かもめ食堂のレビュー・感想・評価
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絶対に訪れることのない「平凡な日常」
気持ちの良い場所に住み、たまに客人が来ると磨き上げられたキッチンウエアで料理を作って振る舞い、日頃のシガラミやモヤモヤをオブラートに包んだように柔らかく語り合う、という絶対にありえないシチュエーションにとても惹かれてしまう。
そんな設定で、奥に秘めた感情を少しだけ感じさせる小林聡美さんが演ずると、「キレイゴト」でしかない空間に映画を観ている間だけでも没入できるから不思議。
ただエンディングが近づいてくると妙に寂しい気持ちになる。ああ、わかった。この映画には経済的な活動とか心配とか、多くの人達の生活において重要な位置を占めているものがすっぽりと抜けているのだ。
だからとても心地よい反面、現実に戻る時にちょっとだけ辛い、そんな映画です。
何かの喪失 心が休息を求めている かもめのように港の何かの止まり木に下りてくる そんな時にみたい映画なのかも知れません
不思議な映画でした
ストーリーなんかあるようなないような
訳のわからない映画でした
だけど好きになりました
良い映画です
人に是非観てと薦めたくなる映画です
なんでフィンランド?
なんでかもめ?
かもめは海と航海のシンボルです
マリンファッションのモチーフに良く使われますね
夏用の男性化粧品にもかもめのマークのものがありました
イギリスではお人好しの騙され易い紳士の事をかもめというそうです
日本でも鴨葱とかいいますね
騙され易い鳥と言う意味が洋の東西を問わず共通するようです
そして、溺れ死んだ水夫の魂が姿を変えたものとも言われるそうです
だからむやみに殺したりすると不吉だとか、家の窓にぶつかると良くない事が起きるとか言い伝えがあるそうです
何かの喪失
心が休息を求めている
かもめのように港の何かの止まり木に下りてくる
そんな時にみたい映画なのかも知れません
フィンランド
日本から8000キロの彼方
カムチャツカくらいの高い緯度だから白夜があります
ムーミンの作者もヘルシンキの生まれだそうです
劇中、ほんの少しムーミンの話題が出ましたよね
北国の人々らしく、ヘルシンキの人達はみな穏やかで口数が少ないおとなしくて、ムーミン谷の人々のようです
何やら最近フィンランドの国名をよくテレビで耳にします
ウクライナの戦争の関連でこの国のことも話題に登るからです
フィンランド化とかいう政治用語があるくらいで、この国とロシアは隣同士であり大変にロシアの動向に影響をうけるのです
心の平静を求めてフィンランドに流れてきて、灯台の窓にぶつかったみたいに食堂にいつく人の物語
そんなのほほんとした映画のはずなのに
観終わって余韻にいつまでも浸っていたいのに
テレビのニュースはそれを許してくれないのです
平和のありがたみ
心の平安を求めています
ロシアから脱出しようと大勢のロシア人が国際特急でヘルシンキに逃れて来たニュースが少し前にあったとおもったら、その特急も停止させられたそうです
ロシアからの空路は既に全て閉ざされていて、もうロシアの人々は脱出するルートが無くなってしまったようです
かもめ食堂
行きたくて行くところじゃないでしょう
気がついたらそこになぜかたどり着いて居ついてしまう
そんな心の平和を取り戻すところです
それなのに戦火はこの国にも及びそうなのです
コロナ禍も戦争も終わらないと行けないし、行っても心は休まるかどうか
のほほんとフラリとヘルシンキに降りたって、歩き回ったら、なぜかかもめ食堂の大きなガラス窓の前にいる
その窓に間抜けなかもめみたいにぶつかって食堂の扉を押して入る
そんな日々が早く戻りますように
そう祈るしかないのです
蛇足
何年か前、神戸の名画座で片桐はいりさんが切符のもぎりをされていたところに出くわしました
結構背の高いとてもチャーミングな方でした
世界観が好き
とにかく雰囲気映画
丁寧に生きることを見つめ直す
人間は変わっていくもの
フィンランドで日本人がお店を出した
名前はかもめ食堂 コービーと日本食をメインにしたお店 その中でもおにぎりがオススメで具はシャケと梅干しとおかかの三種類 美味しそうです
