「野坂昭如先生の悲しい想い(泣)」火垂るの墓(1988) チャン・パーさんの映画レビュー(感想・評価)
野坂昭如先生の悲しい想い(泣)
訂正と追加
・アル中ではなかったかも。特に生き急いでもいない。
私生活は奥さんと子供や孫を大切にした。娘や奥さんは宝塚歌劇団?
奥さんは野坂先生を何年もの間介護し面倒を見た。
寿命をしっかり全うされていた。
・野坂氏が自らこの話を「心中もの」と言っている
・野坂氏がこの話のように死なせてしまった義妹(1歳ぐらい)の件、事詳細語ってて(ネットで出てくる)涙なしでは読めない。
空腹のために泣き止まない義妹の頭を叩いて静かにさせていた、そのことに対する尽きない懺悔の念。
・野坂氏の小説はエログロ、平和の時代に生まれてきてよかったと思わせてくれる。
野坂昭如先生の弔いの小説だよね、
(以下は私の勝手な憶測です、野坂先生には迷惑だと思います。)
幼い妹を衰弱死させて自分はのうのうと生きのびたという罪
それにさいなまれた戦後だった。アル中でしたもんね。
(野坂先生自身は頭もよく体格もすぐれ顔もかっこいいのに、、アル中)
たぶん映画の真逆、自分の食欲のため妹に十分なもの与えず、一人で食べたのだろう。
野坂先生は自分自身もう少し品性立派だったら妹も生かせてやることができたのではないか(泣)、こういう悔いに苛まれてきたのではないか(泣)。(誰でも無理だと思うよ!)
この思いから清太がでてきたのではないか。
小説の中の清太と節子はカップルの様だ。
野坂先生の罪の意識、それほど心に食い込んでいたのでしょう。
節子がほとんど聖母マリアのように神々しい。
高畑勲監督の映画の中でも、変わらず清太と節子が恋人同士のように仲睦まじい。
清太のここに関して監督はノーコメントだ、清太の性格のこの点について監督はどう考えていたのだろう。
とにかく節子が可憐だ、可憐であればあるほど切なく、戦争が残酷…
清太がいないとき節子一人でケンケンパー遊びしてるところ、本当にこの小さき生命、もっと生きててほしかった。
大人の庇護者がいない子供は戦争を乗り越えられない。無数の無名の悲惨な現実が当時たくさんあったのだろう。ほんとに怖い‥
終戦当時の年齢
作家三島由紀夫20才
手塚治虫17才
作家加賀乙彦(帰らざる夏)16才
清太14才
高畑勲監督10才(私の義母も)
節子4才
年齢によって戦争の影響が全く変わってくる世代。
特に女性、語られなかった悲惨な実態がたくさんありそう、想像するだけで怖くなる
戦争のこと語りたくないというのは清太のおばさんのようなことをして生きてきた、
という面も当然あるでしょう、優しい人ほど苦しむでしょう、
戦争が何回も繰り返されてきたのは
戦争いじめが語りたくない、さらに共感を得るのが難しい部類のものであるから。
苦しい過去は語りたくないというのは本音だと思う。一切記憶から拭い去りたいだろう。
客観的に語れるのはなかなか難しいだろう、
とすると、
今後はそういった過去に耳を貸さない
ポジティブバカが戦争を引き込んでくる可能性なきにしもあらずなので
この映画は毎年金ローでやって欲しい。