ひろしまのレビュー・感想・評価
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映画史的にも映像資料的にも、恒久的に保存すべき作品
戦後間もない1953年公開の本作、被爆の傷跡も生々しい広島市において、被爆者を含めた数千人ものエキストラが参加して原爆投下前後の状況を再現するなど、驚愕するような制作過程を踏まえても、間違いなく原爆に関する映画の、最も初期作であると同時に決定盤として映画史的に名を遺す作品となるはずでした。
しかし当時の米国の対日感情に配慮するなど、様々な事情により公開当時はほとんど脚光を浴びることなくお蔵入りし、その後その存在すらほぼ忘れ去られた状態となっていました。
そんな本作が戦後80年を前にして再び発掘される、という数奇な歩み自体がすでに一つの物語になっているのですが、実際に鑑賞してみると、物資も資金も十分ではないはずなのに、ドラマ部分はもちろん、原爆の状況を克明に描いた場面も、そして一面瓦礫となった広島市内のセットも、驚くべき完成度の高さと迫力で、圧倒されます。
その迫真性は、例えば瓦礫は被爆した広島市の各地から集め、ぼろぼろの衣服の中には被爆者が着用していたものも含んでいる、そして被爆者が当時避難した経路と状況を再現する、など、現実の被爆と映画の描写の幾重もの重なり合いがもたらしていることは疑いようもなく、どんなに精巧なCGを駆使しても絶対に醸し出せないような生々しさと、作り手側の覚悟が伝わってきます。
まだ平和資料館も完成していない平和公園など、現在となっては貴重な映像も多数含んでおり、映画史的にも映像資料としても、恒久的に保存すべき作品であることもまた、疑いようがありません。
歴史的な価値が高い映画
この映画は映画というより1953年当時の戦争に対する考え方や当時の雰囲気などを知るうえでかなり重要な資料になっています。
現在でも多くの戦争に関する映画が作られていますが、それは現代人が作っただけでかなりのフィルターがかかっています。
生々しさが桁ちがいです。
難しいことは考えず、多くの人が見るべき映像。まずは見て、そこから何かを感じれば良い。
オッペンハイマー公開前に見ておくべきと思い、鑑賞。
長田新『原爆の子〜広島の少年少女のうったえ』を八木保太郎が脚色した作品。同じ原作を元にした新藤兼人監督・脚本の『原爆の子』があるが、新藤監督の脚本は原作をドラマ風にかきかえてしまっていて原爆の真実の姿が伝わらないという理由で、日教組が反発。結局両者は決裂し、別々に映画を制作したという逸話のある作品。
広島市の中学・高校生、教職員、一般市民等約8万8500人が手弁当のエキストラとして参加したとの事でフィクションというよりはドキュメンタリを見ている様な凄み、実際映画に参加された方の中にはピカに遭遇している訳だから演技を超えたものがそこにはある。
あまりにも壮絶すぎて、そこには生きる気力の様なものは全く見えず、ただひたすら生き残っているという姿があるのみだ・・・軍人が廃墟の中で「速やかに職場に復帰せよ!」と勇ましい事を言っているが、そんな言葉に耳を傾けるものなど1人もいない。
また、どなたが書いていたが日本に原爆が投下されたのは広島だけではない、長崎も同じ惨禍に見舞われたという事を決して忘れてはならない。
戦争の悲惨さ、悲劇は決して原爆だけはないし、どんな戦争もあってはならないのだが、やはり原爆というものは人類を滅亡させかねないほどの大きな影響を与えるということは特別な存在である、その事を痛感させられる。
そして、平和利用されている、原発というものも一歩間違えれば原爆と同じ様なインパクトを与えかねないという事も、日本人は嫌という程実感しているはずなのである。果たして、その利益にあぐらをかいて利用することが正解なのだろうか?地震列島日本に住みながら心のどこかで常に引っかかっている。
余談だが、ひろしまの原爆を描いた作品として子供の頃「はだしのゲン」を学校で見た、あの作品も子供の心には強烈なものを残した、あの作品も日本人として見ておくべき映画だと思う。
そして、広島の原爆資料館と原爆の図丸木美術館に一度は訪れるべきだと強く思う。
被爆直後はもちろん、7年後の状況の複雑さによって、原爆の悲惨さがよ...
