「WALKMANがあれば、そこが世界の中心だ❗️」世界の中心で、愛をさけぶ グレシャムの法則さんの映画レビュー(感想・評価)
WALKMANがあれば、そこが世界の中心だ❗️
セカチュー初体験。
この映画を見ずして長澤まさみさんのことは語れない。初々しくて鮮烈で神々しいまでに輝いていて圧倒されました。
最近の『シン・ウルトラマン』での大人ぶりを見ると、その美しさがひとつも損なわれずに成長してきたことがあらためて分かります。不断の努力の賜物なのだと敬意を覚えます。
でも、映画のほうは駄目ですね。
高校生目線で、現実的なことに目を瞑って当事者になり切るくらい入り込めればいいのでしょうが、3人それぞれの親目線で見ると、発狂しそうです。
・無理矢理空港へ連れていき、残り僅かな体力を消耗させ亜紀の死期を早めたのは朔太郎です(たとえ数日の違いだったとしても、亜紀の親からすれば許せない)。
・律子の交通事故(脚に障害が残るほどの怪我を負った)だって、事後検証を普通に行ったならば、なんで台風の影響の大雨の時に託した⁈と亜紀と朔太郎を責めたくなります。私が律子の親だったら、それほど大切なテープの中身はなんだったのだ?と気になり、律子の入院中に、亜紀や朔太郎或いはその親たちから事情を聞いていたはずだし、なるほど命がけのテープだったのか、と思えば責めるのではなく寄り添う気持ちになっていたかもしれません。いずれにせよ、この時点で3人の家族は接点ができるので、朔太郎と律子が互いを知らぬまま出逢うということにはなりません。
映画的に、それは起きなかったことにしよう、という演出はよくあることですが、交通事故や空港から病院への搬送などの現実を絡めておいて、親の介在を無かったことにするのは、さすがにいかがなものかと。
〝殺し以外はなんでもやった〟というシゲじいのバックアップがあったのなら、もう少し納得できたのですが、そこらあたりはかなり杜撰な脚本でした。
オーストラリアの観光事情は知りませんが、ウルル(エアーズロック)へ行くのに、ヒッチハイク以外の手段はないのでしょうか。
なんだかなぁ。
この映画、もしかして、SONYのWALKMANを至るところで重要なアイテムとして使うことを絶対条件に作るという前提に縛られていたようにも見えますが、どうなんだろう。