始めた頃はお客が少なくて大丈夫かなとも思ったけど徐々に繁えてお店いっぱいになる
三人のそれぞれのいらっしゃいませが個性があっておもしろい 三人が仲が良くてほのぼのする
小林聡美 もたいまさこのなんとも優しい作品
大人にとっての魔女の宅急便
ひと休みさせてくれる、気持ちのゆとりをくれる作品。
小林聡美演じるサチエが、ヘルシンキに1人で開く食堂、かもめ食堂「ルオカラ ロッキ」に人が集うようになるまでを描いた作品なのだが、作品全体に、
「トゥルヴェットゥロワ(=いらっしゃい)」「キートス(=ありがとう、please)」の受け入れる精神が染み渡っていて、さっぱりと温かい。見ながらもずっと、挨拶が素敵だな、と思っていたが、最後に作中でも、サチエの挨拶に触れている。声がけが常に、はっきりさっぱりとさわやかで、過不足なく丁寧で、心地よい。
料理中の丁寧で無駄のない手捌きも、安心感を与える。
食堂は外から中がうかがえる作りで、フィンランドでお店を出す日本人が信頼して貰うには、明朗な印象を与え名案だなと感じさせる。
最初はいつも素通りされるが徐々に中を気にする人が増えてきて、人の輪も広がっていく。
前にその場所でカフェを出していたオーナー直伝のおまじない、コピルアックと唱えて淹れるコーヒーと、サチエの焼くシナモンロールが最初はフィンランド人が入りたくなる香りを漂わせ人を呼ぶが、徐々にサチエ本人とその味を求めて客が集まり、おにぎりや焼き鮭、唐揚げやとんかつもフィンランド人の馴染みになっていく。
フィンランド人も日本人も、ふらっと立ち寄れる、THE・食堂を当初の希望通りに完成させたサチエの努力と人柄に憧れる。
でもそこには、1人でもやっていかれるようにとずっと頑張ってきたであろうサチエのシャンとしたところに、ミドリとマサコが加わり、温度感のある空気に変わったのも影響していると思う。
行く当てなく来たミドリ、荷物紛失を待ち続けながら来たマサコにとっても、心強い居場所になったに違いない。
惜しみなく気前よく提供するが、深掘りしないサチエの接し方はとても素敵だし、それがフィンランド人にも通じていることが嬉しい。そして、料理だけでなく、フィンランド語をしっかりと身につけているサチエの努力も素晴らしい。
サチエ自身がサチエの人生を語るのは一度だけ。
母を早くに亡くし、家事は私が担当していたが、父が年2回おにぎりを作ってくれた。運動会と遠足。「おにぎりは人に握って貰うのが1番うまい。」それが不恰好で大きいんだけれど美味しくて。と。
飄々としているサチエだが、フィンランドに来るまでに、どれだけの感情を経験してきたか、見る側の想像と涙腺を揺さぶる。日頃は家事をし、運動会や遠足では家族賑やかな行事なはずが母がいなくて。寂しいな、と感じる瞬間に父の握るおにぎりの温かさは沁みて、もう一踏ん張りの元気が出たんだろうな、と。
そして、フィンランドなら鮭好きだしやっていかれるかなと、見知らぬ土地で食堂を開き、思い出のおにぎりをメインメニューに出そうと思うのは、その時の感情をよく覚えていて、今度は人にそうしたい、人に握って貰うおにぎりで一息ついてほっと元気を与えたいと思うからなのかもしれない。
そのサチエはどこから元気を貰うのか、と思うが、ミドリやマサコが帰国する手もあるのに一緒にいる決断をしてくれて、引き留めないまでも、嬉しいことだろう。閉店後はプールや、自宅で合気道の膝行をして心身を整え、自分のことだけでなく他を思いやる面倒見の良いサチエが、弱音を吐かずにあくまで2人の意思を尊重しようとする姿勢は予想内でもあるが、母の死などどうしようもない事実を経験してきたサチエが、人や状況の変化を「受け入れることに慣れている」感じがするのがとても印象的で、だからこそ、食堂にもその受け入れる空気が自然と漂っているのだと気付かされる。
でも、現実的には2人がいないと回らないくらい、食堂が満員で繁盛してくるのがまた嬉しく、そのお陰で、身内のいないミドリとマサコが居所と仕事を見つけられたのもまた嬉しい。