被爆直後はもちろん、7年後の状況の複雑さによって、原爆の悲惨さがより一層身にしみることとなる。
みんなこちらに向かってくる最終シーンは圧巻。
星をつけるのは失礼にあたるくらい
1953年8月、戦争が終わってから8年後に、このような映画を作った事に驚きと感銘を受けております。
8万8000人のエキストラが起用されたそうですが、中には本当に被爆を体験した方もいるわけで、プロの役者でも出せないような、リアルティを感じました。
自衛隊はなく、警察予備隊という形で、兵を集めているあたり、当時の状況が伝わってきました。
今の時代をみてどう思うか?
この時に、お亡くなりになられた方々やこの作品に携わった方々の、無念さは計り知れないだろうなというのと
作品からも、戦争は結局、終わらないんだという諦めみたいなものを感じました。
その日、そこにはただ人がいた
広島原爆の日前日にリバイバル上映にて鑑賞。
戦時中に必死に生きていた人たちは今を生きる自分たちと何ら変わりない。その命、街、草木がなぜ理不尽に奪われたのか、一人ひとりが知らなければならない。
「過ちは繰返しませぬから」は全人類への言葉。
バービーとオッペンハイマーどちらも観たい
後半の骸骨少年は、今でいう菅田将暉に似てる、時代が違えばね、この世の独裁者、武器商人、紛争を起こして楽しんでる人達、彼らが穏やかに、そして安らぎを感じているか。それが知りたい。もし彼らが穏やかに眠り、安らぎを感じているならば、私はこの世に期待する事象は何も無い。自分の子供が少しでも悲しむ回数が減ってくれればそれで良い。
本作と「原爆の子」を続けて観るべきです そして広島サミット
1953年10月公開
原作は1951年に刊行された「原爆の子〜広島の少年少女のうったえ」という作文集です
編纂したのは広島大の学長の長田新(おさだあらた)
原爆投下時は広大の教授として被爆し重傷を負った人物
1952年4月、日本は独立を回復しました
GHQの検閲による原爆についての表現のタブーが解けたことをうけて、早速同年8月6日この作文集を原作にして「原爆の子」という映画が公開されます
監督、脚本は新藤兼人
まだ3作目ながら新進気鋭と評価がその当時から高い監督でした
その後、名監督として世界に名前が轟ろいていくのはご存知の通り
素晴らしい作品です
しかしこの映画に当初協力姿勢を示していた日教組はこの映画の製作の方向性について強い不満を示し、自ら製作者となって別個に映画化行うと、「原爆の子」公開と同じ同年8月に決定しました
それが本作です
製作費は「原爆の子」の300万に対して、2400万と8倍に及びました
映画の素人の日教組に代わって製作指揮を執ったのは製作者として名前を連ねる伊藤武郎らによるものでしょう
東宝の労働争議で東宝から追放された人物で、製作スタッフもそうした人々を中心に人選したようです
監督は関川秀雄
1950年の「日本戦歿学生の手記 きけ、わだつみの声」を公開したばかり
これは戦後初の反戦映画と言われ今日でも有名です
助監督のなかに後に大監督となる熊井啓の名前があります
撮影は中尾駿一郎
この人は1951年の今井正監督の「また逢う日まで」の撮影で日本映画技術賞を受賞したばかり
大層腕の立つカメラマンです
音楽はゴジラで有名になる伊福部昭
本作を観れば、本作の1年後の1954年公開のゴジラは本作の影響を強烈に受けている作品だとハッキリとわかります
本作が追求している原爆への憎悪が形を成したものであると
「原爆の子」と「ひろしま」の映画化の方向性の違いとは何でしょうか?
その方向性の違いとは何からきたものだったのでしょうか?
