「普通の人として描かれる 西宮の おばさん」火垂るの墓(1988) Fさんの映画レビュー(感想・評価)
普通の人として描かれる 西宮の おばさん
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戦災被害の後、清太と節子が厄介になる西宮の おばさんの家で、実は空襲で母親が亡くなっていたと知った おばさんの態度が一変、早速 追い出しモードに入り、容赦なく責める言葉が投げかけられます。
彼女の言葉を額面通りに受け取っては いけません。清太が隣組の役務を負ったからといって、それで満足して納得する話しではないのです。同じ屋根の下に余計なものを背負い込んだ事が疎ましくて我慢ならず、それで文句が浴びせられるのです。 おばさんは東京にいるらしい親戚に、二人を押し付けようとも考えます。
清太は母親の残してくれた千円という大金と、生きていると信じる父親を励みに、妹と二人で生き長らえる決断をします。─ これが糸井重里の、「─ 4歳と14歳で生きようと思った。…」という名コピーに繋がって行きます。
“4歳と14歳”が出て行く段になっても、おばさんは止めもしません。漸く出て行ってくれて清々する気持ちが窺えます。
おばさんが母親の死を節子に告げ口していた事が明らかになっても、清太は自分達の置かれている悲しさに涙するばかりで、恨みがましさを口に出したりはしません。
おばさんは特に極悪人ではなく、余裕のない普通の人として描かれている点が秀逸だと思いました。
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