徳川女系図
劇場公開日:1968年5月19日
解説
岩崎栄の原作(徳間書店刊)を、「続・決着」のコンビの内田弘三と石井輝男が共同で脚色にあたり、石井輝男が監督した時代劇。撮影は「人間魚雷 あゝ回天特別攻撃隊」の吉田貞次。
1968年製作/89分/日本
原題または英題:The Shogun and Three Thousand Women
配給:東映
劇場公開日:1968年5月19日
ストーリー
五代将軍綱吉の治世。徳川幕府の政権は安定し、奢侈美食の気風がみなぎっていた。ことに大奥の生活は豪華をきわめ、将軍綱吉の生活は、多くの愛妾を相手に好色心を充たす毎日だった。その大奥の中は、常盤井たちの御台所派と、江戸派のお伝の方の二派に分れて対立していた。大晦日、恒例の新参舞を秘かに覗いた綱吉は、内股にホクロのある新参大奥女中おみつに、その夜のつとめを命じたが、おみつは二派の対立に巻き込まれ、手ひどい拷問を受けて追放されてしまった。この出来事から、ようやく綱吉も虚偽とへつらいで塗り固められた将軍の座にいる自分に気づいた。そんな綱吉を襲ったのが、人間不信の絶望である。易々と将軍の自分に従う女たちに対しても、信頼を置けなくなった。綱吉の心は次第に荒んだものになり、時かまわず女を求め、あげくの果ては家臣の妻まで犯してしまった。そんなある日、柳沢出羽守によって大奥に召し出された染子が懐妊した。しかし、御台所派の染子の懐妊を、お伝の方は喜ばず、染子の子供は出羽守との間に出来たものであると、綱吉に訴えた。綱吉はすぐさま染子を出羽守に下げ渡した。間もなく、染子は出産したが、その頃、綱吉が犯した阿久里の夫牧野備後守が、綱吉の行状を諌めながら自害した。また、綱吉を慕っていたおみつも、その愛の証しとして両眼をつぶし、尼寺に入った。このことを知った綱吉は前非を悔い、染子の子供を認知しようとした。これを聞いた正室の信子は、天下正道のため、徳川家の血筋を守るため、と考えて綱吉を亡き者にしようと決心したのである。こうして、綱吉は信子の懐剣を脇腹に受け、大奥宇治の間でその生涯を終えたのである。