本作の目指したもの
それは被爆の真実です
どのような地獄絵図であったのか
その迫真さ追求することです
「原爆の子」にはそのようなシーンは皆無なのです
両方の作品を続けて観るべきです
そう強くお勧めします
ご自分の目で観て、自分自身がどう感じたのか、自身の頭で考えてみることが大事だと思います
有名な評論家、有名な先生がどう書いていたからとかは関係ありません
あなた自身がどう考えるかです
本作が原爆の真実を知る衝撃をあなたに与えるのは間違いありません
広島の平和資料館を初めて見た衝撃と同等以上のものです
私達が資料館でみたことは本当はこういうことだったのだと教えてくれるのです
迫真の映像です
必ず観るべき映画です
しかし、本作をおすすめできない部分もまたあるのです
本作はそれほどの強烈な印象を持つが故に盲目的に洗脳される危険があるからです
確かに原爆を投下したのは米国です
それはどこまでも非難されなければなりません
とはいえ戦争なのですから、もし日本が先に原爆を製造していたら日本が先に原爆を米国の都市に対して間違いなく使っていたでしょう
ドイツもしかりです
しかし、本作にはことさらに米国への憎悪だけを煽りたてようという製作態度が明白にあります
ドイツには原爆を投下せずに日本に投下したのは有色人差別によるものだとかの主張などはそれです
つまり米国を強く憎み、平和勢力であるソ連や中国の陣営に日本は参加して平和を追求すべきだと言う主張が水面下にあるのがわかります
朝鮮戦争を巡る終盤の物語はそれです
しかし朝鮮戦争はウクライナ戦争のロシアのように一方的に北朝鮮が侵攻してきたものでした
そしてソ連は、すでに1949年に原爆実験をしていたのです
中国は1964年の東京オリンピックの最中に初の原爆実験を行っているのです
結局のところ東西冷戦の中のプロパガンダとして本作は利用されたのです
本作のように原爆を投下した米国への憎悪だけを煽ることは、結局憎悪が憎悪を呼び、際限もなくエスカレーションして、ついには、またも原爆が日本に投下されるまで行き着くことでしょう
平和を望んで原爆そのものを憎悪するために作られた映画がそのようなことになって良いものでしょうか?
本作「原爆の子」と「ひろしま」は同じ原作の表裏一体の作品です
二つで一つと言って良いかも知れません
片方だけでは不足なのです
2023年5月、G7 広島サミットが開催されました
戦争中のウクライナからゼレンスキー大統領も駆けつけたことで歴史に刻まれたサミットになりました
世界の首脳の方々が平和資料館を見学をされ、平和公園の原爆慰霊碑に献花黙祷をなされました
広島の被爆は、日本だけの話ではなく、世界の話になったのです
21世紀に公然と核恫喝を行う国があります
かって平和勢力と名乗っていた国々です
そういったことを俯瞰してご自分の頭で本作を観て感じるべきです
本作の被爆シーンの迫真さは、どれだけ特撮やCGが発達しても超えられない真実の記憶を映像にしたものです
永遠に残され、語り継がれるべきものです
しかし憎悪はそうであってはならないのです
憎みをぶつけ合うことは再び原爆投下へ至る道なのです
原爆の過ちを反省して、繰り返さないこと
それを広島サミットで世界の首脳達が悟り誓って各国にお戻りになられたとそう信じたいのです
2023年6月、広島サミットの後に本作を観なおしてから、改めて原爆ドーム、平和記念公園、平和資料館を訪れてそう思いました
本作と「原爆の子」を観たなら「二十四時間の情事」も併せてご覧になられるべきとお勧め致します
向き合うべき重さ
ピカドンから8年目にして殆ど記録映画的な内容と重さを持った作品として成立したことは歴史的に見て貴重。映画としても極めて真摯に作られていて見るものの襟を正される。私たちはこの映画に描かれた事実としてのフィクションから目を逸らしてはいけない。
