哀愁
劇場公開日:1949年3月22日
解説
「響け凱歌」で共演した「風と共に去りぬ」のヴィヴィアン・リーと「椿姫(1937)」のロバート・テイラーが顔を合せての主演映画で1941年作品。ロバート・E・シャーワッド作の舞台劇『ウォータルー橋』の2度目の映画化(1度目は「ウォタルウ橋」'31)で「征服」のS・N・ベールマン、「キューリー夫人」のハンス・ラモー及び「心の旅路」のジョージ・フローシェルが協力脚色し「心の旅路」「キューリー夫人」のマーヴィン・ルロイが監督した。撮影は「ガス燈」「心の旅路」のジョゼフ・ルッテンバーグが指揮し、音楽は「育ち行く年」のハーバート・ストサートが作曲している。「剃刀の刃」のルシル・ワトソン、「勝鬨」のヴァージニア・フィールド、「征服」のマリア・オースペンスカヤ、「キューリー夫人」のC・オーブリー・スミス等が共演。
1940年製作/アメリカ
原題または英題:Waterloo Bridge
劇場公開日:1949年3月22日
ストーリー
1940年燈火等制下のロンドン。ローイ・クローニン大佐はフランスへ赴任するのでウォータルー駅へ自動車を駆っている。駅に近くウォータルー橋にさしかかると大佐は車を降りる。橋は第1次大戦当時、爆破されて架橋し直したとはいえ、大佐には懐かしいのであろう。霧に霞むらんかんにもたれつつもの想いにふける。それは1917年、彼は25歳の陸軍大尉であった。スコットランドの旧家クローニン家に生まれ、フランスの戦野へ出征の途上、ロンドンで閑暇を楽しんでいるのだ。折しも空襲のサイレンが鳴り人々はウォータルー駅の避難所へ駆け出す。中の1人の女が何か落とした。大尉は手助けをして彼女と共に避難する。見れば美しい。まだ女学生と見える彼女はマイラと名乗った。オルガ・キローワ・バレー団のダンサーなのだ。ローイは彼女の舞台を見物すると、夜食に誘ったのであるが、厳格なキローワ女史はマイラに行くことを禁じた。しかし彼女は親友のキティの助けでぬけ出して大尉と会った。翌日彼はマイラを訪ねて結婚を申込み、その次の日式を挙げる約束が出来た。ところがその晩彼女は速達便を受取った。出発命令が下ったから直ぐ立つ、会いたい、というのである。マイラは飛出して駅へかけつけたが走り行く車上に立つローイの姿をチラと見ただけであった。劇場に急いでもどると、舞台にあなをあけたというのでキローワ女史はクビを申し渡し、マイラの弁護ををしたキティも諸共クビになった。貯蓄の全部を出した結婚衣装を買ったマイラは、ローイの母に会いに行った。その約束のカフェでマイラは不図見た新聞に、ローイ・クローニン大尉殉死の報を見て卒倒した。それから2ヵ月間マイラは病床にふした。就職口がないためにキティが夜ね女となっていることを、全快して彼女は初めて知って、その友情に泣かされた。そして今やローイ亡きあと何の生甲斐もなくなったマイラは、自らもキティと同じ道に陥った。それから1年、ウォータルー駅でマイラは凱旋して帰ったローイと会った。彼女が待っていてくれたと思って喜んだ彼は、彼女の身の上の変化に気がつかず、彼女をスコットランドの家へ伴った。マイラは愛が絶対である。その他のあらゆる事は関係ないと、自分自身に言い聞かせたが、もしも彼女の1年間の行状が知れれば、ローイの破滅となるに違いないと思い直して、ロンドンへひとり帰ってしまった。ローイはあとを追ったがマイラは身を隠した。マイラは思い出のウォータルー橋の上に、いつか来てしまっていた。何度考えても彼女は愛するローイに幸福を与えることは出来ないとしか思えない。思いつめたマイラは突進して来る軍用トラックの前に身を投げて最期をとげたのであった。
スタッフ・キャスト
- 監督
- マービン・ルロイ
- 脚色
- S・N・ベールマン
- ハンス・ラモウ
- ジョージ・フローシェル
- 原作戯曲
- ロバート・E・シャーウッド
- 製作
- シドニー・フランクリン
- マービン・ルロイ
- 撮影
- ジョセフ・ルッテンバーグ
- 美術
- セドリック・ギボンズ
- 編集
- ジョージ・ベームラー
- 作曲
- ハーバート・ストサート
受賞歴
第13回 アカデミー賞(1941年)
ノミネート
撮影賞(白黒) | ジョセフ・ルッテンバーグ |
---|---|
作曲賞 | ハーバート・ストサート |