しばらくずっとガラ空きなのに食材だけは常に準備していて赤字は大丈夫かな?とか、出会ってすぐで、そこまで意気投合というわけでもないのに共同生活大丈夫?とか、就労なのか手伝いなのかわからないけれどビザとかどうなっているのだろう?とか、鞄の中がキノコに置き換わるって誰のなんの仕業?ネコ?飼い主登録とかどうなるの?とら現実目線で見ると疑問もよぎるが、作品を通して伝えたい事もそこではないだろうし、気にならない。
魔女の宅急便の、キキの成人後を実写でリアルに描いたらこんな感じかな?と思わせるような主人公サチエの性格。
子どもは魔女の宅急便で自立に思いを馳せるが、大人は、親の介護を終了し、さてこれから自分の人生どうしよう、という気持ちでかもめ食堂を見ながら第二の人生に思いを馳せる人も沢山いると思う。
そういう人々に、理想論や意見を押し付けたりは全くなく、「いらっしゃい」と立ち寄らせて一息つかせてくれるような、素敵な作品。
癒し系映画
なぜフィンランドでレストランを開くのか、初めはその唐突な出だしに面食らったが、観ているうちにだんだんそんなことは気にならなくなり、引き込まれていく。特に大きな事件とかなく淡々と進んでいくが、なぜか癒される映画だった。
何度観ても面白い
おにぎり食べたい
ほのぼのする
かもめ食堂に行きたい…
実は…
小林聡美さんにそっくりだと友だちに言われたことがあります。
だから小林聡美さんが映画に出ていると自分が画の中にいるみたいで特別な気持ちになります。
コロナ禍で旅行にも行けない日々、私は小林聡美さんと一緒に旅に出ようと思いました。
まず第一弾は大好きな映画、かもめ食堂。
フィンランドのヘルシンキです。
人生で一度は行ってみたい国。
心に焦りやストレスを感じるとついついみたくなる映画です。
サチエさんとミドリさんとマサコさんと…なんだか今でもかもめ食堂はそこにあってサーモン料理やおにぎり、それに前の店主直伝の美味しいコーヒーを求めてお客様が溢れてることでしょう。
お腹が空いているといい考えは出てきません。
だから悲しい時や落ち込んだ時には美味しいものを食べる。
そしてパワーを充電する。
日本と違って少しゆったりとした時間が流れるその国に行ける日が来ますように。
心地の良い間 本当に自分に必要なもの
詰め込みすぎていない映画。 私が私でいていいんだと思える映画。
失礼ながら、
小林さんてこんなにきれいだったっけ?一つ一つの表情にハッとさせられる。
片桐さんのなんとかわいらしいこと。愛おしくなる。
そして、もたいさん。一枚、一枚の何気ない風景の映像が、もたいさんが入るだけで、モード誌等を飾るような、芸術作品になる。
この三人の女性が動き、話すだけで笑いを誘い、ほっとした間を作り出す。
主人公・サチエは、凛としたしっかりした人物なんだけれど、どこか間が抜けていて、気持ちよくもおかしい。
ミドリの醸し出す一生懸命やっているんだけれどピントがずれているところがなんともおかしい。三人のうちで一番私に近くて、一番感情移入できるかな。
マサコは一番妖精がかった不思議人。なんの暗喩かとその言動を深読みしたくなる。浮いてしまってもよいのに、あの着こなしの難しそうな服もさらっと着こなし、フィンランドの風景にも溶け込んで、しっかり立ち位置を決めてくれる。
人は一人では生きていけない。
たった一人で食堂をやっていたサチエ。清々しいけれど、ミドリが入ってほっとする。硬かった食堂の雰囲気が柔らかくなる。そこにマサコも入って、更に食堂の雰囲気が豊かになる。迷子のようなミドリやマサコによって、迷子じゃないサチエの生活も、単なる繰り返しではなくなっていく。
でも、お互いを縛りあう関係は疲れる。
この三人は依存しあわない。
お互いを必要とすること・頼ることと、依存は違うということを思い出させてくれる。
ほのぼの、人のつながりを描いているようで、孤独も背後にちらほら見え隠れする。
なのに、その孤独を悲しむのでもなく、絶望するのでもなく、孤独は孤独としてそこにあるけれど、生きていればよいこともあるよと背中を押してくれるような気分になる。
『バグダッド・カフェ』とは、物語の展開も何もかも違うのだけれど、あの映画を観たときのように、心にぽっと灯がともる。
距離感がいいんだな。ほっとする。
映画の進行が急ぎすぎていない。感情の押しつけがない。一波乱ありそうで、なくて、深呼吸ができる間が心地よい。