記録映画
この映画が、まだ戦争の傷跡が生々しく残る1953年の広島で、多くの被爆者を含む広島市民の協力のもと作られたということ。それだけで本当に価値のある映画だと思う。
残念ながら(戦後間もない時期、未だアメリカの大きな影響のもとにあった日本ではある意味当然予想できたことだけど)、公開当時に全国の映画館で上映はできなかったとのこと。でも、永い年月を経て改めてこの映画にスポットがあてられたこと、何よりこうした映画が作られ残されていたこと、それが本当に良かったと思う。
内容は言わずもがな。被爆者たちが本当に見たであろう光景が残されている。
そういう意味で、ある種の記録映画と言えるんじゃないかなと思う。
余りに痛く悲しい
この映画、広島の友人に聞いた気がする。数年前に見た原爆ドームは、映画に登場するのと比べるとだいぶ劣化している気がした。日頃見ている友人もそう話していた。70年の歳月だもんな。
作品中、このドームに入って記念写真をとるアメリカ兵をみて虫唾が走った。が、それを淡々と映像に残したのは立派。戦争終結した自負か、戦勝国のおごりか。亡くなった市民への追悼は感じられなかったが、これが当時の風潮だったのだろう。
ピカドンと直後の静けさ、気が付くとうめき声、その時、伊福部の音楽がフェイドインしてくる。悲しく辛く忘れられないシーンだ。
被爆、その後の混乱、月日が流れても白血病。この映画でも一部しか表現できなかったろうが、被爆後の悲惨な様子や生きても付きまとう死への恐れは、痛いほど伝わった。長崎に住んでいた時は、8月9日に被爆者のお話を聞く登校日があったのを思い出した。
日教組製作なので、立派な教師と生徒たちの信頼関係も良く伝わった。朝鮮戦争が背景になると思うけど、大砲の弾を作るのが嫌で工場をやめた少年の痛い気持ちが印象的だった。
オリバー・ストーンは「MUST SEE」と言った…その通り
NHKEテレで、2019年8月放送、録画してDVDレコーダーに入っていたものを、ようやく見た。見てよかった。この映画の冒頭で、O・ストーンが本作について、見るべき映画だ、と言っているとおりである。
今(2020年春)、世間はコロナ禍で大騒ぎ、街中は対照的に静寂に包まれている。
こんなときこそ、こうした映画を見てもらいたいものだ。
地獄
昭和20年(1945)8月6日午前8時15分、
一発の原子爆弾が広島に落とされました。
私は原爆投下を仕方なかったという言葉に強い悲しみを感じてきました。この映画で表現されていたように(あえて再現とはいいません。映画は作り手の感情が入るものだと考えているからです)一瞬にして地獄を作り出す原爆を許せません。
映画の中で幼い子どもが母を呼び、探します。私の母の姉は学校の校庭で被爆し、3日後「お母さん」と言いながら、母親に会えないまま避難先で死にました。伝え聞いたことが映画と重なりました。
私は核兵器を持つ国があるのが恐ろしくてなりません。「ひろしま」を観て、核を持った国が強いという現実をどうしたらいいのか分からないという気持ちがさらに大きくなりました。
核兵器の恐ろしさを伝える映画として多くの人に観てもらいたいと思います。
70年草木も生えないと言われたひろしまに、希望の大根の芽が出ました。人間には希望という力があることを信じたいと感じる映画でした。
Bの謎
女性教師と女子生徒たちが空の轟音を聞いて言います「Bよ」。
その瞬間に原爆(リトルボーイ)が投下されます。
Bとはアメリカの大型爆撃機B29の事です。
このシーンは強調されていたので、何かを語ろうとしていると思います。
8月6日に広島上空を飛んだB29はたった3機です。
