空中庭園のレビュー・感想・評価
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「セフレって何?」と上司に聞かれたとき、答えられなかった。
家族がそれぞれ秘密を抱えているドラマとして記憶に残っているのは、1973年のTVドラマ「それぞれの秋」だ。当時、鮮烈なヌードデビューした高沢順子や小倉一郎などが出演していて、アットホームなファミリードラマ界の中でも異色の内容だった・・・などと言うと、あたかもドラマ通のようですけど、まだ小学生だったkossyにはショッキングな内容だったに違いない。
よく考えてみると、家族で隠し事をしないなんて所詮無理な話だと思う。江戸時代とか西部開拓時代とかなら可能かもしれないけど、情報が発達した現代においては到底不可能。プライバシーの侵害として訴えられる可能性だってあるのかもしれない。それを主人公京橋絵里子(小泉今日子)は過去の自分の家庭の反省から、計画的に理想の家族を意識的に作ってきたのです。映画を観ていても彼女だけは心理がわからない。そんな調子で淡々と描かれてはいるものの、随所に面白いアングルの映像を散りばめ、家族の一員となったかのように観客を引き込んでゆく。
アンバランスな家族の構図が破綻するのは夫の愛人ミーナ(ソニン)が息子の家庭教師として一家に解け込むあたりから。秘密を抱えたままの平和な家族の崩壊のきっかけはドタバタ風ではあるが、険悪な雰囲気になるじめじめした展開よりも気持ちがいい。絵里子と母(大楠道代)だけは若干わだかまりが残るのですが、ここからの女優二人の演技が素晴らしかった。「繰り返せばいい、やり直せばいい」と、家族の再生を訴える母の姿。そして肺がんの手術を受けた後の電話に感動する。
〈2006年1月映画館にて〉
監督に猛省を
ごく普通のベッドタウンのマンションに暮らすごく平凡な一家には常に笑顔を絶やさない母親が居る。
母親は絶対的な‘王朝’を築き上げていた。
それは実に整然と作られた【庭園】や、家族が一同に食事するテーブルの上にある照明の【笠】は引っ越して来た時から彼女の‘心の監視カメラ’の如く存在し、家族の誰にも‘鍵’は持たさず‘秘密’は許さない。それは過去の自分と照らし併せて【家族を守る】とゆう強い意志の表れからで有り、住んでいるマンション自体がまるで‘王朝’の様でもある。
しかしこの家族は単に‘家族’を演じているだけに過ぎず、現に娘がナンパされる辺りから(入れ墨が象徴的だ!)崩壊し始め、誕生日の【王朝絵柄】を思わせるケーキを前にして遂に笑顔は消え失せ崩壊する。
この場面での緊張感は、その長回しと共にまるで『家族ゲーム』の横一列の食卓を意識しているかの様な演出である。
そして‘家族’とは‘母親’とは何か、見えない物が見えて来た時に‘王朝’の象徴だった【庭園】に人間の体内で一番大切な‘命の水’が降り注ぎ浄化されるのだ!
小泉今日子が素晴らしい。コンビニで振り返り笑顔を取り戻す場面は凄い。
最後に事件を起こした監督に猛省を。
私、道徳って、恥の概念のことだと思うの
映画「空中庭園」(豊田利晃監督)から。
角田光代さん同名原作の映画化、とあって楽しみに鑑賞した。
印象に残っているのは「道徳」に関する部分。
特別出演の永作博美さん扮する、変な愛人が一気に話すシーン。
「人間を人間たらしめているのは、恥。
恥を感じない人間は、猿と変わらない。
恥ずかしいと思うから、服を着るんだし、恥ずかしいと思うから、
人前でセックスしたりしないのよね。
私、道徳って、恥の概念のことだと思うの。
禁煙のバスで煙草を吸わないのは、なんで?
若い子の素足にいきなりしゃぶりついたりしないのはなんで?
恥ずかしいからでしょ? そんなことしたら。
だから、最も始末が悪いのは、恥という概念がない人間、
あんたのようなとろけた奴よ」
恥ずかしい、という気持ちが日本人に残っていれば、
日本の道徳は、またまだ捨てたものではないのだけれど。
偉人の話や感動の話を聞かせるのも確かに「道徳教育」だけど、
「恥ずかしい」という感情を、国民に教え直すことが、
道徳教育の一歩である気がしてならない。
家族の間でも「恥」という概念をもち、接することが大切だし、
「親しき仲にも礼儀あり」って、家族にも通用する言葉だと、
改めて認識した映画となった。
家族にとっても恥ずかしくない、夫・父親・息子でいたい。
秘密を持たない不自然さ
小泉今日子という女優の魅力が改めて解った気がする。様々な監督が彼女を起用するわけだ。儚げな外見の下に隠れる狂気・・・。そんな女性をこともなげに演じられる彼女の儚げな外見の下にある確固たる情熱。アイドル時代には見られなかった大人の女性の“不確実さ”、それが女優・小泉今日子だ。本作に登場する“家族”は「秘密を持たない」のがルールの仲の良い家族。思春期の子供たちの前で、ラブホでエッチした経験を語れる両親。幸福な家庭像だが、何か違和感をぬぐえない。秘密のない人間など本当にいるのだろうか?案の定それぞれ大きな秘密を抱えていることが次第に明らかになり、何とか取り繕おうとしている母(小泉)は次第に追い詰められていく。母親に虐待され、学校でイジメられていた彼女の夢は「幸福な家庭を作ること」。それだけのためにあの手この手を駆使して、今の地位を築いた。家族の揃う食卓を整え、ベランダでガーデニング。完璧な笑顔(この笑顔が空恐ろしい)の裏に蠢く憎しみ・・・。しかしそれらの憎しみが「記憶のすり替え」によって自分自身を追い詰めていることを彼女は気付かない。赤い血の雨の降る心象風景の空中庭園(ベランダの庭)で絶叫する彼女の狂気を前に、私はただただ祈った「家族が、誕生日プレゼントを持ってもうすぐ帰ってくるから、どうか早まったことをしないで!」と。本作を観ると、人が「秘密」を持たないことの不自然さがよく解る。人は誰もが「秘密」を持っている。「秘密」を持つことによって、人に対しての配慮や思いやりが生まれる。「秘密」を持たないあけすけな心は、大切な人の心もすり抜けて行ってしまうのだ・・・。
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