「遠く離れた二つの故郷の類似点に笑えた。」祭りの準備 マサシさんの映画レビュー(感想・評価)
遠く離れた二つの故郷の類似点に笑えた。
『さらば愛しき大地』は我が故郷の話。この映画は中島さんの故郷の話。
世代も環境も違うが、今回の鑑賞で、日本文化の醜さを感慨して、遠く離れた二つの故郷の類似点に笑えた。
私は大学を落第して一浪をする。モラトリアム期間の1975年がこの映画の初見。男女の『目合ひ』も芸術だと自己防衛して、堂々と入館した。しかし、場末の二本立てだった。
初見は、醜く汗臭いと感じた。従って、この映画が呼び水になって、成人映画に傾倒してしまう。
だから、初見が良かったとは言い難い。
しかし、年齢を重ねての二回目の鑑賞『その良さが分かった』そんな印象が残った。
コテコテの偽善映画を、一網打尽してくれた。
つまり、善良な『民子』も心優しき『寅次郎』もこの醜い日本には存在しないのだ。
幸徳秋水はただの社会主義者ではない。レーニンと同時期で、辺境の日本人がマルクス経済学を認識しているとは思えない。自由民権運動の分派の『アナーキスト』と見るべきで、幸徳秋水が目指すは、経済と言うよりも政治、文化の改変だった。つまり、土着の醜い日本文化や、専制的な維新後の政治に対する疑問から行動した運動家で、大日本帝国に対するアナーキストなのだ。『幸徳秋水』の墓が最初に登場するのは、その象徴に思えた。つまり、同じ土着の文化に『坂本龍馬』がいるが、司馬遼󠄁太郎氏の『坂本龍馬』の様に、この映画ては『幸徳秋水』を単なる英雄として見ていない。『大逆事件』の結末を考えれば、当然であろう。
この作品は傑作だと思う。
マサシさん、コメントありがとうございます。
この作品は、数少ない邦画の中では特に印象に残り、珍しく見直したものです。同時上映は中平康の「変奏曲」でした。上京した貧乏学生の小生が名画座めぐりを始めた頃です。飯田橋佳作座とギンレイホール、そしてフィルムセンターと池袋文芸坐に良く通いました。何処かで会っていた可能性があって、今このようにレビューで繫がるなんて不思議ですね。
黒木和雄の演出と中島丈博の脚本が合っていました。地方の日本的土着の暗さと屈折が率直に描かれて、そこからの脱出のラストには少なからず共鳴していたのかも知れません。作品としても、とても感心したことを憶えています。(ここでは星の評価を少し厳しくしてしまいました)