しかし高射砲攻撃、戦闘機による迎撃もなく、
またラジオによる警報、空襲警報もなかったようです。
天気は快晴、風力2と風は弱く、気圧は764mmHg。
つまり、アメリカ軍の原爆投下は日本軍に邪魔されず簡単だったわけです。
それは今日でも謎であり、広島と長崎への原爆投下は、
見方を変えれば日本のトップが爆撃に同意したという推測が可能になります。
広島の原爆はウラン、そして長崎はプルトニウムであり、それは実験のようにも思えます。
要するに、いとも簡単に原爆投下を可能にしているのが奇妙です。
アメリカCNNが広島長崎の原爆投下の経緯について報じていたのは、
ドイツに投下して不発に終わった場合、ドイツ軍は原爆を回収してをつくるはず、
日本の場合、その点は大丈夫だろうと判断し決定したようです。
それが事実なら、モルモット実験だった事になります。
いずれにしても、抑止力を含め軍事力(暴力)は肯定されています。
・・・残念ですが。
must see
オリバーストーン監督がインタビューで「must see」と繰り返していた。
近年でもアイドルが出演するような戦争映画、ドラマもあるが現実とはかけ離れ過ぎていて心に響かない。
その点、この「ひろしま」は原爆投下後わずか8年後に作られ、被爆した市民も多く参加し、かなり現実に近いものではないだろうか。
原爆投下は正しいことだったという米国人には是非観てもらいたい。もちろん日本人も観て知らなければならない。
広島/長崎。あの日から今日、これから先も、忘れてはならない
広島への原爆投下を描いた1953年の作品。
僅か8年後に製作された意欲作ながらも、そのリアルな描写や痛烈なメッセージで長年お蔵入りされた伝説の名作。
この作品の存在は知っていたものの、そういった経緯からなかなか見る事が出来なかったが、この度Eテレで放送。
ばっちり録画し、身を引き締めて鑑賞。
まず見て衝撃だったのは、戦後74年経った今なら未だしも、1953年の時点であの悲劇が早くも風化されつつある事。
平穏な日常を取り戻し、アメリカと交流を深める。それは悪い事ではない。が、あの悲劇の事が忘れ去られるのではないかと危惧する声…。
東日本大震災と通じる。
しかし、決して忘れ得ぬ人たちが居た。
被曝者、身体に一生消えぬ火傷を負った人たち、後遺症に苦しむ人たち…。
広島のとある高校で一人の女子高生が、原爆投下時のラジオを聞く授業中に突然、鼻血を出して倒れる。当時の事を思い出したショックを受けてと思いきや、原爆の後遺症で白血病を発症し…。
先に“僅か8年”と書いたが、今度は8年を経て。
突然今また我が身を襲う。何故、今また、今尚、苦しみ続けならねばならないのか。
人々の脳裏に蘇る、“あの日”…。
1945年8月6日。
暑いいつもと変わらぬ日…の筈だった。
何処からともなくB29の音が聞こえ…
それは一瞬だった。
彼らの日常が、彼らの知る町が、一瞬にして消え去った。
火の海、焦土と化し…。
服はボロボロ、痛ましい火傷や傷、呆然と放心状態でさ迷う人たち…。
もし、本当に地獄という世界があるのなら、この惨状の事を言うのだろう。
現在の技術を駆使すれば、溶けた肌、生々しい火傷跡や流血など、もっと目を背けたくなる描写になるだろう。
が、規制の厳しかった当時としては、よくぞここまで! 寧ろ、充分。恐ろしさが伝わってくる。
生徒たちを連れて彷徨する先生。
子を探す父。
家の下敷きになり、火が迫る妻を見捨てなければならない夫…。
特に胸が苦しかったのは、子供たち。
泣き叫びながら親を探す火傷を負った幼い子供。
息絶えた親の亡骸に泣きつく子供。
小学校で校舎の下敷きになった生徒たち…。
この子供たちが、何か悪い事でもしたのだろうか!