”人間関係の病”と言われるアルコホリックっぽい人も出てくるが、拍子抜けするほどあっさり描かれ、その後の展開がつっこみながらも笑えて、たまらなくいい。
登場人物の背景がちらっとしか出てこないので、そこは物足りないが、主役3人の女優に、いつの間にか納得させられてしまう。
抜ける青空。港町の風景。シンプルな食器や調理器具や調度類。贅沢なほど広々としたオープンキッチン。…。
音も、調理するときに出る音だけしかないときなど、必要最低限。
断捨離?と言いたくなるほど、シンプルな映画。
それでいて、味覚や臭覚、触覚までもが刺激される。
そんな映画に浸りながら、自分に問いかけたくなる。
「私に本当に必要なものって?」
日常の生き方とか、これからのこととか…。
それにしても、この映画の最大の魅力は、三人の個性の絶妙さだろう。
これだけ強烈な個性を集めたら、お互いがお互いの持ち味を殺してしまうことだってあり得るのに、存在を主張しながらも抑えた演技。噛みあっていそうで、かみ合っていなくて、でもかみ合っている関係性。
この三人に加えて登場するフィンランド人。中には現地で調達した素人エキストラ?と言いたくなるような人もいるが、だからかえって現地感が出ていて、フィンランドに旅行した気分になる。
数々の料理の場面に唾をのみ込んでしまうけれど、おにぎりの場面が最高。マサコが頬張るおにぎり。注視する店の客。いくら珍しい食べ物だって、あんなに注視しないぞと突っ込みながらも、とっても気持ちが暖かくなり、日本のソールフードが誇らしくなる。おにぎりの具には異論があるけれど。
背筋が伸びるようでゆったりとできる映画。でも笑い転げたくなるような毒もあり、贅沢な時間も満喫できるし、決して清貧潔白な映画ではない。
リピター続出というのも納得。私もその一人。
一見すると何ということのない映画。
確かに、ご都合主義な面もある。
物語もあるようでない。「変わらないものはない」というように、変化はしているのだけれど、日常を描いた映画。
でも、こてこての映画に食傷気味になった時に、自然に思い出す映画。
この映画を観ると、丁寧に作った日常のお惣菜、せめておにぎりかお茶碗に盛られた白米と、具沢山のお味噌汁をいただきたくなるとともに、掃除をしたくなる。
磨き上げられたキッチン。ごみ一つ落ちていなさそうな、ほこりも丁寧に拭われているような居心地のよいインテリア。
他の映画だと、「モデルハウス?」と言いたくなるのに、
この家だと、3人が丁寧に掃除して磨き上げているのだろうなと、人の手≒ぬくもりを感じる。
いい話だとは思う。
終わり近く、初めてBGMがながれ、店の奥まで光がさしこむ
端正に食べる小林聡美や もたいまさこが好きだ。
この映画は、落ち込んでいる僕のために友人が奔走して届けてくれた、“お見舞い”のような映画だ。
「さ、何か食べなよ」と、消化の良い温かな和食を君は届けてくれた。
処方箋をそっと付けて。
人間の基本は食べること。
泣いている幼な児に最初に与えられるのは乳房。
成長期にはカロリーを、
そして老いては根菜と米を食べて、初源の元なる土に還る用意をなし、
これほどに旨いものはない天上の末期の水を頂いて、命を終える。
食べる映画は、意識せずとも、我々の生命の根元を見せてくれるから、 だから面白いのだ。
「マザーウォーター」
「めがね」
「すーちゃん まいちゃん さわ子さん」
「トイレット」
どれも、人に食べさせる風景を静かに描く異作。
これらシリーズは、ただ単にゆるいだけの映画ではない。
起伏がないのは表面(おもてづら)だけ。
黙っているがゆえに
三者三様の
「人生の傷み」と、
「旅の緊張」と、
「道を見失った迷い」がビンビンと尚更に響いてくる。
だからかなぁ、
その中で弱った者になにがしかを食べさせてくれる食事の“介抱”と、異国での孤独な水泳が、観る者の心に沁みてくる。
優しさが沁みてくる映画でした。
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黙しおり喰いしばりおり我が口に
菓子与え給たもう人の慈みや
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