「スケールの小ささとヌルい空気感が心地良い。」サマータイムマシン・ブルース すっかんさんの映画レビュー(感想・評価)
スケールの小ささとヌルい空気感が心地良い。
◯作品全体
本作の脚本にあたり『バックトゥザフューチャー』が未来へタイムトラベルする話だから過去に行く物語を書こう、というアイデアがあったとか。どちらも青春の香りがするタイムトラベル物語という意味では似ているけど、本作の方が身近に感じるのは邦画であること以外にもスケールの小ささ、登場人物たちの「タイムトラベルへの不真面目さ」があるかもしれない。
スケールの小ささは言わずもがな、昨日へリモコンを取りに行くというタイムトラベルの動機。間違いなくSFではあるんだけど目的のものはすぐそこにあって、目的を達成したところで「涼しくなる」という結果しかない。そしてそのスケールの小ささと同じくらい、登場人物たちがあんまり必死じゃない。普通の現代人であればタイムマシンの使い方で紛糾しそうだけど、昨日のリモコンを取りに行くことで納得する空気感とか、「ちょっとそこまで」の感覚で昨日へタイムトラベルするSF研のメンツがとても面白かった。
そのうえでリモコンを取ってくるだけでなく、様々なところに影響を及ぼしてしまう「タイムトラベルもの」の面白さはハズしていない。その影響すらもボンヤリと受け止める登場人物の反応含め、ギャップを使った構成と演出に巧さを感じた。
更に言うと、登場人物たちはタイムスリップに対してあまりにも不真面目だ。なんとなくヤバイことをしてる自覚はあれど、それを注意されても「といいつつ、シルバニアファミリーを動かしてみたり…」なんてやっている。ホセがタイムトラベルの恐ろしさや紆余曲折するリモコンの時間旅行を語ったところでイマイチ理解してないし、そもそも話を聞いてない。途中で少し複雑になるタイムトラベルの経過も、登場人物たちが大して理解していないから難解なSF作品にありがちな置いてけぼり感が全くなく、緩い登場人物の態度から「ああ、ぼんやりとした理解でいいのか…」と肩の力を抜いて見られる。これが本作の最大の長所だ。
SF作品としてはB級モノなのかもしれないけれど、ぬるい大学の研究会というそれ相応の人物たちによって繰り広げることで、エンタメとして「ちょうどいい」感じになっているのが本当に面白い。
そして小気味良いテンポの会話とごちゃごちゃした遣り取りがさらに物語を身近なものにしていて、ずっと見ていたくなるような作品だった。
〇カメラワークとか
・タイムトラベルするときにバレットタイムが使われてた。単純にタイムマシンの周りを囲んでるんじゃなくて、上から見ると渦巻き状になるよう、壁の外にカメラを置いてたりしているのが面白い。
・会話のテンポ感とカッティングが『踊る大捜査線』っぽいなあ~00年代初頭の邦画とかってみんなこんな感じだったんだっけ~とか思ってたら本広監督だった。
会話の中で極端に優劣の関係作ったり(しばしばその関係性が逆転したりする)、会話の中に誰かが割り込んでくる頻度が高かったり、話してない人物も目を引く芝居をしてたり、大人数でいろんなところで会話してたり…みたいな会話劇は本広節って感じだった。このごちゃごちゃ感が仲間の空気感っぽい雰囲気作りになってる。
・手持ちカメラで手振れしながら登場人物に寄って驚きの表情を取るやつとか、00年代流行ってたなあと思ったけど、これも本広さん(というか『踊る』)の影響なのかな。作中で写真部の二人に甲本が「被写体との距離感がおかしい」みたいな話をするけど、そこにかかってるような気もした。
〇その他
・タイムトラベルは当事者と全く関係がないところにも影響を及ぼす、みたいなことを別の作品で聞いたような気がするけど、本作でそれが理解できた感がある。作中では結局タイムマシンを持ってきた人物はわからないんだけど(多分ホセっぽいけど)、その人物がタイムマシンを田村のところに持ってきた結果、まわりまわって甲本が田村の姓になる、というような。タイムマシンを作った人物にとってどうでもいいことだけれど、確かに未来は影響されていて、そういうところが好奇心くすぐられる。
・ムロツヨシが若くて細い。
自分が初めてノベライズで予習して見た作品であり、初めて一人で映画館に見に行った作品だからどうやっても居心地の良さみたいなのを感じてしまう。
同時期に『踊る』シリーズにハマってたり、『めぞん一刻』で「アローン・アゲイン」を聞いてギルバートオサリバンにハマってたりしていて、特に意識せず見に行った結果いろんな好きな要素が詰め込まれていたことに驚いた記憶がある。そして十年後くらいに別のところからヨーロッパ企画を認知したりと、いろいろ思い出深い作品。