胸苦しいと共に、憤りすら感じた。
原爆体験者の手記『原爆の子』を基に、1952年の新藤兼人監督作とは別に製作。
関川秀雄による本作は、ドキュメンタリータッチ。戦争や原爆を知らない今の我々に、その恐ろしさを衝撃なまでに焼き付ける。
それをさらに説得力強くしたのが、実際の被曝者や体験者も参加したという、約8万人以上にも及ぶ広島県民によるエキストラ。
あの迫真さは演技ではない。真実なのだ。
その他印象的に感じたのは、伊福部昭の音楽。
本作の音楽が、この翌年に氏が手掛け代表作となる『ゴジラ』で、破壊し尽くされた東京の惨状シーンに掛かる音楽と酷似。
これは単なる使い回しや引用ではない。
本作でも『ゴジラ』でも、悲劇に見舞われた人々の悲しみや哀悼を、音楽で一貫した訴え。
重厚で、格調高く。
いつぞやジェームズ・キャメロンが原爆投下の映画を作る企画があったが、結局中止に。
結果的に良かったかもしれない。
原爆投下は戦争早期終結の為の必要悪。二重被曝者を嘲笑。破壊する/潰すを比喩した“ナガサキする”発言…。
軽視するアメリカに、作って欲しくない。
日本人でなければ絶対に作れない。
日本人でなければ絶対に伝えられない。
日本人でなければ絶対に訴える事は出来ない。
草木も生えないとまで言われた被曝地。
が、種が芽生え、復興を遂げ、人々や子孫が生き暮らし続けている。
愚かな原爆などで、死に絶えるものか。
反戦・反核、平和への祈りの中心地。
絶対に忘れてはならない、風化させてはいけない。この悲劇を、この苦しみを、この声を、この訴えを。
広島そして長崎から、世界へ。当時も、今も、この先も永遠に。
常々思うのが、何故にこんな広島ばかりピックアップされて長崎がないが...
常々思うのが、何故にこんな広島ばかりピックアップされて長崎がないがしろになっているのかということ。
8月6日には原爆関連の番組が必ずあるのに8月9日はとくになし。
こうやって戦争の映画化する時もほとんどが広島。
別に原爆とか戦争の話に興味はないけど興味のない自分からしても扱いがやけに不公平だなと思う。
映画の内容はまぁ当時はこんな感じだったんだろうな〜大変そうだな〜地獄だな〜って。
当時の人たちの辛さなんて到底わかるわけがないから易々とは語れない。
もちろん面白い映画ではない気分は悪い。
・映画というより記録映像のようだった ・被害者の数だけ家族を探す人...
・映画というより記録映像のようだった
・被害者の数だけ家族を探す人がいると考えたら呆然としてしまう
・原爆を落とされた現場で、それでも戦えって呼びかけてる人間がいて絶句した
原爆とその後。いい意味で教科書のような良い映画。
8月16日深夜Eテレビの放送にて鑑賞
戦後8年以上経ち、復興も進む広島の高校?で、一人の女生徒が倒れる。そこから原爆による後遺症の被害が浮き彫りにされて行く。
そして8月6日の一日が描かれる。
原爆が炸裂する直前の淡々と呆気なく起こるところや、短いながら強烈な破壊シーンを経て、生き残った人々の悲惨な姿が数日に渡って描かれる。
火傷を負い、廃墟を彷徨う人々や川の流れに消える多くの女生徒達。死に満ちた病院。
当時の混乱も整理されているのでわかりやすく進み、メインの遠藤一家の父親を演じる名優加藤嘉や山田五十鈴も流石の演技でこの惨劇を写す。
そこから冒頭の学生達の時代までの広島の状況を見せ、原爆孤児や朝鮮戦争の影、警察予備隊や広島に観光で来るだけの無関心な人など、次の戦争への脅威を警告する辺りも当時の世論の動向が見える
最後の広島市民の大行進と亡くなった人々のオーバラップも反戦へのメッセージとして響く。
監督の関川秀雄作品は「超高層のあけぼの」のみの鑑賞しているが、どちらも切れ味のある誠実な演出で、見応えがある。
背景の美術やセットも力が入っていて見応えがあるし、アメリカの会社がリマスターした映像もとてもクリアになっていて見やすい。
正直、日教組主体で、製作された映画なので、変な主張があるのかな?と思ったが、当時に判明した事実をキチンと紹介して分かりやすく描いている。
いい意味で教科書のような良い映画。
広島の歴史・・
まだ自衛隊が警察予備隊だった時代と原爆投下の瞬間の映画。原爆投下の瞬間はまるで地獄絵図で、白黒なのでまだ見られる映像。こんな映画が日本にもあるのに感心した。是非アメリカ人にも見てもらいたい映画。特に最近は小型化した使える核爆弾の開発をしているらしいが、アメリカは明らかに間違っていると思う。日本人はたくましい。産業奨励館を原爆ドームとして残している。
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