この掲示板に映画の感想を載せるのはいかがかと思いますが、以後、正確に作品を理解するよう、注意しようと思いますっ!(大反省)
42年前のエブエブ なれどボレロ以外は杜撰
午前十時の映画祭13 B にて。
これも観たかどうか、記憶が定かでない作品。
42年前(1981.10.16日本公開)と言えば、自覚的に映画を観始めた頃だが、まだ映画の文法を読み取る力が不足していて、いわゆる自分なりの「みかた」も確立していない。
勢い、きちんと観て、それを自分のなかに飲み下して、記憶の棚に仕舞う、という作業が満足にできなかったせいで、観たのに全く記憶に残らない、という現象がやたら多かったのだと思う。
とにかく本作のタイトル、『愛と哀しみのボレロ』(原題はLes Uns Et Les Autres - お互いに - )は凡庸でありがちな邦題だと思うが間違いなく諳んじられたし、ジョルジュ・ドンが踊る《ボレロ》は鮮明に記憶している。
ただ、バレエ界の哲人ことモーリス・ベジャール(1927-2007)の振付による、この不朽の名作バレエ《ボレロ》は、本作のために作られたのではなく、20年前の1961年の初演。
日本でも、テレビなどでも盛んに取り上げられ、小生も、確か、ジョルジュ・ドン(1947-92)以外に、ジル・ロマン(1960- )、シルヴィ・ギエム(1965- )、首藤康之(1971- )で観ているはずだ(たいていテレビで。どれかを生で観たような気もするが、それも忘れた)。
ジョルジュ・ドン自体は、他の演目でも観ていたし、《ボレロ》に既視感があるのは当たり前なのだが、今日、本作を観て、他のシーンには何も記憶の手がかりがなくて困った。
大まかなプロット込みで、これだけ本作のことを認識しているのだから、たぶん観たのだとは思うのだが‥‥
さて、本作の概要、あらすじ等は、Wikipedia に充分解説されているので、詳細は省略する。
要は、冒頭示されるように、
◇モスクワはボリショイのバレリーナたるタチアナ・イトヴィッチ(リタ・ポールブルード)、
◇パリのキャバレー付きのヴァイオリニストたるアンヌ(ニコール・ガルシア)とピアニストたるシモン(ロベール・オッセン)のマイヤー夫妻、
◇ベルリンを活動拠点とするクラシックピアニストたるカール・クレーマー(ダニエル・オルブリフスキー)、
◇ニューヨークを拠点にジャズバンドを率いるジャック・グレン(ジェームズ・カーン)
の4組を起点とする、1930年代から1981年に至るファミリー大河年代記である。
ヤマ場としては、
◇発端のすぐあとの大戦、
◇それぞれの2代目が台頭する1960年代、
◇そして3台目の時代が幕を開け、プロローグで小出しした、エッフェル塔前で華々しく執り行われる、赤十字&ユニセフ主催のチャリティー・コンサート=ドンが踊る《ボレロ》のステージに4組の子孫たちが結集してクライマックスとなる、
といった運びである。
ラストのクライマックスまでは、4組の家族は、多少のニアミスはあっても深くは関係せず、それぞれ並行的に物語が進展する。
Wikipedia によれば、シナリオ技法的に言う「より縄形式」の代表例であるらしい。
まぁ、最近の例になぞらえるならば、ある種のマルチバース、42年前のエブエブだと見立てられなくもない。
でも、観ると、全然上手くないんだよなぁ。
何だか、最初、ナレーター(ルルーシュ監督本人?)が、
「今から始まりまするは全て実在の人物にて、演じまするは誰々‥」
みたいな前口上があって、エピローグでも、出演者のカーテンコールみたいなのがあって‥‥
まぁ演劇になぞらえてるんでしょうが、メタ的な作りを装おうとしてるけど、特段、効果的だったとは思えんし。
今回再見(?)しようと思ったのは、カラヤンが出てるって情報をどっかで見たからで。
で、カラヤン、いつ出て来るかと思いきや、全然出て来ないし(笑)。
要は、実在の人物云々は、芝居の中のセリフで、それ自体はフィクションだった、ってことで。
それに、2代目ないし3代目を同一俳優が演じたりするので、なおさらエブエブ感を増しているのだけれど、カラヤンがモデルという(ピアニスト転向)指揮者のカール・クレーマーはずっと同一人物だとか、統一感がなくて、観ていて混乱するばかりでしたな。
ヒトラーによるユダヤ人虐殺がドラマ全体のトラウマとして作用している構造なんだけど、被害者側(アンヌ、シモン→ロベール)の話も上手いとは言えないし、ヒトラーへの加担を問題視されるカールの件も中途半端だし、ね。
大戦を扱った大河ドラマとしては、ダメダメじゃないかな。
それに呆れたのが、カラヤンをモデルにしたカールの指揮ぶりが無茶苦茶。
ちょっと酷すぎ。
今期のTBSドラマ『さよならマエストロ』の西島秀俊の方が百倍まし。
ネトフリ映画でバーンスタインの指揮を再現した『マエストロ』(2024.2.11映画.com パングロス初投稿)のクーパーの爪の垢でも煎じて飲んで欲しい、って心底思いました。
で、ダメだ、こりゃ、
で、2.3 点
ってなところですが、フィナーレのドンの《ボレロ》は流石に神の領域で、こればっかしは本物で、感動の震えを禁じ得なかったという‥‥
で、+ 0.3 の加点にて、2.6 点とします。
あっ、ミッシェル・ルグランの音楽と、それに載せた何やようわからんコンテンポラリー群舞(最初、防護服で除染みたいなことしてるヤツ)も悪くなかったですよ。
でも、その分は基礎点のうち、ってことで。
*Filmarks投稿を一部省略して投稿
数十年におよぶ人々の営みを描いた群像劇。 戦争で命を落とす者、生き...
数十年におよぶ人々の営みを描いた群像劇。
戦争で命を落とす者、生き残り母国に無事帰還する者。
生きるために必死に生きたが売国奴と罵られ自殺した女。その娘も生きるために苦労するが、もがき苦しんだ末にテレビアナウンサーになり成功者としての人生を歩むことに。
「人生には二つか三つの物語しかない。しかし、それは何度も繰り返されるのだ。その度ごとに初めてのような残酷さで」という言葉が映画の最初にスクリーンに表示される。
亡くなった父が晩年寝たきりになり、その境遇を嘆き悲しんでいた。
高齢の母もケガで入院することになり、先日見舞った際に父と同様に嘆いていた。
人生は残酷で、生きるということは苦しいことと思った。
はたして己の天寿をまっとうするまで、生き続けるためにもがき続けることができるか。
渾身の長編
登場人物も多いし2世代の物語になるので、見直すと新しい発見がある。何十年ぶりかなのだけど、記憶は後半の印象が薄かった。バレエは圧巻だったけど、ジェラルディン・チャップリンの歌声が入っていたんだ。吹き替えなしみたいだけど、よく通っていた。
ダブル・キャストが多いので、油断すると悩み始めてしまう。この映画、あえて主役は作らなかったんだろうな。
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